2011年10月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

「いつしか」

黒澤明「生きものの記録」

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2011.10.1
「いつしか」

  「いつしか」

これだけの大災害があったのだから、冷静でいられるわけがない
かき乱された意識は沈殿の過程で、いつしか私自身に向かってくる

私はいつしか老人の死にたいして冷淡になっていたかもしれない
しかし、避難所のトイレの前で一人の老婆が亡くなったと聞くと、やはり心が痛む

私はいつしか二分法で捉える癖がついてしまっている
ツナミで家族を亡くした人とそうでない家族と

私はいつしか喪失の悲しみに捕らわれていたのかもしれない
子どもを亡くした親よりも、親を亡くした子どもの方が傷ましい、と妻は言う

私にはいつしか燕下障害の兆候がある
どうしても飲み込めない何かがあるのだろうか

私はいつしか人間嫌いにおちいったのか
賢治も妹のトシを亡くしたあと、「氷のようなMisanthropy(人間嫌い)」 に襲われている(注)

私はいつしか、最期に皆をピン芸で笑かして死にたいと想うようになった
「そんなにハードルを上げて大丈夫?」と突っ込む声、もなく……

   注 井上ひさし「宮沢賢治に聞く」より


2011.10.1
黒澤明「生きものの記録」

黒澤明原爆原発放射能などを扱った映画が三本あります。
「生きものの記録」「八月の狂詩曲」「夢」です。 今回、立て続けに三本を観ました。(「生きものの記録」ははじめて)
「夢」の中の「赤富士」は、原発の爆発といったまさにリアルな内容ですが、夢という設定もあり、 またオムニバス形式ということから時間的な制約があって、内容に無理があるように思います。 今回の原発事故とかかわって、いろんなことを考えさせてくれるという点で言えば、 断然「生きものの記録」が優れています。
「生きものの記録」は1955年の作品で、それまでの作品と違って、 当時の風潮がかなり濃厚に物語に反映されています。 ビキニ環礁で水爆実験が行われ、マグロ漁船・第五福竜丸が死の灰をあびるといった事故があり、 放射能汚染を怖れて魚の消費量が減るなどの影響が見られました。
3.11後の現代とどこか似通った状況にあったのです。
この映画の主人公は中島という七十近い老人ですが、たたき上げの親方として 従業員十四、五人の鋳物工場を経営しています。このバイタリティあふれる老人を三十五歳の三船敏郎が演じています。 また、彼は、息子、娘、孫たちを束ねる大家族の長であり、その上、男の甲斐性とばかり、妾を二人も囲っています。
そんな俗臭紛々たる人物である彼が、ビキニ環礁での水爆実験による放射能被害が社会問題化する中で、 突然核戦争の恐怖に捉えられ、一族郎党を率いてブラジルに移住すると言い出すのです。 家財道具、工場一切を、ブラジルの知り合いの所有する土地と 交換して、そこで農場経営をしようというのです。彼を支えて工場を切り盛りしている息子たちは、 もちろん娘も、大反対です。彼らは中島を準禁治産者とする申し立てを家庭裁判所に起こします。 その家裁で調停委員をしているのが、歯科医の原田(志村喬)です。 何度かの調停が失敗に終わり、結局中島は家裁で準禁治産者と裁定されます。 そうなると工場の権利を譲り渡すことも出来ませんから、ブラジルへの移住は不可能となります。 金も自由にならなくなり、追い込まれた彼は、最後には自分の工場に火をつけます。 工場が焼失すれば、仕事ができなくなり、家族や、授業員も、 ブラジルに行かざるをえないだろうと考えたのです。 放火で逮捕された彼は、結局精神病院に強制入院させられます。病院の鉄格子に閉じこめられ自由を失った彼は、 本当に狂ってしまうのです。
最後の場面、病院に中島を見舞った原田(志村喬)に、地球外の惑星に避難したと信じている彼は、 病室の窓から夕陽を眺めながら「地球が燃えとる」と叫びます。
この主人公について、佐藤忠男さんは、つぎのような指摘をしておられます。(「日本映画史2」)

「黒澤明は、この老人の役を、まだ三五歳の三船敏郎に演じさせた。 老いた弱々しい人間が核兵器に脅えるのではなく、 生き残ろうとする強靱な意思を持つ人間だからこそ、どうしたらいいかを考え、行動しようとするのだという表現の ために、あえて老いた扮装をしても逞しい動物的なエネルギーを発散できる彼を起用したのである。 しかしこの主人公は、危機感を持たずにいられない事柄に本気で危機感を抱いたために、 危機感なんて持っても仕方がないと最初から悩まないことにきめている 普通の人々から排斥され、家族のしがらみの中でしめあげられて 社会から排除されてしまうのである。 (中略)悪人でもなんでもない普通の人々が、自分たちの日常の平安を守るために、 あえて危機感なんてものには目をつむり、 ついには危機を訴える者を抹殺してしまうに至るという恐るべき現象を深く掘り下げている。」

そして、最後の場面、原田(志村喬)は精神病院からの帰途、「あれでよかったのか?」と自問自答するのです。 彼は、この時、ある種の後ろめたさに囚われます。危機感なんて感じようともしない平凡な家族の 主張を認めて、中島を準禁治産者と裁定したからです。

この映画は三船が演じた老人にどれだけリアリティを与えられるかにかかっています。 核の脅威といったものは、そもそも核そのものがあまりにわれわれの生活のスケールを超えているために、 つねに抽象性を帯びる傾向があります。 その抽象性を克服するために、黒澤明監督はこの老人の造型に努力を傾け、一定のリアリティをもたせることに 成功しています。
映画を見終わったとき、私は、この構図、どこかで見たような気がしました。
そうです、これまでの、事故以前の原子力発電というものを取り巻く構図と似ていたのです。
黒澤監督は、核の脅威というものを机上の空論にしないために、 主人公の老人に現実味をもたせることに努力を傾注したのですが、では私たちの社会の原発反対を標榜する人たちは、 原発反対にリアリティを与えるために想像力を尽くしてどんな努力をしてきたのでしょうか。 高木仁三郎さん等の活動はあったにせよ、 原発反対ということに実に脆弱なリアリティしか与えてこなかったのではないでしょうか。
だから、原発に危機感を持って何かをしようとする人もそんなに多くなかった。 反対が空念仏になってしまっていたのです。 たとえ「五十億分の一」(?)というわずかな確率であれ、事故が起こる可能性はあり、 その放射能禍を避けて「生き残ろうとする強靱な意思を持って」原発から出来るだけ遠い地方に 移住しようと企てるような人、そのような人を想像もできていなかった。
そして、3.11、東北地方太平洋沖大地震、津波、そして福島第一原発で事故が勃発して、 原発の危機が姿をあらわしたのです。 中島のようにブラジルというわけにはいきませんが、(ブラジルは原発推進国だから) 福島から遠い地方への疎開がはじまっています。映画の逃避行が現実のものとなったのです。
反原発に脆弱なリアリティしか持たせることが出来なかったわれわれの想像力が、 現実の爆発で吹き飛ばされてしまったとも言えるのではないでしょうか。
文学であれ、映画であれ、そういった作品にはあまりお目にかかっていない、ということは、 これは残念ながら私たちの想像力の敗北と言ってもいいようにも思うのです。


2011.10.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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