2012年5月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

「雨ニモマケズ手帳」上演

原子力プラント

文庫本「賢治先生がやってきた」

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2012.5.1
「雨ニモマケズ手帳」上演

一人芝居(朗読)「雨ニモマケズ手帳」−宮沢賢治、原発を怒る−が、兵庫県立星陵高等学校演劇部 によって上演されることになりました。自分が書いた脚本が上演されることは嬉しいことです。
この脚本は、私の心の中で3.11の余波がまだ続いていた昨年の8月に書いたものです。
宮沢賢治の生涯は二つの津波に挟まれています。明治29年賢治が生まれる二ヶ月前には明治三陸地震大津波が、 また彼が亡くなる三月ばかり前にも昭和三陸地震による津波が東北を襲っています。
そして今回の東日本大震災、もし宮沢賢治が健在ならば、この大津波をどのように見たのでしょうか。
そういった問いを出発点にして戯曲を書いてみようと思ったのです。
賢治が昭和三陸地震による津波に触れたものとしては、最近発見された見舞状のお礼葉書があります。 「雨ニモマケズ手帳」が書かれたのはこの津波の前ですから、賢治はすでにデクノボウの 願いを心に秘めていたはずです。
そんな彼が津波の報をどんな気持で聞いたのか、推察すべくもありません。 ただ今回の東日本大震災によって引き起こされた原発事故については、 賢治の心を幾分かは推しはかることができるような気がするのです。いかにデクノボウであっても、 原発を怒るだろうと思うのです。大地を汚し、生きとし生けるものを傷つけた原発の事故を、 宮沢賢治はどんなふうに怒るのでしょうか。そういった想像を膨らませるだけ膨らませて、 宮沢賢治というキーワードによって、一場の劇の中で、昭和三陸地震と今回の東日本大震災をつなごうと いうのが、この脚本の狙いでした。それが成功しているかどうかは、一読してもらうしかありません。
賢治の細部にこだわったために特に前半は少々分かりにくいところもあるように思います。

昨年の東日本大震災の衝撃はかなりのものでした。その衝撃を自分なりに受け止めて、 これからのことを考えようと三つの戯曲を書きました。
一人芝居(朗読)「雨ニモマケズ手帳」、 プチ狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」、二人による朗読劇「被災写真」の三作です。
「豆腐小僧は怖い?怖くない」は、食べものの放射能汚染を扱った狂言です。 演じるのも観るのも小学校高学年から中学生を想定しています。 豆腐小僧という江戸時代に 出現した妖怪を主人公にした狂言仕立ての短篇です。
「被災写真」は、津波によって流された写真やアルバムを修復して 持ち主に返そうと奮闘するボランティアおやじを主人公にした脚本です。 脚本としての出来はもう一つといったところもありますが、作者としてはもっとも思い入れの強い 作品といえます。
もし興味がありましたら、覗いてみてください。

【追補】
また、この三月には、ドイツのシュトゥットガルトの補習校で「賢治先生がやってきた」の縮小版 が上演されました。「賢治先生」は、以前にもアメリカのオレゴン州ポートランドの日本人学校で 上演されたことがあり、 海外の日本人学校や補習校での上演は2回目ということになります。
これも嬉しいことでした。


2012.5.1
原子力プラント

詩人のアーサー・ビナードさんが「日本語ハラゴナシ」という自身のホームページで おもしろいことを書いておられます。

「人間は太古の昔から、なにやかや燃やしながら暮らしてきた。(中略)
ところが20世紀中葉に、言葉のペテンにたけている勢力が fuel に狙いを定め、 燃焼とは無縁の物質を偽って nuclear fuel と名づけた。
おっつけその虚偽名称の和訳も「核燃料」と決まった。

ではウソ偽り抜きに呼べば、なにになるかというと、「核分裂性物質」、つまり fissile material だ。」

本来は「核分裂性物質」と呼ぶべきところを「核燃料」と詐称したというのです。
「核分裂性物質」なら原発の親類で胡散臭いものだとわかるのですが、「核燃料」と呼ばれると 何だか炭やら石炭、石油と同類で人畜無害のイメージをともなってしまうからふしぎなものです。
「使用済み核燃料」というのも同類です。
なぜそのような名称をでっちあげたかというと「市民の富を吸い取り吸い取り 核開発を行なうので、カモフラージュのPRキャンペーンを張る必要があった。」というのです。
つまり税金でもって核開発をする、そのことを隠蔽するためだというのです。

さすがにアーサー・ビナードさん、目の付け所がおもしろいですね。

それで、思い出したことがあります。
あの事故があってから知ったのですが、 原子力発電所は英語では、nuclear power plants と言うそうです。
つまり原発は、プラントなわけです。原子のパワーで動くプラントということでしょうか。
プラントというと、私などは化学工業のプラントを思い浮かべます。 配管パイプがいっぱいクネクネとはいまわる巨大な工場です。
原発もおそらくそのようなものなのでしょう。
ところが新聞に載っている原発の解説図やテレビなどで示されるフリップボードなどでは、 単純化して図示されています。 これでは、原発の構造は分かっても、巨大プラントの巨大さからくる本当の怖さはわかりません。
その点、プラントということばが入っている分だけ、英語の方が正確なイメージをもたらします。 原発が一つの巨大なプラントそのものだということが認識されるからです。
(そういった意味合いからでしょうか、最近は、「原発プラント」という言い方をする人も 見かけます。)
プラントの巨大さは、巨大さゆえに操作に非人間的な困難さを伴います。 巨大になればなるほど得体の知れなさが増してきます。 普通の化学プラントでさえ、 いったん事故が起これば、発端の故障箇所を突き止めるは大変難しいのです。 まして、放射線の飛び交うプラントでその原因を突き止め、修復することはいっそう困難を 抱えていることは言うまでもありません。
そういったむずかしさを理解してもらうことが、 ほんとうに原発を考えることにもつながると思うのですが。


2012.5.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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