2012年9月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集
原発がうずくまる(続)
遠い
文庫本「賢治先生がやってきた」
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
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2012.9.1
原発がうずくまる(続)
2011年5月号の「うずのしゅげ通信」に書いた詩です。
原発がうずくまる
原発が一つまちがえるとうずくまるものだとは知らなかった。
1979年、スリーマイル島に 一匹の原発が きげんをそこね、
あやうくうずくまるところだった。
1986年 チェルノブイリに一匹 原発が うずくまった。
石棺に閉じこめられても、うずくまったままぶきみないのちを燃やし続けている。
ウクライナの人たちは、四半世紀、そのぶきみさと神経戦を戦っている。
「人はいつまでも非常事態下では生きられない。
非常を日常として受け入れるしかない」と。(※1)
2011年 フクシマに四匹の 原発が うずくまった。
フクシマはうずくまられても困るのだが、(※2)
一月たっても まったく先行きが見えない。
狭い日本に四匹もうずくまられては、
もう汚染水を未来の渚に放出するしかなかったのか。
なんとかきげんの悪さをほどほどに手なずけ、
非常を非常で治めるために、
桜の花の満開の下、
バッジ型の線量計と
紙の防護服を身に纏ったグスコーブドリたちのはてしない苦役が続く。
うずくまられる、というのは迷惑の受身だが、
近隣住民の迷惑は、避難の大移動にはじまり、
数秒から数万年に及ぶ半減期で壊れてゆくものが、
神話のイメージでしか語れないできごとを引き起こしつつあるのか。
立入禁止区域の静けさ、
海側に津波の瓦礫が放置された国道を、
くびきをとかれた黒い牛が群れをなしてさまよってゆく。
鳥の声でも聞こえないか?……空耳でもいいから……。
※1、2011.4.20朝日新聞夕刊、「東日本大震災の衝撃 専門家に聞く」シリーズの今中哲二さんの記事(聞き手・
小林哲)に引用されているウクライナ人研究者の言葉。
※2、うずくまられる、という言い方は迷惑の受身と称される表現ですが、
近隣住民にとっての事態は、
迷惑どころではなく、迷惑を超えて悲惨の極みです。
そして、今月号のつぎの詩は、「原発がうずくまる」の続編ともいうべきものです。
原発がうずくまる(続)
原発がうずくまった
原発四基にうずくまられたために
福島がフクシマになった
原発がかくも偏屈にうずくまるものだとはしらなかった
しかし、もともと原発はうずくまるものであったのだ
うずくまってすることは一つ
糞尿をひり出すのみ
うずくまった原発は糞発となった
糞発は大奮発をして大量の糞尿を日夜ひり出している
これを称して放射性糞尿廃棄物という
目に見えない放射能に臭いがついて
風向きで臭ってくれば危険がわかる利点もあるが
やはり、糞尿の悪臭は耐えがたい
うずくまられるわ
臭いを嗅がされるわ
迷惑の受身の二重苦となったわけだ
原発作業員は
放射能に臭いが重なってたいへんだ
猛暑の中、白い防護服を身に纏い
そのうえ糞尿の消臭マスクにゴーグルを装着しなければならない
熱中症の患者を運ぶ救急車のサイレンが途絶えることはない
放射線マークをご存じだろうか
レントゲン撮影室の扉に貼ってある
黄色地に赤い三つ葉マーク
あの黄色は、もともとは注意を喚起する黄色であったのかもしれないが
糞尿と合体することによって、まさに糞尿を表す黄色になった
放射性糞尿廃棄物を一時保管場所に運ぶには
黄色いバキュームカーを使わなければならない
黄色い鉛の車体に放射線マーク、放射性糞尿の太文字
放射性糞尿廃棄物は一時保管場所で
黄色いドラム缶につめて、ガラス固化され
中間保存施設に移される
黄色に赤い三つ葉のドラム缶が無数に並ぶ壮観の向こうから
いささかも減じてはいない糞尿臭が臭い立つ
そこで半世紀ばかり水で冷却されて
最終処分場に運び込まれる
最終処分場は海底の地下三百メートルだ
そこで放射性糞尿廃棄物は地層処分されて
十万年以上保管されなければならない
かつてこれほど恐れられ珍重された糞尿があっただろうか
放射能の半減期にはとてつもなく永いものもあるが
糞尿の半減期というのはいかなるものなのか
糞尿臭が半減するのが半減期であるとすれば
地層処分されてもなお臭っている糞尿廃棄物のそれが
かなりの永さであることは確かだ
地層処分して十万年と聞くと眩暈に襲われる
頭の中に銀河が出現して渦を巻く
なにしろ現生人類が出現して十万年だ
その伝でゆくと十万年後、新生人類だって出現しているかもしれない
しかし、新生人類とは言え、なおたしかなことは、
放射線の傷つきやすさはかわらないということ
それに彼の糞尿もまた必ず臭うということだ
海底の地下三百メートルで黄色いドラム缶は時を耐える
太陽系惑星が直列したときも
それに誘発された地震の亀裂は処分場を避けてくれた
隕石がいくつか衝突したが、幸い南半球が多かった
もし付近を直撃していたら
放射性も糞尿もいっしょくたに
まさに糞散霧消、宇宙空間に飛び散っていただろう
アンドロメダ星雲がわが銀河系に衝突したときも
地球まるごとブラックホールに吸い込まれることもなかった
かつての放射性糞尿廃棄物は
褶曲によって深海から持ち上げられ
峨峨たる山巓に場所を移して
ドラム缶もろともに糞尿化石となった
マイトレーア(弥勒菩薩)の出世が約されているのは、さらに時を刻んだもっとあと
56億7千万年後だ
まことに、まことに申し訳ありませんが
マイトレーアよ
オン・マイタレイヤ・ソワカ
ブッダの付嘱を受けて新生人類に阿弥陀の浄土を説くあなたに
放射性糞尿廃棄物のほんとうの処分を委ねなければならないのです
かくも不浄なるものを……
オン・マイタレイヤ・ソワカ
…………………………
一言、さしでがましいことを承知で一言いわせてもらえば
あなたが娑婆世界に出世するこのとてつもない未来でもなお
放射性糞尿化石は放射能を帯びているはず
だから扱いは慎重にも慎重をもってなされますように……
何しろウラン238の半減期は48億年なんですから
それにしても、マイトレーアよ
あなたの世にまだ人類は永らえているのでしょうか……
2012.9.1
遠い
八月は句会がなかったので、ほとんど俳句を作りませんでした。
作ったのはたったの二句。
つくづく惜しと遠蝉を聞く七回忌
八月の近つ飛鳥風土記の丘は、蝉が全山を領しています。
七月半ばからミンミンゼミが鳴き始め、ほどなくアブラゼミが引き継ぎます。
散歩の足下に茶色い落ち蝉をよく目にしました。いまでも時々みかけることがあります。
八月半ばには、法師蝉とともにカナカナカナと蜩が鳴き出します。山道を登ってゆくと、
前の方でカナカナカナとけたたましい鳴き声が起こり、近づくと鳴きやみます。とたんに、
少し先の方で金切り声が上がります。これの繰り返し。
法師蝉は、その間も伴奏するように鳴き続けているのですから、この蜩というやから、よほど
用心深いようです。高い声が神経質さを象徴しているのかも知れません。
そして、八月も終わり頃になると、全山、法師蝉一色です。
遠花火果つるを待ちて通り雨
8月1日はPLの花火大会。家の近くの高台に登れば、ほどよい遠さに花火が見えます。
毎年見に来る人は、穴場を知っておられるようで、そのあたりに車を止めて、
何人もの人が花火を楽しんでおられました。ちょっと雨の気配があるためか、風があって、
それで花火の煙が吹き飛ばされるらしく、いつになくきれいな花火でした。
最後にスターマインが赤い光で空を染めて、花火大会が終わった途端に、雨がざっと降ってきて、
まるで待ってくれていたようでした。
こんなふうに並べてみると、今月の俳句、二つともに「遠い」ということばを含んでいます。
単なる偶然と言えば偶然なのですが、ふり返ってみると、この遠いという感覚、身に馴染んできているようにも
思えるのです。
職を退いて、実感したのは、世の中の出来事が、自分とは少し離れたところを過ぎてゆく、ということ。
そういったことから、この遠という字が無意識のうちに思い浮かぶのかもしれません。
2012.9.1
文庫本「賢治先生がやってきた」
2006年11月、「賢治先生がやってきた」を
自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、
生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、
恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、
また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』、
宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で
広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、
三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、
アメリカの日本人学校等で
上演されてきました。一方
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか
なかなか光を当ててもらえなくて、
はがゆい思いでいたのですが、
ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、
これら三本の脚本は、
読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。
脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、
一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。
手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、
出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)
追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。
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