2012年11月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

「車いす寅次郎」(案)

聴く楽しみ

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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「賢治先生がやってきた」には、 こちらからどうぞ


2012.11.1
「車いす寅次郎」(案)

これまで学校劇の脚本をばかりを書いてきました。
手話サークルで演じるためのコントも一、二ありますが、ほとんどは 小学校、中学校、あるいは高校の演劇部で上演できる脚本を心がけてきたつもりです。
しかし、先月号では、団塊世代の演者を想定した落語台本をラインナップに加えました。
調子にのって、次は、老人施設を慰問するボランティア劇団が演じられるような脚本に挑戦しようと 考えています。

「車いす寅次郎、秋海棠の花」というのが、その劇の題です。
一幕もので、場所はさる介護施設。
その施設にあの寅さんがデイケアでやってきます。

今しも、送迎の車が到着したようす。ヘルパーさんが玄関に迎えに行きます。
寅さん (車椅子で登場)「よっ、年金生活者諸君、元気でやってるかい?」

これが最初の場面です。ここから、どういう劇が展開するのか、私にもわかりません。 ただ、寅さんの次のような台詞が脳裏に浮かんでいます。

寅さん 「こうしておまんまを食べさせてもらえる。風呂にも入れてもらえる。 ありがたいじゃあござんせんか。むかしはオレたちみたいなのはのたれ死にと相場がきまってたんだよ。 末路の哀れは覚悟の前ってね。それがデイケアっての? こんなふうにもてなしてもらって、遊んでもらって、 ちーちーぱっぱやるだけで、おやつまでもらえるってんだから……」

寅さん 「送迎の車でここに連れてきてもらってたじいちゃんが、 ある日、別のお迎えの車が来て、 天国に連れられていく。これが人間の定めってもんだ。そうだろう、さくら。それで、おれも考えちゃったよ。 じいちゃんがいなくなって、 そのためにここの生活がちょっとでも変わるわけじゃあない。 変わらないけれど、やっぱりじいちゃんがいないということでちょっとは変わっている。 ほんのちょっとの変わりようだけどな、それだけ、……わびしいもんだな。 でも、そういったもんじゃあないのか、なあ、おっ死(ち)んじゃうってことは、…… おいちゃんのときもそうだったなぁ……。」

今のところ、具体的な台詞として浮かんでいるのはこれくらいのものです。
これらの台詞から、どのように劇を育んでいくか。まだまだ道は遠いといわざるをえません。

【追補】
「賢治先生がやってきた」のメニュー画面で、 新作は、newの印を付けています。
そのnew表示がいくつかあるということは、ここ一年ほどの間に あらたにいくつかの脚本をラインアップに加えたということです。
私にとっては、創造的な一年であったわけです。
昨年の東日本大震災と原発事故に触発されていくつかの脚本を書きました。
一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」 、プチ狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」、 二人の朗読劇「被災写真」、そして先月号の「うずのしゅげ通信」に載せた落語台本「還暦赤紙」 の4本です。
その他に、最近世情を騒がせているいじめ問題を扱った新作も一つあります。 三人芝居「銀河鉄道いじめぼうし協会」がそれで、新聞記事をけっかけに一気に書き上げたものです。 いじめの問題も、元教師としては、看過できない喫緊のテーマと考えています。
それらの新作のうち二つの脚本が、今年上演されたのです。 一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」と三人芝居「銀河鉄道いじめぼうし協会」の二つです。
このホームページの看板脚本ともいうべき「賢治先生がやってきた」や「ぼくたちはざしきぼっこ」 などは、時々上演の申込みがあるのですが、 新作となると、メニューに載せておいても、そんなに上演の申込みがあるわけではありません。
そんなふうですから、この両作は果報者だといえるかもしれません。
「雨ニモマケズ手帳」は兵庫県立星陵高等学校演劇部、 「銀河鉄道いじめぼうし協会」は兵庫県丹波市立和田中学校3年生B組による上演ということです。
後者は、7月末に書き上げた脚本であり、生みだされて三月で文化祭の舞台にあがることができたわけです。 台詞回しなど、中学生には少しむずかしいところもありますが、それを乗り越えて楽しい劇になることを 祈るのみです。
ついでにもう一つ、ミヒャエル・エンデ原作の「モモ」をヒントにして書きおろした 脚本「モモ」が、東京都立深川高等学校の文化祭で、クラス劇として上演されました。
この劇は、奈良県立高等養護学校で自作自演出ということで舞台にかけてはいるのですが、高校生による 上演ははじめてで、どのような劇になったのか観てみたいものです。
教師を退職してからは、自分の脚本を自分で演出するというわけにはいきませんから、 他の先生の演出によって舞台化されるしかないのですが、そういった場合、 実際の舞台を見せていただく機会は、そんなに多くありません。
新作が上演されるとなると、それこそ何を置いても観に行きたい衝動に駆られてしまいます。 どんな劇になったのか、観客の反応はどうであったのか、どこをどう修正すればもっとわかりやすく楽しい劇に なるのか、自分の目で見てみたいという思いを抑えることができません。 もっともそんなふうに思うだけで、実現したことはありません。残念なことです。


2012.11.1
聴く楽しみ

退職後の生活にも楽しみは必要ですが、悲しいかな、テレビ番組は騒々しいのが多くて、 楽しめるものはごく少ない、というのがわれわれ団塊世代の実感ではないでしょうか。
「聞く気もせん、観る気も起こらん」と文句も言いたくなります。(個人的見解です。念のため。)
そんな中で、観る楽しみより、聴く楽しみが復活しつつあります。高校生以来でしょうか。 テレビに比べてラジオは耳だけを惹きつける程度なので、 ネットをしながらでも聴けるという利点もあり、 また、なつかしい音楽との出会いがあったり、静かな語りかけを味わうこともできます。
意識して導入したわけではありませんが、いつのまにかラジオが自然と 生活に組み込まれるようなかたちで入ってきて、 私自身をラジオファンに変えつつあります。
そんな私のひいき番組は、次のようなものです。

まず挙げなければならないのは、NHK−FMの「弾き語りフォーユー」
月曜から木曜までの毎日、11時30分から20分間、ピアニストの小原孝さんがいろんな音楽を 小原流に編曲して聴かせてくれます。お昼前のホッとするひと時ですね。
その前が邦楽の時間で、早めにスイッチを入れたときなど耳を傾けることもありますが、 残念ながら知識がないためにただ聞き流しているだけです。

土曜日のぼやき川柳は忘れずに聴くようにしています。 NHKラジオの土曜午後「関西土曜ほっとタイム」の一つのコーナーなのですが、 おもしろい。思わず笑ってしまうこともしばしばです。本格川柳ではなく、庶民のぼやき川柳、これが 何とも味わいがあって笑わせられる。川柳作家の大西秦世さんの一言コメントも的確だし、 佐藤誠さんの司会も味があってよろしぃですなぁ。

朝日放送の「日曜落語〜なみはや亭〜」、これはためになります。 何しろ私、けっこう熱心な落語ファンなのです。 落語はやっぱり上方落語だと、繁盛亭に何度も通っているくらいですから、なみはや亭は聞き逃せません。
朝日放送に残っている昔の音源とかで、古い落語家の話を聞けるのも貴重だと思います。 雑音まじりの落語中継というのも趣があっていいものです。聴いているだけなので、かえって落語家本人の 人間性ようなものが浮かび上がってくるのもふしぎです。 最近の落語家は、 器用にいろんな話をこなすのですが、 人柄まで衛生無害で味わいに乏しいような気がします。昔の落語家はもっと癖があって、 やくざっぽかったですね。 それだけ芸に圭角もあるのですが、それが味わいになっていたりするんですから、ふしぎなものです。
「なみはや亭」の前には、桂米團治の「ザ・シンフォニーホールアワー」、「米朝よもやま噺」が 先行していますから、日曜の朝は朝日放送ということになります。

もう一つ、毎日放送の「辺境ラジオ」
内田樹、名越康文、西靖という三人のおしゃべり番組らしいのですが、一度聴いてみたいと 思っていますが、何しろ放送時間が深夜のようなので、残念ながら聴いたことがありません。
内田樹さんのブログのファンだし、名越康文、西靖のお二人は「ちちんぷいぷい」でおなじみなので、 なおさらです。
調べてみたら、インターネットで聴けることがわかりました。便利な時代になったものですね。
感想は、また後日。

喧噪に満ちた世の中、一人静かにラジオを聴く贅沢というのもあるように思います。


2012.11.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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