2013年4月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

「いつしか」

鍋の焦げつき

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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「賢治先生がやってきた」には、 こちらからどうぞ

2013.4.1
いつしか

私が、半世紀近く所属してきた文学集団、火食鳥の会では、数年前まで季刊『火食鳥』を発刊していました。
しかし、同人の高齢化も進み、またそれぞれの事情があっていつのまにか活動が停滞して、 そのためにこの六年ばかりは休眠状態 が続いていました。
ところが、今年のはじめに、大阪近郊に住んでいる同人が集まる機会があり、 ひさしぶりに『火食鳥』を発行しようと話がまとまりました。
そこに載せるために、「うずのしゅげ通信」に発表した詩を引っ張り出してきて、推敲してみました。
候補として、二つの詩を思い描いていました。2011年5月号に載せた「原発がうずくまる」と、 10月号の「いつしか」です。どちらも東日本大震災に触発されて書いたものです。
迷ったあげく、『火食鳥』には「いつしか」を載せることにしました。 どれだけ理解してもらえるかはわかりませんが、震災を自分に重ねて受け止めようとしているからです。
その迷っている渦中で、二つの詩のどちらにも手を入れてしまったのです。手を入れざるをえなかったという ほうがいいかもしれません。不十分なところがあったからです。それで、変な話ですが、 もう一度「うずのしゅげ通信」に載せることにしました。


いつしか

これだけの大災害があったのだから、冷静でいられるわけがない
かき乱された意識は沈殿の過程で、いつしか私自身に向かってくる

私はいつしか老人の死にたいして冷淡になっていたかもしれない
しかし、避難所のトイレの前で一人の老婆が亡くなったと聞くと、やはり心が痛む
どん底で死ぬなんて……
せっかく地震や津波の難を逃れたのだから
もう少し先に光がみえてくるまで生きていてもよかったのに

私はいつしか、死を真ん中に、二分法で捉える癖がついてしまっている
ツナミで家族を亡くした人とそうでない人と

私はいつしか喪失の悲しみに囚われていたのだろう
子どもを亡くした親は、何にもまして傷ましい、と思っていたが、
子どもを亡くした親よりも、親を亡くした子どもの方が傷ましい、と妻は言う
妻の方がいっとう上だ

私にはいつしか燕下障害の兆候がある
寝起きなど、希にではあるが、一口の唾が飲み込めなくて溺れそうになる
どうしても飲み込めない何かがあるのだろうか……

私はいつしか人間嫌いにおちいっているのかもしれない
賢治も妹のトシさんを亡くしたあと、
「氷のようなMisanthropy(人間嫌い)」に襲われている(注1)

親鸞聖人のご消息に、災害を嘆じたつぎの一節がある
  「なによりも、こぞ、ことし、老少男女、おほくのひとびとのしにあひて
  候らんことこそあはれにさふらへ。たゞし生死無常のことはり、くわしく
  如来のときをかせおはしましてさふらふうへは、おどろきおぼしめすべか
  らずさふらふ。」(注2)
津波の映像を繰り返し繰り返し見ていると心がしゅんとなり、
そこに「生死無常のことはり」が透けてくる
人はこんなふうにも死んでいくのか、と
そのことで、私の自責の念はいつしか少し緩んだようだが、
一方、多くの人々があらたに己を責めさいなんでいる

そして、いつしか……

   注1 井上ひさし「宮沢賢治に聞く」より
   注2 「日本古典文学大系82」の「親鸞集 日蓮集」(岩波書店)より

   これは、「うずのしゅげ通信」(2011.10.1)に掲載した詩「いつしか」を一部改作したものです。


原発がうずくまる

原発が、今の日本で、一つまちがえるとこんなにもあっけなくうずくまるものだとは思わなかった。

1979年、スリーマイル島に 一匹の原発が きげんをそこね、
 あやうくうずくまるところだった。

1986年 チェルノブイリに一匹 原発が うずくまった。
 石棺に閉じこめられても、うずくまったままぶきみないのちを燃やし続けている。
 ウクライナの人たちは、四半世紀、そのぶきみさと神経戦を戦っている。
「人はいつまでも非常事態下では生きられない。
 非常を日常として受け入れるしかない」と。(※1)

2011年 フクシマに四匹の 原発が うずくまった。
 フクシマはうずくまられても困るのだが、(※2)
 一月たっても まったく先行きが見えない。
 狭い日本に四匹もうずくまられては、
 もう汚染水を未来の渚に放出するしかなかったのか。
 なんとかグレをグレーの領域にとどまらせて、
 非常を非常で治めるために、
 桜の花の満開の下、
 バッジ型の線量計と
 紙の防護服を身に纏ったグスコーブドリたちのはてしない苦役が続く。
 うずくまられる、というのは迷惑の受身だが、
 近隣住民の迷惑は、
 神話的な大移動にはじまり、
 数秒から数万年に及ぶ半減期で壊れてゆくものが、
 日本そのものを地獄さながらの永い業苦に引きこみつつあるようだ。
 立入禁止区域の静けさ、
 海側に津波の瓦礫が放置された国道を、
 くびきをとかれた黒い牛が群れをなしてさまよってゆく。
 原発にうずくまられたために、はからずも現代に出現してしまったこのやっかいなゾーンを無みするように、  警察官が四六時中外を向いて立っている。(※3)

  ※1、2011.4.20朝日新聞夕刊、「東日本大震災の衝撃 専門家に聞く」シリーズの 今中哲二さんの記事(聞き手・小林哲)に引用されているウクライナ人研究者の言葉。
  ※2、うずくまられる、という言い方は迷惑の受身と称される表現ですが、近隣住民にとってこの事態は、 迷惑どころではなく、迷惑を超えて悲惨の極みです。
  ※3、ゾーンとでもいうしかない地域(タルコフスキーの?)

   これは、「うずのしゅげ通信」(2011.5.1)に掲載した詩「原発がうずくまる」を一部改作したものです。

『火食鳥』37号は、現在印刷に廻っています。
麦朝夫さんや私の詩、伊藤久さんのエッセー、木本寿亀さん、冬木外記さん、設楽芳江さん、西野喜久子さんの短歌、 さらに回顧特集として、国貞祐一さんの短歌五十首選、初期の『火食鳥』に掲載された作品の再録など、 もりだくさんなものになりました。
できあがるのが楽しみです。


2013.4.1
鍋の焦げつき

男にとって退職後の家の中での立ち位置、というのはなかなかに悩ましいものです。
私は、率先して台所に立つようにしました。
主に食器洗いですが、見よう見まねで調理をすることもあります。
考えてみると、調理というのは、すぐに結果が出て、おいしければ満足だし、まずければ次回を 期待すればいいことで、 これほど楽しい仕事はないと思うのですが、どうなのでしょうか。皿洗いも、一つ一つ洗い重ねて いくことは気持ちよく、ストレスの解消にもなっているようです。いやだと思ったことはありません。
いいことずくめの食器洗いですが、一つだけ意に染まないことがあるのです。 焦げついた鍋に遭遇したときです。 これはいただけません。鍋を焦がす原因は、妻のうっかりもあるし、あるいは 私の手際の悪さに起因する場合などいろいろです。 料理によっては、どうしても鍋が焦げてしまう場合もあります。
妻から、焦げた鍋は、暫く湯につけておいてから取った方がとれやすい、とよく言われます。
ところが、焦げた鍋を目の前にすると、 皿洗い係りとしてはがまんできなくて、ついついタワシでゴシゴシとやってしまうのです。
大阪でいうイラチ……、それも老年性イラチなのか?
「何回言ったらわかるの?」と、妻にたしなめられること一度や二度ではありません。
「やっぱり私の言うことになっとくしていないから、何度でもそんなことをするのよ」 と、決めつけられてしまいます。
そんなときは、だんまりを決め込んで皿洗いに集中するのですが、単純作業の功徳というものでしょうか、 一夕つぎのようなことわざが閃いたのです。
家康「取れぬなら、溶けるまでまとう、焦げお鍋」
秀吉「取れぬなら、取ってみせよう、焦げお鍋」
信長「取れぬなら、ほかしてしまえ、焦げお鍋」
さしずめ、私は秀吉派ということになります。
家内は、もちろん家康派。
最近は、焦げ鍋は即粗大ゴミという信長派も意外に多いかもしれないなぁ、というのがそのときの感慨です。
・・・・・

ここまで戯文調で書いてきて、
−−そういえば、耕治人さんは、奥さんが焦がした鍋をどうしたのかな?
どこからか、そんな疑念が脳裏を過ぎりました。
焦げ付いた鍋というのは、たしかにどうしようもないしろものです。
あの耕治人さんが、タワシでもってごしごしと焦げをこすっている場面を想像すると、 おかしさがこみ上げてきます。
奥さんが焦がした鍋を前にした耕治人さんは、何派だったのだろう?
そんな疑問も追っかけて浮かんできます。
確かめようにも、その本はすでに処分して手元にないので、どうしようもありません。

耕治人といっても知らない人が多いと思います。
二十年くらい前に亡くなった私小説作家です。
私が思い出したのは、「天井から降る哀しい音」という小説のことです。
そこに焦げ鍋の話が出ていたのです。
鍋を焦がすのは耕治人の奥さんで、痴呆症状が出始めているのです。
奥さんは、自分が煮物をしていることをすぐに忘れてしまいます。そのために鍋を焦がすことが度重なります。 捨てなければならないほどひどく焦げついた鍋が台所に積み重なります。
「天井から降る哀しい音」という題名は、煮物が焦げた煙に天井の火災報知器が反応して 発する音のことです。
この小説は、耕治人さんの命終三部作の第一作です。
この連作は、「どんなご縁で」、さらに「そうかもしれない」と書き継がれます。
妻が呆けてゆく過程を詳細に描いたものです。
「命終三部作」とは言え、 実際は、耕治人さんの方が先に亡くなるので、妻の最期を看取った作品ではありません。 が、その妻もまた彼の後を追うように亡くなるので、 ほとんどそれに近い作品であると言ってもいいかと思います。
「どんなご縁で」という題名は、 下の世話をしてくれる夫にたいして、妻がもらしたつぶやきそのものです。また、「そうかもしれない」というのは、 老人ホームから耕治人の見舞いに連れてこられた妻が、介護の人から「ご主人ですよ」と言われて、 「そうかもしれない」と応じたことばから来ています。
もともと私は、昭和初期の私小説を好んで読んできたようなところがあります。 耕治人は、その伝統を継ぐ作家であり、この三部作も、そういった文脈で手にしたのでした。
一年ばかり前に、本棚にあった本の大半を整理したときに耕治人の本も 処分してしまったので、自分の記憶だけが頼りです。 今回この文章を書くにあたって、記憶を補うために、 インターネット検索で三部作の内容を確認したりしているうちに、 これまでとはちょっと違った手触りを感じている自分に気がついたのです。
いままでは、耕治人の方からしか見ていなかったのではないか、 しかし、今、自分が老いの入口に立ってこれらの作品群を見直してみると、 耕治人の描写によって浮かび上がる奥さんの存在が、筆者の思惑を越えて主張をはじめているようなのです。
奥さんは、夫である耕治人の表現にさらされることを どのように感じておられたのでしょうか。
耕治人の小説に書かれているようなこと、つまり奥さんの痴呆症状の詳細ですが、 そういったことは公にすべきではないのではないか、という思いが私に萌しています。
自分もまた将来どういう無残な状態におちいるかもしれない、と考えたとき、 その無残を他人に曝されるのは、決して容認できるものではないからです。
彼女にそういった拒否をするだけの理性がすでに 残されていなかっただろう、ということは承知しています。 それだけに余計罪深い感じがするのです。
彼女に自力で訴える力が残されていないのなら、つぎのように言い換えて、 耕治人自身に問いただすしかないのかもしれません。
「いくら夫であれ、それは人間として、していいことなのかどうか」、と。
それでもなお書かないではおれない、そこが私小説作家の業なのだと、開き直られそうですが……。

あらためて、私小説というものの怖さにぶち当たったような気がしています。
私小説は、その本質のところに、そういった残酷さを秘めているのですね。
車屋長吉さんが私小説を悪そのものと見なすゆえんを縷々書いておられますが、 そのことの厳しさを改めて実感したようなしだいです。

鍋の焦げつきに端を発しておもわぬところまで連想が飛んでしまいました。
一度は処分した耕治人の三部作ですが、もう一度、手に入れて読み直してみたくなりました。


2013.4.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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