2013年8月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

再読三読

生きた証

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2013.8.1
再読三読

参院選については、何をか言わんや、といったところですが、毎日新聞のコラムで、 安部内閣を論じた短い文章の 最初のところがおもしろかったので引用しておきます。

それは、7月25日付けの毎日新聞朝刊の「発信箱」というコラムで、筆者は京都支部の榊原雅晴さんです。

「明治のお雇い外国人ケーベル博士(1848〜1923)は、『ある年齢になると 人は新しきものを読まない。読んだものを再び読むのだ』が口癖だったそうだ。
(中略)若いころ親しんだ古典を読み返していたのだろう。
それほど高尚ででなくても「昔読んだものを再び読む」のを楽しんでいる人は意外に多い。 京都の教研出版が今年4月、往年の名著「チャート式幾何学」(星野華水著)を復刻したところ 予想外の反響があり、既に2回増刷した。もともとは『若い編集者に創業の原点を知ってほしい』と 企画したのだが、『受験時代に読んだ年配の方が懐かしさで手にした』と同社はみている。 英語でも似た話がある。伝説の参考書といわれた山崎貞著「新々英文解釈研究」(研究社)は、 一時絶版だったが、2008年に復刻されるや空前の売れ行き。最盛期は受験生の2人に1人が使った とされる赤尾好夫著『英語基本単語熟語集(豆単)』も、10年に復刻され人気を呼んだ。 どれも昭和を代表するベストセラー。(後略)」

本文は、このあと第二次安部内閣を「復刻」と断じて、「再読三読に堪える本文があるかどうか」 と結ばれています。
安部内閣の復刻云々の話はさておき、前半に挙げられている受験参考書、私もまた懐かしい思いを かき立てられました。
二、三年前から蔵書の処分をはじめて、現在では、最盛期の5分の1くらいに減らしたのですが、 それでも高校時代に使用した参考書の何冊かは捨てられないで手元に残してあります。
まず、まっさきに挙げなければならないのは、金原寿郎著「物理の研究」(旺文社)です。 かなり古びて変色していますが、いまだに書棚の残しておくべき本の一郭に立てかけられています。 私の教師生活の前半は物理の教師だったのですが、その間、この本は、 内容をチェックする貴重な参考書でもあったのです。
それ以後、養護学校の教師になったので授業に持ってゆくといったことはなくなったのですが、 物理の問題を尋ねられることもあり、そんなとき忘れかけている知識を確かめるために重宝してきたのです。
極端な言い方をすれば、私の教師生活の半ばはこの本とともにあったといっても過言ではありません。 それこそ自分の一部分になっていたと言えるかと思います。 だから、この本を処分することは、自分の一部を処分することになりますから、それはできないということです。
同じような意味で、安藤暹著「化学の研究」(旺文社)もいまだに書棚にあります。
しかし、これらの本をいまさらもう一度最初から読んでみようとは思いません。 変な表現かもしれませんが、「星の王子さま」に登場するキツネの考え方にならっていえば、 これらの参考書は、私になじんだ本なのだと思います。付き合いが長い分、私になじみ、 私の一部になっているのです。
ついでにもう少し参考書にこだわっておきます。
数学の参考書は何を使っていたのか、覚えがありません。チャート式とか、旺文社の研究シリーズとかを 使っていたのではないかと思うのですが、本として残しておくほど打ち込んだ参考書には めぐり会わなかったということでしょうか。 ただG・ポリア著「いかにして問題を解くか」という概説書にだけは魅了されていました。現に 今も手元に置いてあります。その他にはそれほどインパクトのある参考書に恵まれなかったのだと思います。
英語の参考書も一冊も残っていません。先のコラムにあった山崎貞著「新々英文解釈研究」も 使っていなかったように思います。 ただ赤尾好夫さんの豆単は手にした記憶がありますから、 それで単語を覚えていたにちがいありません。
愛着が湧くような英語の参考書に出会えなかったということは、それだけ英語が身につかなかったことを 意味しているように思います。そう考えると、いまさらながら参考書の大切さを思い知らされます。
古文は小西甚一さんの本(「古文の読解」?)をつかっていたように思います。 後日、何かの機会に、こんな偉い先生だったのかとあらためて認識した覚えがあります。
小西先生のおかげで、古典文法が少々理解できるようになったのです。その知識が いまも俳句を詠むとき役に立っているようです。 ところが、肝心の本が書棚に見つかりません。処分してしまったのかもしれません。 そのかわりに「国文法ちかみち」という本がありました。これも捨てられない本です。
「古文の読解」は名著の誉れたかく、いまでも手に入るようです。この本は、もう一度読んでみたい という気持もあります。


追補
高校に入学した当時のことで、強烈に覚えているのは、そのころちょうど中央公論社から「日本の文学」 という全集が出始めたことです。最初の巻は「三島由紀夫集」ではなかったでしょうか。390円。 当時としてはけっこう高かった印象があります。私は、少ない小遣いで初巻を買いました。
三島由紀夫の「仮面の告白」、「金閣寺」、「近代能楽集」などを読んだように思うのですが、 記憶がちがっているかも知れません。
そして、2回目の配本は「小林秀雄集」。これは難しくて、高校生には理解できなかった。
しかし、それらの本から、本当の文学というものの香りを嗅ぐことはできたように思います。 あの群青色の函と表紙のデザインを眼にすると、いまだにわくわく感を思い浮かべることができます。
全集をすべて買い求めたわけではありませんが、かなりの巻が手元にそろっていました。しかし、それも いまは処分してしまいました。字が小さくて読めなくなってしまったからです。


2013.8.1
生きた証

お盆の月なので、人が亡くなるということについて。

亡くなるということは端的にその存在が消えてしまうことでした。
それを痛感させられたのは、息子を亡くしたときです。
存在の喪失は一方でまったく明白なのですが、心がそのことを認めないのです。
何かものが目の前にある。たとえば赤い風船がある。その風船がパンと破裂して、消えてしまった。 人は頭で風船は消えてしまった、破裂してしまった、破れたゴムの破片はあるが、風船は消えてしまった、 と考えます。そして、心もそれを追認します。残念だけれど、風船は破裂して消えてしまった、と。
しかし、人の場合は、ちがいます。死んで、存在は消えてしまった。理屈では、そのことは理解できるのです。 でも、心は納得しません。つい最近まで、あんなふうに生きていたのに、笑って話していたのに……、 どうしても納得できないのです。7年たった今でも腑に落ちているとは言えない。
どこかに行ってしまった、とはちがうのです。ふしぎな不在感です。
それはなぜでしょうか?
存在しなくなったのです。そして、単純に不在ということが理解を超えているのか、 それとも不在ということの意味の深淵が、その不在のありように人智が及ばないのか。
それは、風船の比喩でいえばつぎのようなことになるのでしょうか。風船が割れるのではなく、 一瞬でほんとうに 消えてしまったとします。これは合理的な理解を超えています。腑に落ちない、納得できないできごとです。 そういうことが起こったのです。
しかし、風船にそんなに未練があるわけではありませんから、やがて忘れてしまいます。
人の場合は、まして大切な人となるとそうはいきません。いつまでたっても心が納得することはないのです。
人は、そんな喪失の苦しみの中で、どうにかして存在の痕跡を探そうとするものなのではないでしょうか。
そういった衝動は、人として共通なものなのかもしれません。
私は、息子がいたころの光景は、いまでもひかりとなって宇宙を飛び交っていると考えました。 亡くなった人が発した光は、宇宙のどこかを飛んでいる。
たとえば、地球から7光年離れている星に宇宙人がいて、とてつもなく解像度のいい望遠鏡で 地球を眺めていたとします。 彼は息子が生きていたころの地球の風景を見ることができるはずです。
突飛な発想かもしれませんが、そうとでも考えて自分をなぐさめるしかなかったのです。

そういった考え方は、息子がなくなってはじめて考えたことではありませんでした。
以前から死というものを想像して、そんな考え方があってもいいのではないかと考えていたのです。

息子を亡くするかなり以前に、 「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」という脚本を書きました。 これはむずかしいということもあるのですが、いい出合いがなくてまだ上演されたことはありません。 その脚本の一幕に、先に触れたような思いつきを具現化した場面があります。
宮沢賢治が高等養護学校の先生で、花沢くんというのが生徒です。彼は最近お父さんを亡くして学校を 休んでいたのですが、久しぶりに登校してきたのです。
生徒たちが花沢くんを囲みます。
そのあたりの遣り取りを一部引用してみます。

「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」より一部抜粋。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
生徒 花沢君のお父さんはいなくなったんやな。
生徒 そら、そうや、死んでしもたんやから。
生徒 死んだときどんな顔してた?
花沢 仏さまみたいな顔してたで。
賢治先生 じゃあ、ほんとうに死んだんだ。
花沢 賢治先生、死んだらどうなるんですか? お父さんはどこいったんやろうか?
生徒 燃やされてしもたんやろう。骨と灰になってしもうて、それでおしまいや。
花沢 おしまいやあらへんよ。お父さんの顔も目に残っているし、 お父さんの声、聞こえることあるもん。たばこのにおいもするで。
生徒 そうかもしれんな。
賢治先生 お父さんはね、君のために死んでみせてくれたんだよ。
花沢 ぼく、見ていました。
生徒 こわなかったか?
花沢 ほんまに死んだときは、こわかった。お父さんが波みたいにきえていかはったから。
賢治先生 最後にいのちのひかりをしぼりだして、しぼりだして、 フーといのちの力がぬけてしまったんだ、蝉のぬけがらみたいに。
生徒 大往生や。
生徒 よくわかりません。
生徒 「いのちのひかり」ってなんですか?
賢治先生 これはなかなかむずかしいんだが、まあ説明してみよう。 月夜のでんしんばしら、出てきなさい
月夜のでんしんばしら1 (頭に稲妻をつけながら出てくる。)あれ、 おれたちの出番はつぎの場面じゃなかったんですか
(下手に模造紙に描いた地球の絵を持つ人、上手に望遠鏡を覗いている宇宙人が登場)
賢治先生 いいやないか。たのむ。
月夜のでんしんばしら1 まあ、いいですよ。
賢治先生 じゃあ、そこにある花沢君のお父さんの写真をもって。いいかい、 これがいのちのひかりだ。花沢君のおとうさんが死んだ。すると、 宇宙のみんなにそのことを知らさなければならない。 それで、でんしんばしらのひかり君が「花沢君のお父さんが死んだよ」 って宇宙中にふれてまわる。
月夜のでんしんばしら1 おれははやいんだぞ。世界でいっとうはやい。
賢治先生 はやいことははやいが、星までは遠いから、 そこの星から望遠鏡で地球を見ている宇宙人にその知らせが届くまでに時間がかかる。 何年も、何万年もかかる。
地球の絵をもつ人 ひかりはたもち、その電燈は失われ。(と叫ぶ。それを合図に、 月夜のでんしんばしら1が、花沢君のおとうさんの黒枠の写真をもって 地球から宇宙人のほうにゆっくり歩いていく。)
賢治先生 その知らせがまだつかないから、この宇宙人は花沢君のおとうさんはまだ生きてると おもっているよ。
宇宙人 (望遠鏡を覗きながら)生きている生きてる。花沢君のおとうさんは元気だよ。
賢治先生 そんなふうにして、花沢君のおとうさんは最後のひかりをしぼりだして 死んでいかれたんだ。
生徒 そんなに何万年もかかるんですか。
賢治先生 かかるよ。だから、宇宙にはまだ、花沢君のおとうさんが生まれたという 知らせもとどいていない星もある。君達が生まれたという知らせも飛び交ってるよ。
(月夜のでんしんばしら2〜6、裸の赤ちゃんの写真をもって「赤ちゃんがうまれたぞ」 と叫びながら走り回って消える。)
生徒 それからどうなるんですか。
賢治先生 どうなるんやろう、ぼくにもわからん。ぼくも、死にかけたこともあるし、 妹のために、そのことをひっしで考えてるんだが……。
(舞台がだんだん暗くなっていく。)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

もともと、死者の生前の風景が光として宇宙を漂っているという発想は、 私のオリジナルなものだと思っていたのですが、 宮沢賢治の作品からヒントをもらっていたのかもしれません。
賢治が生きていたのは、アインシュタインの相対性理論が発表されてまだそんなにたっていなかったし、また 概説書も限られていたということもあり、 作品の中にそのような考えを直接述べた箇所はないように思うのですが、最近、小森陽一さんの 本で、賢治に発想の端緒があることを知りました。
私もまた、理科の教師なので、光が宇宙を飛び交っている意味は分かっているつもりです。
宮沢賢治が、妹のトシさんを亡くしたとき、上の劇のイメージとおなじようなことを考えたということを、 小森陽一さんが 「ことばの力 平和の力」の中に、つぎのように書いておられます。

「妹トシが死んだ後、賢治はトシの姿を花巻ではっきり見るのです。しかしそのことを誰かに 言っても伝わらない。みんなが幻想だ、気が違ったと言う。そこで、ほんとうに幻想なのか どうかを賢治は自らに問い詰めていく。」
その結果、賢治はつぎのような結論に到ったと小森さんはいうのです。 「生きものはみな燃えている、体熱を発散させているでしょう。するとみなさんは光を放っていることに なります。いったん放出した光は宇宙空間をずっと旅をし続けますから、みなさんが一生にあいだに宇宙空間に 放出された光は永久に宇宙に存在し続けることになります。
ならば、闇を深くしていけば、亡くなった妹トシが宇宙に発散した光を私は見ることができるはずだ。 あれは幻想ではないというのが賢治の出した結論です。」

ほんとうに大切な人を亡くしたものは、その人が存在した痕跡の永続性を願うあまりに このような幻想に浸るのでしょうか。
そもそもこれは幻想なのでしょうか。
お盆の月でもあり、ちょっとミステリアスな光のふしぎについて考えてみました。

追補
上の文章を考えているとき、 清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』(7月22日)につぎのような句が紹介されているのを発見しました。

松下カロさんの句です。

生前の天体淡きまくわ瓜

「掲句は(中略) 亡くなった誰かを回想しながら、その人が存命だったころの環境を天体として捉えたものだ。
お盆の供え物の「まくわ瓜」のように淡いみどり色の環境。
やさしくもあるが、強固ではないそれが思い浮かぶ。甘美ではあるが、崩れやすい。 そんな世界にこの人は生きていたのだ。と、作者は痛ましく感じ、 しかしどこかでいささかの羨望の念も覚えている。
俳誌「儒艮 JUGON」(2号・2013年8月)所載。」(清水哲男)

まくわ瓜のような生前の天体の風景はいまもまだ宇宙のどこかを旅しているのでしょうか、 ふと、そんな思いに誘われてしまう一句でした。
はっと胸を衝かれる、すばらしい句だと思います。


2013.8.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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