2014年7月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

枝雀落語

人生との和解

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー
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2014.7.1
枝雀落語

落語好きが高じて、これまでに台本をいくつか書きました。 自分で言うのも変ですが、それらの脚本、そもそも演じられるものなのかどうかもわかりません。 発想はそんなに悪くはないように思うのですが、少々理屈っぽくて、そもそも大衆芸能である落語の範疇を逸脱している ような気もするのです。
脚本を書いたからといって落語中毒がそれで治まるものではありません。 治まるどころか深まるばかりです。一週間も落語を聞かないと、禁断症状があらわれてきます。 といっても、以前ほど困ることはありません。YouTubeがあるからです。 「落語」で検索すると、わんさと集まってきます。選り取り見取りです。映像が登録されているものもあるし、 音声だけのものも ありますが、贅沢をいわなければ、聞くのに不自由はしません。そんなふうにして、どうにか渇きを癒しているのです。
そんな中で、最近、枝雀さんの特集番組(再放送)を二つ観る機会があり、枝雀落語の魅力について あらためて考えさせられました。
亡くなってすでに十五年を経過してなおこんなふうに人を笑わせ感動させる枝雀落語の秘密はいったい どんなところにあるのでしょうか。仔細に観察すると、その秘密は、やはり彼の落語の 完成度が中途半端ではないところにあるように思います。 ちょっとしたやりとりにも、自然さを崩さないように細やかな神経が行き渡っていて、 それが細部のリアリティを下支えしているのです。細部がそんなふうにリアルにできているので、 話の筋が奇想天外であっても、違和感に躓かせることなく、 引っ張ってゆく勢いが生じるのではないでしょうか。 枝雀落語はオーバーアクションすぎてついていけない、リアルではないと感じておられるむきも多いよう ですが、私はそうは思わないのです。登場人物の性格や言動は、 こういった場面ではこんな性格ならこんなふうにふるまうこともあるのでは ないか、といったリアルな範囲に収まっています。違和を生じる限界ぎりぎりのオーバーアクション ではあっても、埒を踏み外して白けさせることはないように思います。 真実は細部に宿るということわざがありますが、枝雀落語はまさにその細部のリアリティを 連ねて、観客を大筋の奇想の中に引き込んでゆくのです。 他の落語家の話を聞いていると、どこかに「あれ?」と細部の不自然さにひっかかることが一、二箇所は あるものですが、枝雀さんの落語には、それがないのです。 細部に無理がなく自然でリアリティを逸脱することがない、 そんな細部がつなぎ合わさって一つの筋が展開してゆくので、 どこへ行くのかわからない荒唐無稽な話でも、オチまで白けることなく付き合うことができるのです。
私は、枝雀落語のこういった構造を微分のリアリティと言ってもいいかと思います。
小さく区切った微細な範囲では、さもありなんという自然なリアリティを決して逸脱することがないので、 その微分をつらねた全体の筋がいかに荒唐無稽であっても、 なお話の緊密性(これも一種のリアリティと言える のではないでしょうか)を保つことができるのです。 枝雀さんは、練習の虫であったと言われていますが、それはこの微分のリアリティを保持するために、 何度も何度も話を繰り、 微修正を加えていたのだと思います。 一つの言葉をさまざまに言い換えたり、あるいは、奥さんの忠告を容れて 会話を直していたという証言もあります。
そういった努力の末にできあがった枝雀落語であるがゆえに、今に至るも演技が色あせていないように 思うのです。

追伸
嬉しいことに、短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」−原爆三景−が、 福徳学院高校演劇部によって、 上演されることになりました。
これまでに、原爆をテーマにした脚本をいくつか書いていますが、この脚本もその一つで、はじめての 舞台化ということになります。
原爆をテーマにする場合、むずかしいのは、七十年前の原爆と現代とをどのように つなげるかというところにあると思います。
そういった意味でも、どんな舞台になるのか楽しみです。
原爆をテーマにした脚本の中では、二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」が、 二度、高校の演劇部によって上演されています。また「パンプキンが降ってきた」という模擬原爆を 扱った脚本も小学校や中学校で三回舞台化されています。
どんな脚本も、書き上げたときは、ほんとうに上演できるのだろうかと、 半信半疑でラインナップに加えているのですが、拾い上げてくださる方もあるのですね。 ありがたいことです。


2014.7.1
人生との和解

現在無職で暇があるからか、とてつもないことを考えたりするのです。
たとえば、「私は、この世とまだ和解できていない。」という不安が萌すことがあります。
この世との和解、人生との和解、そして老いとの和解……。

和解できていない証拠は夢です。
この歳になっても夢を見ることがあります。底意地の悪さが仄見えるような内容がほとんどです。 居心地のいい夢なんて見たことがありません。 目覚めて後味の悪いことが多いのです。
この夢が私と世間の関係のありようを象徴していることは明らかです。
私は、これまでの自分の人生そのものと和解できていないのです。
個人的な理由もありますが、 まだまだ自分の運命を受け入れていないということです。 和解してはいけないという思いもあるのかもしれません。
表面上の意識はどうであれ、夢はそのことを端的に示しているようです。

人生の最期の最期に人生と和解して退場してゆく人がどのくらいいるのでしょうか、 よくそんなことを考えます。
また、そのことに関連して、日ごろ気になっていることがあります。
たとえば、ホームレスの人のことです。
私の町にもいます。自転車でアルミニウム缶を集めている姿をたまに目にすることがあります。 前かがみに自転車を漕いでいる姿は、 底意地の悪い視線から身をまもるかのようです。
彼らは、自分のこれまでの人生を振り返って、現在のありようをどのように 観念しているのでしょうか。 最期を迎えるとき、この世にどのような思いを残して去ってゆくのでしょうか。 やっと楽になれると思いつつも、 己の一生を少しでも肯定的に捉えることがあるのでしょうか。 どうも、そんなふうには思えません。 自身の運命をいまわしものであるかのように振り返り、生まれてきたことを恨むしかないかもしれません。 とても、最期に人生と和解して逝くとは想像できないのです。 彼もこの世に心を許してこなかったし、世間も彼を胡散臭いものとして最期まで警戒を 緩めなかった。あるいは、無関心に存在自体をなきものとして視線を向けることもなかった、 というふうだったかもしれない。そして、もしかしたら、 そういった冷淡そのものの関係のままで死を迎えてゆくのではないの でしょうか。
ドキュメンタリー番組などでホームレスが登場するとき、いつもそういった点が気がかりなのです。

もちろん、その気がかりは、彼らを自分からまったく切り離して貶めていうのではなく、 その否定感情はまさに私のものでもあるのです。
私もまた、いまだに自分の人生を、自分の運命を甘受する気にはなれないのです。この世のありように 心を許していないように思うのです。
その反映なのでしょうか、世間もまた私を決していい雰囲気の中に包んでくれては いないように思います。むしろ疎んじる気配さえ仄見えるような気がすることもあるほどです。

いまになって、老いてこのような気分のままで、この世と和解しないままで、 死んでゆくのかといった切ない思いに捉えられることがあります。
そして、最近、つぎのようなことに思い至ったのです。

私の場合で言えば、自分の宗旨からして、親鸞さんに縋るしかありません。
親鸞さんが常におっしゃっていた阿弥陀如来の本願、この本願を信じることが、先ほど言った 和解に通じているのではないかと考えるようになったのです。
すべての人を浄土に迎えるという阿弥陀仏の本願、それは最高の和解の約束ではないでしょうか。 阿弥陀仏の本願に身をまかせて、この世を去ってゆく、それはこの世との和解の姿のような気がします。 本願海の流れに身を任せるということは、許す、和解するということなのでしょう。
どんな運命に翻弄されてきたにしろ、もし最期の最期に「南無阿弥陀仏」と称える ことができれば、その瞬間この世との和解がなって、 生まれてきたことが決して無意味ではなかったと納得して死んでゆけるかもしれない。それが成仏ということではないのか、そんなことを想像するようになったのです。
私の家の宗旨がたまたま浄土真宗で、自分なりに親鸞さんを慕って著作を読んだりして きたので、そんなふうに考えるようになったのですが、このことは何も 浄土真宗に限った話ではないように思います。
何らかの宗教を信じるということは、最終的には、この和解が、信仰を通じてなされるということの ように感じられます。それなくしては信仰の意味がないように思うのですが、どうなのでしょうか。
なんだか、抹香くさい話になってしまいましたが……。


2014.7.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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