2014年8月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

「人の目、鳥の目、宇宙の目」−原爆三景−

忖度ドミノ

「たましゐ」について

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2014.8.1
「人の目、鳥の目、宇宙の目」−原爆三景−

先月号で、短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」−原爆三景−が、 大分県の福徳学院高校演劇部によって、 上演されるということに触れました。
2009年8月に書き上げた脚本なので、五年間お蔵入りだった脚本が上演(7/12)されたわけです。
ところがどんな偶然からか、またしてもこの脚本に上演の申し込みがきたのです。 今回は、千葉県立四街道北高校の演劇部が取り組んでくれるそうです。
私としてはありがたいことで、近くなら観に行きたいところですが、いささか遠い。
原爆というテーマを、ちょっとちがった切り口で切り取って、現代と繋げた脚本で、 高校生がどのような感想を抱くのか興味深いところです。

追伸
さきほど、Yahooニュース(7/30)を見ていると、原爆を落とした爆撃機の最後の搭乗員がなくなったと 報じていました。
「広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の12人の搭乗員中、唯一存命だったセオドア・バン・カーク氏が28日、米南部ジョージア州の高齢者施設で老衰のため死去した。93歳だった。地元紙アトランタ・ジャーナル・コンスティテューションなどが伝えた。 (時事通信)」
被爆者も高齢化が進み、いよいよ原爆が歴史の記述の中に埋もれはじめているように感じられます。
いや、もうすでに原爆の記述から生身の人間を想像することさえ困難になりつつあるのではないでしょうか。
そういった状況を乗り越える方法の一つが演劇であることは明らかです。 原爆の現実を、 舞台に蘇らせて、生身の人間を通して訴える。 どんなふうに劇化して、何を訴えるかは、むずかしい課題ですが、 演劇に取り組むものに課せられたテーマであることは確かです。


2014.8.1
忖度ドミノ

日本は、いつのまにこんな社会になってしまったのでしょうか。おどろくべきニュースです。 (毎日新聞(2014.7. 4)夕刊)
さいたま市の公民館で毎月俳句の会があって、そこで推薦された句が、 同館の活動を紹介する月報に掲載を拒否されたというのです。
それはつぎのような句です。

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

作者名は書いてありませんでした。
とりたてて問題になるような句ではないように思います。それが、「掲載できない」というのです。
理由は、「世論が分かれている内容の広告は掲載しない と定めた市広告掲載基準に沿って判断した」というものです。
これってどういうことなのでしょうか。
まず、この句は「広告」ではありません。『九条守れ』を広告しているとでもいうのでしょうか。
『』の使用で作者の思いは明らかであるにしても、写生句であって、どう読んでも、プロパガンダでも、 広告でもない。 それを広告掲載基準である「世論が分かれている内容の広告は掲載しない」に当てはめたのです。 どう考えても無理があります。牽強付会というしかありません。原因は、 おそらく担当者が忖度しすぎたのです。
政治的な意味合いはほとんど感じませんが、一歩ゆずって『九条守れ』が『』書きされていることで、作者の信条が前に出ているとしても、 そこは、もっとも大切な表現の自由というものは 最大限保障されなければならないわけですから、掲載を拒否する理由にはならないと思われます。
この事象に垣間見られるのは、いつのまにか日本社会が忖度する姿勢をとりはじめているということです。 忖度ドミノが行動規範として並び立ちつつある気配です。 どこからともなく右顧左眄(うこさべん)の匂いがします。 自己判断をもたない日本社会の弱さがもろに現れつつあるように思います。
そして今回、さいたま市で忖度ドミノの最初の一つが倒されたのではないでしょうか。 戦前もそうであったように(おそらく)、 日本社会に特有の忖度ドミノは、一度倒れ始めるととめようがないのです。そこが怖いところ、 手に負えないところです。
昭和天皇の崩御のときもそうでした。ドミノがカタカタと音をたてて倒れてゆくさまが見えるような 気がしたものです。
しかし、あのどきはまだそんなに大衆化も電子化も進んでいなかった。 現在は、インターネットが昭和の終焉のときよりもさらに高度化しています。忖度ドミノの速さが桁違いに 速くなっているはずです。忖度ドミノがカタカタと倒れて、日本社会が これからどうなってゆくのか、想像するだに怖い気がします。


2014.8.1
「たましゐ」について

八月ということで、「たましゐ」ということばについて考えてみたいと思います。
死ねば虚無、死によって生が断ち切られたあとには、何も無いのか。 そんなことをずっと考えてきました。
私に言わせれば、そういったことを考えないでこられた人は、幸せな人生を送ってきたのだろうと 推察されます。
私の場合は、考えざるをえなかったし、考えてきたというしかありません。
むずかしくて興味を持ってもらえないかもしれませんが、私のとっては、この話が、 いつか脚本を書くのに役立つこともあるだろうと信じています。
それで、今月は、「たましゐ」についての考察です。
日本の祖師たちは、「たましゐ」といったものをどのように考えていたのか、ということからはじめます。
岩波仏教辞典で霊魂をつぎのような記述があります。

「身体の中にあり、そこから遊離すると信じられる不可視の存在。〈霊〉〈魂〉〈たましい〉〈たま〉 といわれ、命や心の別名ともされる。仏教では無我説の立場から霊魂の存在を否定したが、やがて 死後の輪廻する主体についての反省がおこり、霊魂的な存在としてのブドガラを認める議論が現れた。」

ブドガラは不明ですが、だいたいの意味は、わかります。仏教は無我の立場ですが、死後の輪廻する 主体として、「たましゐ」のようなものを認めるようになったというのでしょう。 そこからすこし読み飛ばして、次にような記述があります。

「やがて浄土教が浸透すると、死者の霊魂が浄土、特に山中浄土に往生するという観念が盛んになった。 源信の『往生要集』では無我説の立場から霊魂の存在は説かれていないが、彼が組織した二十五三昧会の 綱領では、死者の『尊霊』が浄土に赴くことが明記されている。」

では、親鸞聖人は、どのように考えておられたのでしょうか。
大峯顕さんに「蓮如のラディカリズム」という著書があり、その中に「たましゐ」のことを論じた「仏教の 『魂』論」という文章があります。
以下、そこからの引用です。
大峯顕さんが触れておられないので、親鸞聖人は、「たましゐ」ということばは遣っておられないのではないでしょうか。 「たましゐ」のかわりに心、仏心ということばを遣っておられるようです。
親鸞の「臨終一念の夕べ、大般涅槃(だいはつねはん)を超証す」という「教行信証」のことばについて、 大峯さんは、「現生においては肉体をともなっていた信心の心が、完全に心それ自身に成ること、 すなわち仏心に成ることにほかならない。」と書いておられます。
つまり、死後、人は心それ自身になる、それがつまり仏心であるということでしょうか。
そして、「親鸞が『心』という言葉で言ったのと同じものを蓮如は『帖外御文』の中で「たましゐ」と 呼んでいる」と言われるのです。

では、つぎにその蓮如さんの「たましゐ」ということばの出典を見てみます。
蓮如さんが、娘の見玉尼さんを亡くされたときの手紙が『帖外御文』の中にあります。
見玉尼さんが亡くなられ荼毘の夜のことです。ある人がふしぎな夢を見ます。

「その夢にいわく、所詮葬送の庭において、 むなしきけむりとなりし白骨の中より、三本の青蓮華出生す、 その花のなかより一寸ばかりの金(こがね)ほとけひかりをはなちていつとみる。 さて、いくほともなくして蝶となりて うせけるとみるほとに、 やがて夢さめおわりぬ。これすなわち見玉といえる名の真如法性の玉をあらわせるすがたなり 蝶となりてうせぬとみゆるは、そのたましゐ蝶となりて、法性のそら 極楽世界涅槃のみやこへまいりぬる、といえるこころなり、 と不審もなく知られたり。」

たしかに、ここで蓮如さんが、「たましゐ」と呼んでいるものは、親鸞さんの「心」 と同じように思えます。
大峯さんは、この「たましゐ」ということばについて、つぎのように書いておられます。

「霊魂や魂魄というものに執着している多くの日本人の考え方、日本教という現世主義の心情と妥協した 文章だと誤解してわが意を得たりと思ったりしたら、さぞかし蓮如は迷惑することであろう。 この『たましゐ』は親鸞がいう「信心」と別のものではない。」

大峯顕さんは、親鸞さんがいう「心」「仏心」と「たましゐ」は、異ならないと言っておられるのです。

浄土系の宗祖さんということでいえば、一遍上人の語録の中にも、「たましゐ」が出てきます。

一遍上人語録
別願和讃
露の命のあるほどぞ      瓔(たま)の台(うてな)もみがくべき
一度無常の風ふけば      花のすがたも散はてぬ
父母と妻子を始とし      財宝所住にいたるまで
百千万億皆ながら       我身のためとおもひつゝ
惜み育みかなしみし      此身をだにも打すてゝ
たましゐ独(ひとり)さらん時 たれか冥途へをくるべき
親類眷属あつまりて      屍を抱てさけべども
業にひかれて迷ゆく      生死の夢はよもさめじ
かゝることはり聞しより    身命財もおしからず
妄境既にふりすてゝ      独(ひとり)ある身となり果(はて)ぬ

命が終わるとき、「此身をだにも打すてゝ、たましゐ独(ひとり)さらん時」、 というふうに表現しておられるのです。身体を打ち捨てて、たましゐが一人で去ってゆく、と。
まさに、親鸞さんの「現生においては肉体をともなっていた信心の心が、完全に心それ自身に成ること、 すなわち仏心に成ること」とほぼかわりないということになります。
また、蓮如さんの「たましゐ」とも共通のものではないかと思われます。

ここまで書いてきて、はじめて大峯顕著「蓮如のラディカリズム」を読んだときには、はっきりしなかった 「たましゐ」の意味が少々分かってきたような気がしています。
やはり書いてみるものですね。
この話、いつか脚本になるのかどうか。……

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