2014年10月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集
劇「賢治先生がやってきた」
句会
雑詠
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2014.10.1
劇「賢治先生がやってきた」
「賢治先生がやってきた」が府中第一中学校の学校学芸会において上演されることになりました。
特別支援学級の生徒さん方40名が取り組んでくれるようです。
また、その後多摩地区の連合学芸会のおいても上演してくれます。
この劇は、もともとは私が勤めていた奈良県の高等養護学校の文化祭で、二学年の生徒
50名ぐらいで上演するために書いたものです。
このホームページで公開してからは、他の養護学校でも上演されてきました。
小学校で上演されることが多く、また、何度か外国の日本人学校、あるいは補習校でも
上演されています。最近の傾向としては、学校が教科学習に占領されているのでしょうか、
結果文化行事が削られ、劇発表に割り当てられる時間が短くなって、短縮バージョンで
上演されることが大半のようです。
40名での取り組みとなるとちょうど初演のときの奈良の高等養護とおなじで、一人一役一台詞という
形で上演できるように思います。
このホームページ「賢治先生がやってきた」で公開している脚本は、最近は年に五本くらいの割合で
上演されています。
私自身は、退職して実際の上演にかかわることはできないわけですが、このようにぽつぽつとでも上演
してくださる学校があるかぎりがんばって維持、改訂してゆきたいと考えています。
追伸1
このホームページ「賢治先生がやってきた」には、四十くらいの脚本が公開されていますが、
そのうち上演マークがついているのが十五本あります。一回だけしか上演されていない脚本も
ありますし、またあちこちの学校で繰り返し上演されているものもあります。
しかし、同じ上演でも、私が、上演にかかわって舞台化した場合と他の先生が取り組んでくださった場合とは
ちがいます。
私が、配役にもかかわり、演出をした場合の上演は、その過程で、
何度も脚本の書き直しをしています。不自然な台詞が書き換えられ、滑らかに流れるようにということで、
筋を変えたりもしています。
しかし、他の先生による上演となると、私の仕事は脚本を書き上げた時点で終わっています。
上演後に参考のために感想を書いてくださいと
お願いしてはいるのですが、実際問題となると、感想を送っていただくのは、そんなに多くありません。
その結果、上演されたとはいっても、脚本はもとのままです。
だから、すでの上演マークの入っている脚本でも荒削りなところは残っているにちがいありません。
まして、未上演の脚本は、未完成なところをかなり持っているように思います。
また、お読みいただいた場合、ご感想をお聞かせくだされば、さらに充実したものにしてゆけるのですが。何とぞよろしくお願いいたします。
追伸2
10/10にメールがあって、岩手県の梁川小学校でも上演してくれるようです。
宮沢賢治の育った岩手県ということで、はじめてではありませんが、うれしいかぎりです。
生徒たちや先生、みんなが楽しんでくれればと願っております。
2014.10.1
句会
例によって、今月の「古墳群」句会に出した拙句です。
親知らず割れて秋思の失せしかな
死後に聞く友のうっくつ桔梗咲く
懐かしくも声なき夢かちちろ聞く
水澄みていのちの淵や子の忌日
秋燕居ぬ間に巣泥の除染かな
詫び状の苦吟のあとや朝の爽(そう)
月明のほとりは暗し紅の萩
もっとも思い入れの強い句は、
水澄みていのちの淵や子の忌日
句会では、二、三の人に採っていただいたのですが、あまり話題にはなりませんでした。
話題にしにくいものがあるからだと思われます。私としては、もちろん自分から話をする
つもりはありません。一人の方がこの句をほめてくださったとき、一座にちょっと奇妙な緊張が
走っただけで、そのまま次の選者に移ってゆきました。
息子から教わったのはいのちの深さといったもの、そんなふうにしか表現できないことがらです。
本来なら、そのことによって、私自身が変わらなければならないのですが、それはなかなかむずかしく、
ただ齢を重ねてきただけかもしれません。
そのいのちの深さを「いのちの淵」という表現で詠んだものです。
これからも大切にしてゆきたい一句です。
死後に聞く友のうっくつ桔梗咲く
「うっくつ」と「桔梗」のイメージがつながらないという批評がありました。「うつくつ」と「きちこう」
の発音が似ているという苦しい言い訳をしたのですが、実は言いがたいこともありました。
この句、もともとは、亡き子のことを詠んだものだったのですが、
誤解を受けそうで、やめたのです。そこに「桔梗」との連想があったのですが、
それは言いませんでした。この句もさらに推敲する余地がありそうです。
もう一つ、種明かしをすれば、「ちちろ鳴く」の句で詠んだ「声なき夢」というのは、
子どもの夢なのです。先日の夢に現れた息子はいつになく穏やかな表情を見せていました。声を聞くことはできませんでしたが、亡くなって以来はじめて夢の中に日常がもどってきたような感じを受けました。私のこころのありようが、反映しいるのだろうと思います。
ようやく、俳句で、こういう自分の人生に触れる句も詠めるようになってきたのか、とちょっとした感慨が
あります。もちろん出来不出来はまた別の話ですが。
いつも、句会のあとで、出した句をフェイスブックに載せているのですが、
そこでは、「死後に聞く」と「懐かしくも」の句を採ってくださる方がありました。
2014.10.1
雑詠
最近は、いっそう目が悪くなってきて、本格的な読書が難しくなってきました。
予想していたとおりです。こういった事態を予想して、定年後俳句をはじめたのです。
俳句なら短くて読みやすいはず。また、俳句は大きな活字で組まれていますので、
老眼でも読むことができます。
そんなこんなで、俳句の本を読むことが増えています。
必然的に俳句について思いを巡らせる機会も増え、
時々はそこから俳句が跳びだしてくることもあります。
句会は、月一回で兼題五句、席題二句と決まっています。
これまでは、月に七句しか作らなかったのですが、最近は、四、五日に一句くらいはできるように
なりました。
自分で詠むだけではつまらないので、フェイスブックに載せています。載せれば、何とかコメントなり、アドバイスをいただけることもあり、それが励みになるからです。
ということで、フェイスブックに載せた句と文章をいくつか紹介することにしました。
◇先日、散歩にて。
癌すでに佇(た)つも危うしと蜻蛉(あきつ)浮く
散歩仲間で抗癌剤治療を受けておられる方と立ち話。副作用で手足までしびれて歩くのにバランスが
取りづらいとのこと、そんな話を伺っているとき、世界が揺らぐような思いが兆して、
ふと見回すと光に中にとんぼ(蜻蛉)が浮くように漂っていました。
◇すこし涼しくなったと思ったら、堤防や田んぼのまわりに彼岸花をみかけるようになりました。
前栽にも咲いています。彼岸花というのは、待ち受ける花ではなく、
ある朝咲いているのを発見する、私にはそんな花のようです。
ということで、拙句。
ふたたびは訪(おと)なわぬ土地曼珠沙華
暮るるほど紅深し曼珠沙華
旅に出たとき、もうこの土地にふたたび来ることはないだろうな、という思いがふと兆すときがあります。
背景に老年の意識があるのでしょうが、そんなとき、気づくとまわりに曼珠沙華が咲いていた
ということです。
二句目は、類句がありそうです。
◇木犀の花
金木犀の散華にわれもほとりして
鬱の気の日に異(け)に深し蚯蚓(みみず)鳴く
前栽の金木犀に花が付きました。まだつぼみで匂いはありませんが、
明日の朝くらいには、開花して、あのかぐわしい匂いを放ってくれるのではないでしょうか。
二句目、いささか暗い句になってしまいました。歳をとれば、もう少し悩みから解放されるかと思っていたのですが、実際はなかなかそうはいかないようです。
こんな句でも詠んで憂さをはらすしかないということでしょうか。
◇上の俳句、迷いに迷い、いろいろ推敲して、結局つぎの形になりました。
金木犀花降る際(きは)にほとりせむ
それでも、まだ落ち着きのわるさが残るようです。
◇さらに改稿、
金木犀花を降らすにほとりせむ
花降らすときに、ほとり(辺)にいようというのです。
ほとりにいて何をするのか、散華の花を浴びる、浴びて木犀と祈りを共にするという思いがあるのですが。
◇むかごをいただいたので、むかご飯を炊きました。
そぼくな味わいでした。
むかご飯は秋の季語、で次の朝散歩しながらできたのが次の一句。
父祖の村われと離るるむかご飯
とても載せるようなできではないのですが、むかご飯の報告のついでに。
「われと」は「自ら」という意味ですが、いらないという意見も。
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