「うずのしゅげ通信」

 2015年4月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

贅沢の極み

寛容の精神

俳句

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2015.4.1
贅沢の極み

3月22日にフェイスブックに投稿した文章です。

「今日の俳句です。

あぐら坐を子ら奪ひ合ひ蓮華草
しばらくは供華のミモザの零るらん

散歩しているといろんな花が咲いていて、俳句の題には事欠きせんが、 かえって目移りがして集中できないようなきらいがあります。
一句目、子どもたちが幼かった頃のこと。二句目は、お彼岸に墓参りをしたときの句です。 お供えした花の中にミモザが添えてあったので、しばらくは花が零れて慰めてくれるだろうと。

紫雲英草まるく敷きつめ子が二人  田中裕明

この紫雲英(げんげ)の句にもやさしさがあふれていますね。」

毎日とはゆきませんが、二日に一度くらいは、「今日の俳句」と題して、自分の俳句二、 三句とその季語に関連する名句を歳時記から選び、一言の感想を添えています。
このときの、田中裕明さんの句は、清水哲男「新・増殖する俳句歳時記」というインターネットサイト からの引用です。検索もできるようになっていて、紫雲英の関連を検索してみると、つぎの句が 現れました。

頭悪き日やげんげ田に牛暴れ   西東三鬼
一服の茶をげんげ田にかしこまる 太田土男
げんげ田や花咲く前の深みどり  五十崎古郷
紫雲英草まるく敷きつめ子が二人 田中裕明

定年後しばらくして俳句を作り始め今年で五年目を迎えるのですが、最初のころは意識的に歳時記を読まないようにしていました。読めばまねをしてしまうかもしれないし、発想が俳句の臭みを帯びてしまうような気がして敬遠していたのです。
歳時記を本気で読み出したのは一年くらい前からです。最初は父の蔵書にあった講談社版の 「カラー図説 日本大歳時記」(講談社)を使っていました。春夏秋冬新年の五分冊それぞれが大判で 350ページを超える大部の歳時記で、 季語ごとに写真があって、図鑑としても充分その役割を果たすほどのものです。
この歳時記で「紫雲英(げんげ)」を引くと、解説の後に、二十数句が並んでいます。
一部を引用します。

野道行けばげんげんの束すてゝある 正岡子規
頭悪き日やげんげ田に牛暴れ    西東三鬼
げんげ田や花咲く前の深みどり   五十崎古郷
十本の指ありげんげ摘んでゐる   三橋鷹女
げんげ田を鋤く帰らざる人のごと  森澄雄
げんげ田に寝て欲しきもの双翼   津田清子
・・・・・・・・・・・

先日春風邪で籠っていたとき、本を探しているとぷいと古い歳時記が現れたのです。
「新歳時記 虚子編」(三省堂)とあります。昭和九年発行で父が俳句をはじめたころに購入したもの だろうと想像できます。
これでげんげを引いてみました。

束にしてげんげんの花しほれたる  向陽
げんげ田にひつくりかへり遊ぶ子等 濱人
子蛙の飛びては沈むげんげかな   黙禅
風に揺るゝげんげの花の畦づたひ  立子
摘んでゐるげんげや村の馬鹿が来る 虚子
・・・・・・・・・・

虚子の句には、思わず笑ってしまいました。

活字が大きいということで、普段使っている「改訂版 ホトトギス新歳時記 稲畑汀子編」 (三省堂)を見てみます。

紫雲英田の起されてゆく色変り   植地芳煌
げんげ摘む子等にも出会ひ旅つゞけ 星野立子
秋篠はげんげの畦に仏かな     高浜虚子
野に放つ心集めて紫雲英摘む    稲畑汀子
・・・・・・・・・・

稲畑汀子さんの句が心に残ります。

最近購入した「現代俳句歳時記 春」(学習研究社)で調べました。

頭悪き日やげんげ田に牛暴れ   西東三鬼
刈る母に癒える青空にがいげんげ 隈治人
人ひとり無しげんげ田は辺境か  後藤昌治

歳時記を並べて、その評価をしたいがために書いているのではありません。
歳時記には、それぞれに特徴のある例句が集められているということを見てもらいたかったのです。

子規は、俳句の道は、写生や写実を基本にした生活詠というところにしかないと主張しました。 写生や写実というのは、生活をリアルに、ということだと思われます。
俳句の革新を子規から引き継いだ虚子は、俳句について次のように書いています。 (『俳句への道』)

「俳句は『花鳥諷詠』である。花鳥とは、春夏秋冬の移り遷りに依って起る自然界並に 人事界の現象をいうのである。」

俳句は、四季の変化に応じる自然と人間の現象を詠むものだというのです。その主題として、 季語が定められています。
虚子は、写生のリアルを、自然や人間の季節の移ろいを詠むことに 見出したのです。
俳人は、これら子規や虚子の考え方にしたがって、俳句を詠んできました。
自然界の季節の移ろい、人間界の季節の移ろいを生活詠として詠んできたわけです。
歳時記は、それらの成果を集成したものです。それがほんの数千円で手に入るのです。 これほど贅沢なことはありません。
歳をとってくると目が弱ってきます。私も最近は本を読むことに苦痛を感じることが多くなりました。 そんなとき俳句は短いゆえに目の負担になりません。 これほどすばらしい本はありません。
歳時記をならべて、これこそ贅沢の極みだとひとり嬉しがっているのです。


2015.4.1
寛容の精神

人生の折節に何度も読み返して、自分の考え方の骨子になっているような本は、そうたくさんある わけではありません。
私の場合、まず第一に挙げなければならないのが、宮沢賢治の詩「春と修羅」であり、 また「銀河鉄道の夜」です。これらは、私を窮地から救ってくれた本だからです。
しかし、それ以外となると、もう一冊くらいしか思いつきません。 意外にそういった本はすくないものです。
E.M.フォースターの評論が、つぎの一冊ということになります。
宮沢賢治の著書についてはもちろんですが、E.M.フォースターの本も、 この「うずのしゅげ通信」で何度か触れたことがあります。
最初にE.M.フォースターを知ったのは、大学に入学してまもなくの頃、 当時の教養部の英語の授業でした。 いまでも、そのときのテキストを持っています。蔵書のほとんどを処分したのですが、 このテキストと後に買った岩波文庫の「フォースター評論集」(小野寺健編訳)の二冊だけは、 一生ものとして大切にしています。
ということで、E.M.フォースターの著書について、です。
今から二十数年前、東西冷戦の時代が終わって、半世紀あまりも続いてきた政治的な枠組みが 壊れてしまうと、にわかに世界の秩序が崩れていったように思います。 グローバル化が言われていますが、世界全体が構造物のない、 ぶよぶよのゼリー様の不安定なものに変貌してしまったような感じさえ持ちます。 何だか怖いような不安に襲われるときもあります。
世界構造もそうだし、国内状況を見ても、不安定要素はますます蔓延しつつあるようです。
労働者の給料は、政治家の掛け声によって決まるものだったのでしょうか。
労働者を非正規にして、家族もろともに使い棄てるといったようなことが、 どうして許されるのでしょうか
すべての人を貶めるヘイトスピーチのようなものが許されるというのはどういうことなのでしょうか。
憲法を改正してしまうと、それに代わって何がわれわれを守ってくれるのでしょうか。
太平洋戦争の惨めな結末は、われわれに引き継がれていないのでしょうか。
考えれば考えるほど不安が募ります。

そういった思いに促されて、最近またE.M.フォースターを読み返しています。
特に心に響くのが、上に挙げた岩波文庫の「フォースター評論集」 (小野寺健編訳)に収められている「寛容の精神」という短い文章です。
この文章は、第二次世界大戦の直後に書かれたものですが、いまだに古びていません。 古びていないというより、いまだにそこから現在の状況に応じた何かをくみ出すことができる 文章だというほうが当たっているかもしれません。
彼はイギリス人ですから、第二次世界大戦後というのは、ナチスドイツとの戦いが 終了してからのことです。
ドイツ戦後の世界を再建するにあたって、 その理念としてまず引用されているのが聖書のことばです。
「主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい」
この意味は容易に察することができます。主の意思に添うような正しい精神でもってやらなければ、 再建することができない、というのです。 そこから彼の考察がはじまります。
フォースターに聞いてみましょう。(以下、引用はすべて「フォースター評論集」 (岩波文庫)によります。)

「外交、経済政策、通商会議のたぐいが実効をあげるには健全な 精神が必要だということには、異存がありません。
しかし、どういう精神状態なら健全なのか? ここで意見が分かれるのです。たいていの人は、 文明の再建に必要な精神はと問われれば『愛』と答えるでしょう。人はたがいに愛しあわなくては ならないと言うのです。(中略)
この説には、敬意をはらっても断固として反対です。愛は、私生活では大きな力です。最大の 力と言ってもいいほどです。ところが、公生活では役に立たないのです。それは何度も実験ずみで、 (中略)すべて失敗したのです。(中略)われわれは、じつは、直接知っている 相手でなければ愛せないのです。」

と、まずここまでは公生活における「愛」の無力を論じています。
「愛は地球を救う」というフレーズの「愛」から、 現在喧伝されている絆もまた「絆愛」「隣人愛」と 解すればその類に入るでしょうか、「愛」が公生活に跋扈しています。
、 しかし、それではだめだとフォースターは言うのです。 では、どうするのか? 結論は簡単です。

「文明の再建といった公の問題にはもっと地味な、あまり感情とは縁のない精神が必要で、それは 寛容の精神です。」
ここで寛容の精神というものが出てきます。愛ではなく、寛容だというのです。 寛容こそが「戦後にもっとも必要な美徳」だと。こちらの方が健全だと主張するのです。

「各種各様の民族を、階級を、企業を、一致して再建にあたらせることができる力は、 これ以外にありません。」

地球にあふれている人類、彼らの中には、好きな人、民族、国民もあれば、気に入らない人、 民族、国民もあります。
この感情を解消するにはどうすればいいのか、方法はふたつあるとフォースターは言います。
一つはナチス流で、気に入らない人、民族、国民を抹殺するというやり方。
もう一つは、「なるべくがまんする」という方法だと言います。
「寛容の精神でがまんするように努力する」、これが健全なやり方だと。

「こういう寛容の精神が土台になれば、文明の名に値する未来も築けるでしょう。それ以外に、 私には戦後世界の基礎は考えられません。」
(中略)
「寛容の精神は、街頭でも会社でも工場でも必要ですし、階級間、人種間、国家間では、とくに 必要です。冴えない美徳ではあります。しかし、これには想像力がぜったいに必要なのです。 たえず、他人の立場に立ってみなければならないのですから。それは精神にとって好ましい訓練に なります。」

私も、フォークナーに習って、現在の状況を乗り切るためには、寛容の精神しかないと 考えています。
尖閣列島をめぐる中国との軋轢、おなじように韓国との竹島をめぐるいざこざ、これらを 考えるとき、やはり寛容の精神が必要ではないでしょうか。 幸いなことに、問題が顕在化してからまだ犠牲者が出ていません。 まだまだチャンスがあるということです。 犠牲者が出ないうちに、寛容の精神でこれらの軋轢に向かい合う必要があります。
では、テロの状況に対してはどうでしょうか。すでに犠牲者が出ているのに、寛容の精神で テロを防ぐことが出来るのかと難詰されれば、反論は難しいかもしれません。しかし、犯罪的な 行為に対しては、厳罰で処するとしても、民族や宗教の問題に対しては、寛容の精神でゆくといった 考え方も可能なのではないでしょうか。
ナチスドイツを相手にしても寛容の精神を説いたフォークナーは、保守の論客ではありますが、 それこそ筋金入りのリアリストでした。
現在の状況を俯瞰したとき、彼に学ぶべきことはたくさんあると思います。


2015.4.1
俳句

先月は句会を欠席しましたので、句会の句のかわりに、 たんぽぽについてのフェイスブックへの投稿(3月24日)を転載しておきます。

「今日の俳句です。

たんぽぽを有刺鉄線越しに摘む
たんぽぽの笛吐き棄てて草の味
山椒の芽摘み来し妻に棘の傷

冬がもどってきたように冷えています。あちこちで桜の開花が報じられていますが、 近つ飛鳥の桜はまだのようです。
今日はたんぽぽの句。
たんぽぽの句は意外にむずかしいようです。やはり「たんぽぽ」という音が俳句の器に 収まりにくいからでしょうか。

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典

そうです、「ぽぽ」のあたりがむずかしいのですね。この句、その「ぽぽ」を、 「ぽぽ」と火がつくという言葉の連想(詐術?)でくるみ込んで見事に一句の中に取り込んでいます。
こんな方法もあったのかと、爽快に脱帽です。」

〈雑詠〉
(フェイスブックに投稿した句等)

あぐら坐を子ら奪ひ合ひ蓮華草
しばらくは供華のミモザの零るらん
風と来て梅の蘂(しべ)撃つ霰かな
花敷きて蘂も零(こぼ)るる梅ほとり
順送り蘂に残りし梅の紅(こう)
あとはわが先に逝くのみ枝垂れ梅
黄水仙立て持つ妻の片手添へ
春風邪や父の歳時記ぷいと出て
歳時記のレ点は父の春の項
虚子編著皇帝ダリアの霜除(よけ)外す
句でボケてわれとつっこむ木瓜の花
ひさかきの畝傍ををしと匂い立つ
小綬鶏と一言主と鉢合わせ
老いごとに句を貶めず黄楊の花
馬酔木揺るるは幻の牛今をゆく
声細る老いの先触れ竹の秋
猫排するは涅槃図にして狭き了見
花冷えや刃に指当つる研ぎ具合
青饅(ぬた)や心理ゲームにしてしまう癖
震災忌新聞延べて爪を切る
震災忌新聞の辺(へ)に深爪す
震災忌一樹の揺るる風溜り
ひとつこと妻は同志に夜の梅
春季展見をへて夫婦の顔もどる
靴跡の靴跡に消ゆ春の泥
雛あられ姉弟でひとつ鉢
幼ごと壊して終る春畳
喜びの口つむぎゐて辛夷咲く
狐面ほろとはずれし雛の会
雛祭り狐の面を持ち帰り
山笑ふ崖の滴り雨後三日
群鳥のひるがへる空春ショール
乳母車こまに纏わる春の泥
ものの影またぐ心や春帽子
大根のごつという音二月尽


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