「うずのしゅげ通信」

 2015年7月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

ショートショート「俳句マシーン」

フェイスブックより

俳句

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2015.7.1
ショートショート「俳句マシーン」


フェイスブックにつぎのような記事を投稿しました。

「わが家に『官報號外 日本國憲法』という古い冊子があります。
日付は、『昭和二十一年十一月三日 日曜日』とあります。
現在の日本國憲法が公布された日です。

両親が使っていた本箱を整理したとき出てきたのです。色あせているばかりではなく、当時の紙質が悪いためにもろくなっていて、すでにあちこち破れています。来歴はまったくわかりません。二人とも亡くなっていますので、聞くわけにもいきません。しかし、両親のどちらかが大切に仕舞いこんできたからこそ、遺っていたのだと思います。」



投稿した日とつぎの日にかけていくつかの『いいよ』が寄せられ、また知人の一人が、「『官報號外 日本國憲法』は、蔵書として価値がありますよ。」
とコメントまで寄せてくれたのです。
私は、そこまで考えていなかったので、なるほどそんな見方もあるのか、と蒙を啓かれるた思いで、 ものは試しとさっそくその冊子をYahooのオークションに出してみたのです。
しかし、世の中そんなに甘くはないようで、 一向に入札がありません。二、三日が過ぎて、期限がせまってきても、反応がなく、 やはり興味を持ってくれる人などいないのかと、 半ばあきらめて、締め切りを待って、取り下げてしまったのです。

もちろんこんなことは、世の中の動きと何の関係もありません。
私がオークションに空しい期待を寄せているうちにも、九条にかかわる解釈改憲とやらが 内閣で閣議決定されてしまいました。
日本國憲法自体の価値がこんなにもないがしろにされているのだけら、 『官報號外 日本國憲法』も価値が薄れるのは当然だと、私はオークションをきっぱりと断念しました。 それでも、やはり未練が棄てきれず、もしかしたら歴史的遺物としてどこかの高校で貰ってくれるかも しれないと、大事に封筒に入れて書棚にしまいました。妻にだけは、このあたりにあるからと 言い置いたのですが、まったく相手にもされませんでした。
フェイスブックの反応もそれっきりで、何の反応もなかったので、私は、「官報号外」のことは 念頭から消し去られ、書棚のどこにしまったのかも忘れてしまいました。
それから、半年ばかり過ぎて、安全保障にかかわる法律が国会で議論されるようになりました。
そんなある日、国会中継を見ていた私は、あの我が家の唯一の歴史的遺物ともいうべき(?) 「官報號外 日本國憲法」のことを思い出したのです。どうせ日本國憲法を読むのなら、 それを読みたいと考えたからです。 しまいこんだあたりを探してみると、 さすがに半年しかたっていないこともあって、簡単に見つけることが出来ました。 私は、書棚から封筒を取り出してきてそっと開いてみました。
半年前と同じように今にも崩れてしまいそうですが、それでも条文を読むことはできます。 扱いに気をつけながらしばらくめくったり、眺めたり、拾い読みしたりしていると、 眠くなってきたのです。
私は、リモコンで国会中継のテレビを消して、冊子をそっと畳に伏せて、 そのまま昼寝を決め込むことにしました。

眠り込む前の夢うつつに一つの俳句が浮かびました。こんな句です。

憲法の官報伏せて大昼寝

その句を唱え、推敲しながら眠ってしまったのです。ちょっと眠るつもりが大昼寝になったようで、 目が覚めると何やら様子が違います。しかし、何かがこれといって変わっているわけではありません。
寝る前に枕元に置いた「官報號外 日本國憲法」も、そのまま伏せて置かれています。 が、何だか様子が違います。妻もどこかに行ったのか、気配がありません。
寝すぎてぼんやりした頭でまわりを見回していると、 玄関の扉をドンドンとたたく音が聞こえてきました。妻の声が聞こえないので、 私はあわてて立って行きました。玄関を開けると、不機嫌な顔で男が二人立っています。 一人はいかつい体つきで、背広を着ており、若い方はカッターシャツ姿です。 年上の男が、警察手帳を取り出して、 刑事を名乗りました。二人とも私服の刑事だというのです。
ベテランの方が紙切れを取り出して、早口に何かをいったのですが、私には聞き取れません。
若い刑事は、後ろに控えています。
「何か、取調べですか?」
私は、聞き返しました。
「だから、今言っただろうが、お前は家に『官報号外 日本国憲法』を持っているそうだな。」
と、男は前置きもなく本題に入ってきました。
私は刑事の剣幕に押されながら、心の底に妙な落ち着きがあるのに気づきました。 ある種の夢の中のできごとのような覚めた思いがどこかにあったのです。
私は素直にうなづきました。
「ほー、正直に認めるんだな。」
「はい、隠しても同じですから……それにしても、どうしてそんなことがわかったんですか?  そんなこと……」
「どうしてって、Yahooに出しといて、どうしてもないだろうが。」
と、刑事は嘲るような笑いを浮かべて言いました。
「あの三年前のYahooのオークション、『官報号外』とやらを五千円で出した 勧進スキーとはお前のことだろうが……。」
私は、頷きました。勧進スキーというハンドル名まで調べられているのです。 そもそもそんなに隠すほどのものでもないからです。
それよりも、私が不審に思ったのは、あのオークションに出品したのは、 解釈改憲がなされた半年前だったのに、刑事が三年前と言ったことです。 いくら六十七になったとは言え、そこまではボケていないはずです。 そう考えつつも、私は混乱しはじめていました。
刑事が、何らかの意図があって、嘘をついているようにも思えません。
しかし、そのことにこだわっている余裕はありません。 いずれわかることだと、私は覚悟を決めて、そのことについては今は追及しないことにしました。
「まあ、正直でよろしい。では、違法書籍所持で逮捕する。」
刑事は、手の中でくしゃくしゃになっていた逮捕状を再び広げて私に見せました。
私は刑事から、その逮捕状を奪い取りました。自分の手で開いてじっくりと眺めました。 手が震えているのがわかりました。
書類には、まず「逮捕状(通常逮捕)」 とあり、氏名欄には、私の名前が書かれています。
名前を確認してから、その下の欄に「上記被疑事実により、被疑者を逮捕することを許可する」 という記述があることに気づきました。確かに、私に対する逮捕状のようです。
瞬間にそれだけ確認した私は、その欄の中に日にちが書き込まれているのを 見つけたのです。その日付は、逮捕状の内容よりも、ショッキングなものでした。
−−三年も経っている……
私は、パニックになりそうになりながら、私は日付から目を離すことができませんでした。
この時勢だから、あの『官報号外 日本国憲法』の冊子を持っていることで、 逮捕されるということはありえることかもしれない。そのことは社会情勢によっては 起こりえることだ。私はそんなふうに考えていました。
しかし、日付が飛んでいることは、どうしても納得できない。おかしい。 もし日付が正しいとすれば、私の記憶がその三年分欠落しているということだ。 これは不条理なことです。私がボケたのか、私の記憶が脳溢血か何かの発作のようなものによって 飛んでしまったのか、 それとも、何か……、いくら考えても、 何が起こったのかわかりません。そして、私は、ふともう一つの可能性に気がつきました。 もし、もし私がおかしくなったのではなかったら、……それしかない、そう、タイムスリップ……。 残されたもう一つの可能性はタイムスリップ、それしかありません。
私の頭が正常ならば、昼寝している間にタイムスリップしたのです。そうとしか考えられません。
「オークションに出した『官報号外 日本国憲法』を出してもらおうか。」
刑事は威圧的に命令しました。私は、昼寝していた部屋の床に伏せて置かれていた『官報号外 日本国憲法』を取ってきて、刑事に差し出しました。
「その号外は、古いのでもうぼろぼろになりかけているけれど、値打ちがあるんだから、 大切にしてくださいよ。」
私は封筒を渡しながら遠慮がちに刑事に訴えました。
「心配することはない。ちゃんとその封筒に入れて、このファイルに挟んでおくから、……。 しかし、なあ、お前さんにとってはこれは唯一の証拠なんだからな、もしこなごなに砕けたら、証拠不十分で無罪放免になるかも知れんぞ。」
まじめな顔で、刑事は冗談を言いました。もちろん私も笑いませんでした。若い刑事だけが若い声でけらけらと笑いました。
「逮捕状に『違法書籍』とありましたが、その『官報号外 日本国憲法』は違法書籍なんですか?」
「そのとおり、違法も違法、……新憲法が成立して、それに反する旧日本国憲法に関する書物は、 違法書籍ということになった。知らんとは、言わせんぞ、憲法の趣旨に反する書物は違法とするといいう 法律も先の国会で成立したんだからな。」
「じゃあ、いっしょに警察まで来てもらおうか。」
若い刑事が、私の腕を取って連行の素振りを見せました。
「ちょっとまってください。妻にも事情を言っておかないと……。」
「奥さんには、われわれの方から説明するから、とにかく、これは逮捕だからな、お前に 何のかの言う権利はないわけだ。」
私は、そのまま二人の刑事に従うしかありませんでした。
「服だけは替えさせてくれないか。」
私は、ベテラン刑事に頼み込むように言いました。 若い刑事が家にあがりこんできて、私が着替えるのを見張っていました。 私は二人に挟まれるようにして、そとで待っていた車に乗せられました。
−−やはり、三年経っているのだ。その間に新憲法が制定された。私の 知らないうちに世の中のページがめくられていたのだ。
私は、『官報號外 日本國憲法』の所持で逮捕されたことよりも、タイムスリップについて、 その謎をしりたいと考えていました。
−−どうも、昼寝の最中にタイムスリップしたことは確かなようだ。 しかし、なぜそんなことになったのか……
。 まったく思い当たることがありません。タイムマシーンなんか見たこともありません。 そもそもタイムスリップなど信じてもいないからです。
私は、昼寝の直前のことをいろいろ思い出して見ました。すると、ふとあの俳句、 眠る前に心の内で唱えた俳句が浮かんできたのです。いまでもちゃんと覚えています。

憲法の官報伏せて大昼寝

この俳句が、タイムマシーンのきっかけをつくったのかもしれない。ふと、そんな気がしたのです。 そうとしか、考えようがありません。 −−この俳句が何らかのタイムスリップのきっかけになったのなら、それこそタイムマシーン というより、俳句マシーンだ。
車窓からそとの町並みを眺めている内に、私もまた、 こんなふうな冗談が言える余裕ができていました。
たまたま、この俳句が時間のトンネルを開く呪文だったのかもしれない。
「けんぽうの かんぽうふせて おおひるね」とつぶやいてみました。
何も起こりません。唱えただけでは無理なのか。すると、もしかしたら、昼寝が 条件かもしれない。あの呪文を唱えてから昼寝をする。するとその昼寝が大昼寝になるのかもしれない。 どこがどうなっているのかは分からないながら、どうもそんな気がしてきます。 しかし、私は、もう一度、三年後にタイムスリップするのではなく、はじめの時代に戻りたいのです。 だとすると、同じ呪文ではだめだということになります。 三年前に戻るための呪文を探さなければなりません。 まったくわからないながら、三年前に戻る呪文のヒントは、きっとこの三年後にタイムスリップ する俳句の中にしかないように思うのです。
警察署につくまでの二十分ばかりの間、私はずっとこんなふうな自問自答を続けていました。
【この稿続く】


2015.7.1
フェイスブックより

フェイスブックに、一日一句の目安で拙句を投稿しています。
また、拙句とともに、その季語を詠んだ名句を引いて、ちょっとした感想も添えています。


6/1
「今日の拙句です。

老いの死にいつしか淡し花うつ木
人の世に死ぬるは独りまくわ瓜
牛蛙聞きつつ石段上りけり
番ひ蝶屋根の起伏をなぞりゆき

下二句は写生句なのですが、なかなか思うようには詠めません。
ということで、今日は「卯の花」の写生句。

夕日いま卯の花垣に移りけり  平川巴竹

こんなふうに詠むにはどれだけの修練が必要なのか、想像もできません。もちろん修練だけではないのでしょうが。」

フェイスブックへの投稿は、以上ですが、もう少し解説を加えてみます。
一句目、この「老いの死」というのは、自分の死でもあるし、人の死でもあります。 自分の死に淡い思いをしか抱かない、あるいは人の死というものに冷淡ということもあるわけです。
私は、息子を亡くしてから、いつのまにかそのような性向になっているように思います。
二句目、笹木桃虹さんの言われるように人間の生死は、まさに独りでゆくしかない道なのです。


2015.7.1
俳句

今月の俳句

苗筋に騙し絵のある植田かな
根切虫愉快犯としか思われぬ
遺灰バッグに遠き摩天楼眉の月
   (九年前の秋、ニューヨークにて)
手の臭ひつけてしまひし燕の子
内と外糞まり分くる燕の子
夫婦して溝のさつきの花を摘み
梅雨寒や十年を聞かぬ人の声
癌のこと父は知らずに麦こがし
日照雨初老の影を前に踏み
でで虫の近江の海を曳く如く
でで虫の道の真中に動かざる
蜘蛛の囲の後ろの妻にかかりけり
龍の玉百足千匹殺しけり
拳穴覗けば蛍臭ひけり
息遣ひ自と深しほうたる
酔い止めを飲んで多度津の夏霞
鳥の鳴く墓苑に遺灰撒かれけり
ほうたるや拳の穴に臭ひけり
パセリの香口に残れり箸を置く
片口に八女の新茶のほぐれけり
月明に遺品の指輪のイニシアル
梔子の花の辺にわが眉白し
かずら橋妻も揺れをり合歓の花
ポルトガル語の遺灰証明賢治の忌
サンパウロに線香求む秋彼岸
ラテン風骨箱の鳴る昼の月
地の日矢が機上にまぶし朝の月
明易や死ぬこと淡くなりしかな
玄関の鍵つけしまま夏至の明け
室外機に蜂もぐりゆく夏至曇


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