「うずのしゅげ通信」
2015年9月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集
明るい予兆と暗い予兆
フェイスブックより
俳句
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発行が少し遅れました。おわびいたします。
2015.9.1
明るい予兆と暗い予兆
参議院で安全保障関連法案の審議がなされており、それに向けて各地でデモがおこなわれています。
デモに対する批判もさかんに飛び交っていますが、デモそのものは、
日本社会が健全であることの証であると思います。
そこから垣間見えているのは、明るい予兆です。
デモを詠んだ拙句です。
棄てビラや太蚯蚓鳴く兜太の字
シュプレヒコール蚯蚓も鳴くやデモの列
月のデモ玻璃越しに打つ外の火蛾
句にもありますが、金子兜太さんが書かれたビラの字はすばらしいものでした。
俳句をやるものとして誇りに思いました。
しかし、心配なこともあります。その一つが、両論があるとき、一方の意見を支持する集会に会場を
貸さないといった風潮です。
たとえば、原発には賛否両論があります。それは当然のことですが、そうなると原発反対の劇の
公演に会場は使わせないということです。
あるいは、原発反対の句歌を文化部だよりに掲載することはできないというのです。
これは悪しき風潮です。日本社会の病である過剰忖度が現れていて、公務員など、
反対派の抗議によってトラブルになることをおそれて、貸さないという方向に判断してしまうことが
多くなるにちがいありません。
これは悪い予兆です。こういった風潮の行き着く先は、戦前の日本に見られた一色の翼賛社会そのもの
です。
教育の中立性もまたおなじような心配を抱かせます。
徐々に徐々に日本社会が病に侵されてゆくようで不安に苛まれています。
2015.9.1
フェイスブックより
以下、8月8日にフェイスブックに投稿した文章です。
「今日の拙句です。
流星のごとき影ある肺写真
サシで聞く河内音頭や夏座敷
町民検診のレントゲン撮影で引っかかってしまったのです。
精密検査を促す紹介書が送られてきたので、仕方なく大きな病院にいきました。
初診の係りらしい医者が、間接撮影のフィルムのひとところを指して、
「ここらあたりが要注意かもしれませんね」とおっしゃる。私もじっくりと覗き込みました。
右肺の下方に白い斜めの線が走っているように見えます。
「この線ですか?」と私。
「今年と昨年のフィルム、同じような筋がありますから、何か炎症の跡かもしれませんが、
調べてみましょう」と医者。
ということで、直接撮影とCTまで写す羽目になったのです。
コンピューターに取り込めないというので、いただいたその間接撮影の写真、
家に持ち帰って改めて眺めてみると、ほんとうに流星が走ったような斜めの線が、
今年の写真にも、昨年の写真にも写っているのです。上の一句、
そんないきさつで浮かんできたものです。
ということで、今日は流星の句。
流星の使ひきれざる空の丈 鷹羽狩行
解説不要の名句であります。」
検査の結果は、念のために半年後にもう一度検査をする、ということになって、
まだ解放されたわけではないようです。
これから歳をとると、こういったことが増えてゆくのでしょうね。
2015.9.1
俳句
今月の俳句
診断書封して置かる遠花火
花火指すごとき今際の父の指
花火弁当予約回り来父の際
萍に池の面赤し広島忌
誘蛾灯の音聞こゆ明日長崎忌
うなかぶす枯れし向日葵長崎忌
流星のごとき影ある肺写真
サシで聞く河内音頭や夏座敷
萍に池の面赤し広島忌
痩身の師の歩危ふし赤まんま
初嵐切れ長の目に孫生るる
手話交へ手踊りぞよき宿の友
追わるるを演じし一世走馬灯
帰省子の不機嫌にゐる若白髪
水音のでどこもわかず天の川
裸子も翁の面が気にかかり
検閲済の印がぶれをり百日紅
朝顔や老いの迷ひの蔓の先
術後の目何見しなごり秋隣
みことのり十度(とたび)も聞きて終戦日
新涼や襁褓(むつき)を解けば空を蹴り
終の棲家か筋ごとに見ゆ昼の月
水風船の爆弾抱へ夏少女
吾に子の、弟に兄の盆の月
稲妻は背に落とされしハンカチーフ
手に萎る紫苑恋ふるは姫女苑
蝉の殻孫の手をへて移りたる
見交はして蟋蟀の声孫とゐる
をろがみて己が異形や仏手柑
子の数を訊かれることも秋の蝿
論文がすなはち遺稿月の旧友(とも)
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