「うずのしゅげ通信」

 2016年2月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

風潮

岡本正和さんのえんぴつ画

俳句

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2016.2.1
風潮

2015.12.4朝日新聞夕刊に次のような記事がありました。

「戦争の朗読劇 福岡で上演中止
   町『原爆写真、衝撃大きい』」
内容は次のようなものです。
「福岡県那珂川町の人権啓発イベントで町立中学校が上演予定だった朗読劇が、 町の判断で中止になった。戦時中の写真をスクリーンに映し、戦争の悲惨さを伝える劇だった。 写真の中に原爆で亡くなった子どもの遺体などが含まれていたことから、 町は『衝撃が大きい』と中止を決め、学校側も受け入れた。
町や学校などによると、イベントは町などが主催し、町内で6日に開く『人権フェスタなかがわ』。 人権啓発、反戦・平和を訴えるパネル展示のほか、ステージでは劇やダンスの発表などもある。 朗読劇は2年生数人で行い、スクリーンに第2次大戦やベトナム戦争時の写真を映し、 戦争の悲惨さを伝える予定だった。
写真には、長崎原爆資料館(長崎市)が『黒焦げとなった少年』『背中一面に熱傷を受けた少年』 と題して展示している写真も含まれていた。これらについて、町は『衝撃が大きい』などと判断。 武末茂喜町長が1日、最終的に劇の中止を決めた。武末町長は取材に対し、 『会場には乳幼児から高齢者までおり、ショックを受ける人がいるかもしれない』と話した。イベントを担当する町人権政策課は『劇の内容はすごく良いので、別の機会に発表してほしい』としている。
長崎原爆資料館は、これらの写真の展示で、特に注意を促したり制限を設けたりしていない。 (山下知子)」

この町の判断は、正しいと言えるのかどうか。いろんな考え方があると思いますが、 衝撃的だからこそ、意味があるとも言えるのではないでしょうか。この判断に、 非戦を訴える劇などにつきものの一方的だという批判に対する恐れ、あるいはそのことを 忖度した過剰な反応が混じっていないかどうか。
観にいくかどうかは、あらかじめパンフレットにこういった内容で、こんな写真もありますと載せておけば、見る側が判断することではないでしょうか。
以前にもこの「うずのしゅげ通信」で書いたことありますが、現在の日本、急激に忖度社会になりつつあるように思います。非難を恐れ、あらかじめ忖度して、意欲的な試みの芽を摘み取っている、 そういったことがあちこちで見かけられるように思います。
そんな社会になると、メッセージを持った劇など、上演することができなくなってしまいます。
批判するのなら、上演を観た上で、充分に議論すればいいことではないでしょうか。
表現の自由を押さえ込んでまで、忖度するのは、過剰反応だと言われてもしかたないことだと 考えます。


2016.2.1
岡本正和さんのえんぴつ画

山口県宇部在住の画家、岡本正和さんから、「えんぴつ・ペン画 スケッチノート」No.19と25を送っていただきました。
岡本さんの奥さんが妻の友人で、 私が宮沢賢治の劇を書いていることを知って、賢治関連の絵が載っている画集を 送ってくださったのです。
やわらかいタッチのえんぴつ画、ペン画ですが、岡本さんのやさしさがにじみ出ているようです。
これまでに画集を二十数冊出しておられて、贈っていただいた二冊にもいろんなえんぴつ画が 載っているのですが、岡本さんの了解を得て、賢治に関連する絵をコピーさせていただくことに しました。
これらの絵の幾枚かは、三上満さんの「賢治の北斗七星」という本のために 依頼されて描かれたものだそうです。
「辞典」とあるのは、「宮澤賢治語彙辞典」からの引用です。



←イギリス海岸
「花巻市の中心街から東北約2km、北上川と猿ヶ石川の合流地点に
賢治が命名した地名。」(辞典)













         小岩井農場→
「1891(明治二四)年創業の日本最大の民間総合牧場」
「賢治はしばしばここを訪れたが、彼を魅了したのは
日本離れした北欧の大農場を思わせる近代的な雰囲気と、
愛してやまない岩手山麓に開けた広濶な自然環境であった。」(辞典)





←「よだかの星」の碑
花巻市の宮澤賢治記念館の前。








        岩手山と七つ森→
岩手山は、「盛岡の北西約20kmにあるコニーデ型の美しい火山。
標高2041m。」
七つ森は、「盛岡市の西方、(中略)七つの山からなる。」(辞典)



←くらかけ山
「標高897mの山。小岩井農場(中略)方面から見ると
東岩手山(岩手山)の手前に見える。」(辞典)











       岩手大学農学部・農業教育資料館→
「盛岡高等農林学校の本館として、大正元(1912)年12月に建てられ」た、
とHPにあります。
「青森ヒバを用いた明治後期を代表する木造二階建ての欧風建築物」
だそうです。














  ←「銀河鉄道の夜」をイメージした鉄道橋
JR釜石線の鉄道橋。
この橋は、改修前には岩手軽便鉄道でも利用されていて、
賢治が「銀河鉄道の夜」を発想するきっかけにもなったようです。














2016.2.1
俳句

一月十七日にフェイスブックに投稿した文章です。

「今日の拙句です。

亡き人のわが心の坐水仙花

今日は阪神淡路の震災忌でした。
自分の心の中に亡くなった身内、知己の座があるように思っています。 時々なくなった人がそこに座りにくるのですね。 また震災の忌日や大きな事故などがあるとその座がざわざわして、いろんな思いが去来します。
二十一年経ってもなお癒えぬ悲しみに思いを致して。」

以下、一月にフェイスブックに投稿した句です。

老い二人畏みもせず屠蘇の膳

連結に老い二人ゐて初詣

大根の水より冷ゆる白さかな

初夢やわれに遥かの思い人

正月はなぜか遺影と眼が合ふて

寝正月遺影を避けて肘枕

年始客に遺影の巡(めぐ)りも賑はひて

無用者の系譜大樹に蔦枯るる

枯芒枯れてはますぐに風を受く

蝋梅の黄葉を残して咲きにけり

寒烏しほたれをれば背に鳴けり

早梅の季(とき)至らぬは淋しけれ

早梅の先散る一生(ひとよ)惜しむなよ

爺爺のワキ板に付き小正月

年々に味うすくなり薺粥

人日にテロ打ち続き粥噴けり

人日のひば垣を刈る匂ひかな

初夢やわれに遥かの思ひ人

買初や澄雄句集の澄雄の字

寒鴉弄びしがわれに飛ぶ

父逝きて万両殖えし庭の内

山越えの弥陀の御座(おは)すや初二上

初句会水琴窟の塚ほとり

風呂吹の鍋ねんねこにくるみあり

人日の外(と)つ国のテロ粥噴けり

椚(くぬぎ)葉も一遍旅寝の厚さかな

椚(くぬぎ)葉も一遍旅寝の褥かな

後影一遍上人初焚火

鏡餅返して罅(ひび)の深さかな

椚(くぬぎ)葉も一遍旅寝の褥かな

阿修羅の絵巻きて賜る寒昴

放蕩の祖父に倣ひしごんぼ綯ひ

ごんぼうの火を得てねじれ解き放つ

はじめてのハグわれの背に悴む手

亡き人のわが心の坐水仙花

大寒の毛脛ぶつけし痛さかな

大寒や干し物叩く妻の音

裸木の末(うれ)の癖むも美しく

紅梅の徒長枝に染む寒の紅

玄冬や善哉の灰汁取りきれず

龍の玉十年(ととせ)なほ聞く人の声

第二芸術論とふいけず春愁ひ

大審問官虚子のだんまり龍の玉

大審問官虚子の蔵する龍の玉

大審問官虚子俳三昧冬の苔

大審問官虚子の哄笑寒鴉

大審問官虚子の諷詠月冴ゆる

貫きて薄氷(うすらひ)とどむる池の葦

十年(ととせ)なほ声みみぞこに龍の玉

裸木の雪が靡きて幽かなる

薄ら雪古塚(ふるづか)くだる靴の跡

死なしめし思ひもて切る水仙花

佇めば枯葉小走る音も止む

木蓮の花思はする太芽ぐみ

裸木の雪散りかかる幽(かそけ)さや

死なしめし思ひに挿せり水仙花



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