内部調整と政治学

 内部調整と政治学との関係は、共通の財源は、集団の構成員の経済活動に負っている、という明白な事実の上に成り立っています。集団の内部には、経済活動が個々に異なることから発する利益や必要性の違いがありますので、この共通の財源の使われ方や負担をどのように決めるのかということは、大きな政治問題となるからです。
 古典古代にあっても、プラトンが、『国家論』において支配層における財産共有性を説いたことは有名ですが、政治学と経済とは、古典政治学の発祥の時点から(不幸にも?)結びついています。このプラトンの説は、その後の政治学をいささか混乱させることになりましたが、近代に至りますと、より全体的な文脈において、経済活動を国家に完全に吸収させてしまう理論が現われてきます。そのひとつは、マルクス主義であり、もうひとつは、ナチズムとファシズムです。
 これらの思想の特徴は、個人の自由な経済活動を認めず、個々に異なる多様な利益を国家権力によって上から強引に管理統制する、という発想にあります。共産主義が国家のイデオロギーに据えられますと、国民は、国家財政の決定への参加どころが、個人の職業選択や営業の自由、さらには、私的な所有権されも奪われてしまいます。この結果、あらゆる経済活動は、国家の政府(実際は党)によって完全にコントロールされるのです。こうして、イデオロギーによって政治と経済が一体化した共産主義国家は、独占的な配分マシーンと化すのです。
 共産主義の対極と言われたナチズムやファシズムもまた、この経済の統制という意味においては共産主義と共通しています。ただし、こちらの極にあっては、私有財産制を廃して経済全体を直接的に掌握するというよりも、私的経済活動を認めつつ、それらの活動を戦略系の政策目的に従属させるという方法をとります。つまり、後者は、経済の間接支配を目指すのであり、むしろ、軍事を優先するあまりの経済に対する無関心、ともとれるのです。
 これらの左右の全体主義国家を建設した結果、何が起きたかはすでに歴史が証明してますので、ここでは詳しくは述べません(戦争による敗北と社会・共産主義体制の崩壊…)。
 その一方で、全体主義国家ではない自由主義国家では、政治学における内部調整は、利益集団に注目した政治過程論などにおいて追及されています。アーネスト・バーカー、ハロルド・ラスキ、マッキバ―といった政治的多元主義者をはじめとして、ベントリーやトルーマンなど現代政治学者の多くは、政治の本質を、多様な利益の調整とみなしました。政治システム論を唱えたデビット・イーストンの「諸価値の権威的配分」という表現は、現代政治学ではよく知られた定義です。自由主義国家では、国民の中に多様な利益が存在し、また複数の政党があることを前提としていますので、政策形成過程におけるそれらの相互作用が大いに注目されたのです。戦後に強まった現実重視の姿勢は、やがて、実際の政治アリーナを観察対象とした、実証主義研究を発展させてゆくことになります。
 以上に述べてきましたように、古典古代の時代から、政治学と経済とは、財政が介在するゆえに、付きつ離れずの微妙な関係にありました。そうして、国家にあってイデオロギーが具体化されたときに、理論破綻と現実破綻の両悲劇に見舞われることもあったのです。


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