日本書紀紀年法入門においては、神功元年から雄略五年までの間に設定されている日本書紀紀年法の基礎となる構造を見てまいりました。
 日本書紀紀年法は、古事記崩年干支を用いますと、数学的にも矛盾なく、きれいに解き明かすことができます。日本書紀という我が国最古の正史には、プラス・マイナス120年構想、多列・並列構想という、たいへん興味深い、また、驚くべき構想が設けられてあったのです。
 日本書紀の年紀は、ようやく実年代を求めることができるようになったのですから、歴史学と考古学の距離は縮まったと言うことができるかもしれません.
 しかしながら、これらの構想や構造については、なぜ、「確定紀年」と「延長紀年」が設定されているのか(太子や譲位帝の問題が関連しているのかもしれません)や、120年という数字には、どのような意味があるのか(讖緯暦運説との関連?)など、まだまだ多くの課題残されています。また、日本書紀の編年には、他にも、さらなる構想が隠されていると推論することができます。
 読者の皆様が、本ホームページの歴史学コースを参照されて、これから、さらに、日本古代史の研究を発展させていっていただけたならば、本コースの講師としてこの上もない幸いです。

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1.プラス・マイナス120年構想