コラム1 裁判員制度は望ましい?

裁判員制度は、司法の民主化の掛け声のもとで、2009年に導入されることが決定されています。しかしながら、この制度の導入には、幾つかの問題点を指摘することができます。
 第一に、民主主義は、司法分野の制度化に、必ずしも馴染むわけではないということです。政治分野にあっては、参政権は一人一票同価値を持ちますが、裁判員制度での民主主義は、よくても裁判員選出の抽選に当たる確率の平等しか意味を持ちません。しかも、裁判員は、事実認定のみならず、法の適用も行うのですから、抽選で統治権力の行使者が決定されることになります(運任せ…)。この場合、むしろ、国民には権力行使者を選ぶ機会はないことになるわけですから、これを民主主義と呼んでもよいものかも怪しい限りです。しかも、司法の民主化をスローガンとしながら、裁判員制度をマニフェストに公約として掲げた政党はありませんでした(民主主義の本末転倒!)。このように、中立・公平性が重視される司法の文脈に民主主義を据えることが適当であるかについては、大いに議論の余地があるのです。
 第二に、司法の民主主義は、立法の民主主義と対立する可能性もあります。これまで、秩序維持の分野における民主主義の原則は、“皆が守るべき共通ルールは皆で決める”、という自治の原則として働いてきました。しかし、裁判員制度にあって、法の解釈に裁量の余地を大きく認める、ということになりますと、裁判員となった一部の人々の意見によって民主的に制定された法が恣意的に運用されるかもしれないのです。
 第三に、裁判員制度のもとでは、裁判員に選ばれた人々の個人的な信条や体験が、裁判の判決を左右することになります。裁判では、同一の犯罪には同一の刑罰が科せられることが原則です。しかしながら、裁判員の個人的な見解が、他者の生死までも決定するということになりますと(死刑判決も可能)、裁判に対する信頼性は大きく揺らぐかもしれません。同一の罪であるならば、誰が裁いても同じ判決とならなくては不公平となりましょう。
 以上に述べたことは、問題点の一部に過ぎませんが、その他にも考えるべき点はあります。現行の憲法は裁判員制度の導入を予定していませんので、本来、憲法改正が必要となる問題です。また、古代アテネでも、抽選によって権力行使者が選ばれたため、統治機能がマヒして、アテネ衰退の原因ともなりました。いずれにしましても、司法制度とは、国民が信頼を寄せるような制度とならなくては長期的には長続きはしません。ここで立ち止まって、もう一度裁判員制度の導入を再考しても決して遅くはないのです。(2007年3月25日執筆)

コラム2 バージニア工科大学銃乱射事件
−現代という時代の縮図−

  2007年4月17日、アメリカバージニア州に所在するバージニア工科大学において、史上最悪と言われる銃による無差別大量殺害事件が発生しました。この事件により、将来を嘱望された若い学生の方々、そうして先端的な研究に携わってきた教授の方々も、人生の半ばで突然に命を奪われ、無残にも銃弾に倒れることになりました。この日は、ご遺族をはじめとして、アメリカ全土が深い悲しみに包まれる日となったのです。
 この悲惨な事件は、単なる事件では終わらせることのできない、多くの課題を残すことになりました。凶器として銃が用いられたこと、そうして、犯人が永住権を持つ韓国人であったことは、現代という時代が抱える問題を白日のもとにさらすことになったからです。これらの事実は、@社会の安全、A移民と社会的亀裂、B個人と国家あるいは民族という極めてセンシティブな問題と否が応にも繋がってしまうのです。

 第一の社会の安全とは、マスコミではアメリカの銃規制問題として扱われていますが、この問題の本質は、アメリカの銃政策そのものにあるのではありません。銃の規制の有無にかかわらず、暴力的なテロは手段を選ばずに実行されるからです。凶器が、銃であろうと刃物であろうと、社会が、暴力の危険にさらされることには変わりがありませんし(日本でも、長崎市市長が銃弾に倒れました)、仮に、アメリカが本当に銃社会ならば、自衛のために応戦する人が現れたはずですので、むしろ事態はこれほど悲惨にはならなかったという指摘もあります。つまり、この事件にあっては、“誰が凶器を持つ状態が危険なのか”という問いにこそ、問題の核心が存在しているのです。
 このことは、中途半端な凶器の規制の方が、よほど危険であることを示唆しています。つまり、大部分の人々が銃を所持できない状況にあって、ある一部の人、それも暴力的な傾向を持つ人が銃を持ってしまった場合の方が、その結果は、はるかに悲惨を極めてしまうということです。それ故に、国民を守ることを任務とする国家が“物理的な力を独占する”ということになるのですが、それが徹底していない場合には、無防備な人々は、暴力手段を持つ人に、常に自らの生命、身体、財産を脅かされることになるのです。
 このように考えますと、政府は、危険人物や集団に暴力的な手段を与えないように最大限の努力を傾けなくてはならないことになります。そうして、この問題は、国際社会に視点を移しますと、核拡散防止条約(NPT)体制の問題とも重なります。一部の暴力的な国家が、圧倒的な破壊力を備えた核を保持した場合、無防備な国家は、自らの安全を自らで守ることはもはやできなくなるのです。国内外を問わず、社会の安全のためには、もう一度、物理的な手段を持つ者の“資格”について考える必要がありましょう。

 第二の移民と社会的亀裂の問題は、この事件が、韓国籍の永住者によって起こされたことから提起される問題です。アメリカは、建国当初より移民国家であることもあって、世界中の様々な国から移民を受け入れてきました。この意味において、アメリカは、移民に開かれた国ではありますが、それでも、民族間の摩擦や軋轢が全くないわけではありません。
 この問題には、統治学入門で指摘したようなアイデンティティーの分裂問題が潜んでいます。何れの国でも、移民はしたいけれども同化はしたくない、あるいは、移民はしたけれども同化ができない、という現象がしばしば観察されています。社会的分裂が高じますと、移民集団が、テロや犯罪といった反社会的行動に走るということは稀ではないのです。この場合、受け入れ国に一方的な寛容と受忍を説くのみでは解決しませんので(被害にあう国民の不満が鬱積してしまう・・・)、移民する側に対しても、他国の社会で生きるためには、どのような心構えを持ち、何をすべきなのか、ということを、もう一度問うてみる必要があるようです。

 第三の問題は、個人と国家あるいは民族との関係は、現代においてどのような意味を持つのか、という問いかけです。犯人の出身国である韓国では、この事件をきっかけとして韓国人差別が発生するのではないかと懸念が広がっているという報道がありました。個人と国家あるいは民族との関係は、“ない”といは言い切れないのが現実です。社会とは、個々人の集まりでもありますので、凶悪な犯罪者が現れますと、その人物を生み出した社会(民族)に対しても不信と警戒の目が向けられてしまうのです。個人主義の時代とはいわれますが、何らかの事件がありますと、潜在していた民族意識やアイデンティティーの問題は、すぐに表に現れてきます。いずれの国でも、犯罪者を出さないように、一般的な倫理原則に基づいて家庭や学校で教育を行っているのは、このためでもあります(教育政策における暴力の礼讃やテロの容認は問題・・・)。国民間の連帯性は、この側面においては共同責任として働くのです。このことを忘れて“個人は個人”と割り切って凶悪な犯罪に及んでしまいますと、たとえそれが個人の行為であっても、自国の人々に対して著しい損害と不名誉を与えてしまうことになるのです。

 これらの諸問題は、この悲惨な事件が、教訓として私たちに与えてくれた問題の一部でしかないかもしれません。しかしながら、私たちは、これらの教訓を真摯に受け止めることによって、より安全な社会を築いてゆく責務を負うのではないかと思うのです。
 無慈悲な事件である中で、学生を守るために盾となって犠牲となられた教授の行為に、人の命を守ろうとする人間性の尊さが見出されたことは、救いでありました。亡くなられた方々のご冥福を、心より祈りつつ。(2007年4月19日執筆)


コラム3 戦争の放棄は不道徳

日本国憲法の第9条には、“戦争の放棄”と“戦力の不保持”に関する文言が置かれています。この条文は、これまで、平和憲法の象徴として評価されつつも、自衛隊の設立、日米安全保障条約、イラクへの自衛隊派遣など、ことある毎に、国内世論が違憲問題をめぐって揺れる原因になってきました。今日、憲法改正のための国民投票法が制定される中で、この憲法第9条が抱える問題点を、平和の実現という観点から考えてみることは、決して無駄なことではないでしょう。

それでは、平和とは、どのような方法で達成できるのでしょうか?この問題は、既に統治学コースにおいて論じましたが、世界帝国の成立による“奴隷の平和”をよしとしないならば、国家並立型の国民国家体系の中で実現するしかありません。そのためには、相互に法的に確定した国境を尊重し、武力による侵略行為を行わない必要があります。

この相互の自己抑制が守られており、覇権主義的な国家が存在しない場合には、国家間の平和は維持されることでしょう。しかしながら、この平和が崩壊するのは、平和を維持するための共通規範としての国際法を無視したり、一方的な口実によって他国に対して攻撃を仕掛ける国が現われた時です。例えば、今この時点においても、核拡散防止条約を一方的に無視し、核開発を行って他国に対する攻撃力を持とうとしている国が存在しています。また、チベットのように、既に侵略が行われ、そのままの状態となってしまった国もあります。他国から一方的な攻撃を受けた場合、“戦わない”となりますと、それは、無法国家の勝利を意味します。これでは、“悪いもの勝ち”になりますので、人間社会の根本倫理に反してしまうのです。つまり、“全ての戦争を放棄する”というふうに第9条を解釈しますと、日本国憲法は、侵略国家を容認していることになってしまうのです。同じことは、無差別殺人や拉致などのテロに対しても言えます。

そもそも、第二次世界大戦の連合国を引き継いで設立された国連は、侵略国家に対する加盟国の軍事行動を規定していますので、無法国家に対する正義の戦い、つまり正戦の論理を基礎としています。日本国憲法の第9条は、この国連の正戦の仕組みに自国の命運を任せたともとれますが、実際に、この仕組みが、日本国が期待していたように機能するわけではありません。何故ならば、安全保障理事会において常任理事国に認められている拒否権は、常任理事国による侵略行為には正戦の仕組みが発動しない、ということを意味しているからです。中国の軍拡からも危惧されますように、常任理事国が覇権主義に走らない保障はどこにもありません。つまり、日本国の安全は、国連によっては保障されていないのです。日米同盟の重要性は、この同盟こそが、現実に日本国を守っていることにあるのです。

このように考えてみますと、戦争の放棄が必ずしも道徳的に優越しており、かつ、平和に貢献するわけではないようです。第9条の問題は、解釈の変更のみで可能との見解もありますが、放棄すべき戦争を侵略戦争に限定し、無法国家に対する自衛戦争と制裁戦争は認め、かつ、民主制度のもとで軍隊の統帥権を首相に認める方が、よほど自国と自国民を守り、国際秩序の維持に貢献できるのではないでしょうか。戦争から半世紀を過ぎた今こそ、日本国民は、国際社会に対する責任を自覚し、責任をもって法と正義による国際秩序を築くべく、その崇高なる使命を果たしてゆくべきものと考えるのです。(2007年5月3日憲法記念日執筆)


コラム4 新聞販売のシステム再構築について

  新聞業につきましては、独禁法において特殊指定を受けており、長らく再販売制度が維持されてきました。再販制度の廃止が何度か検討されつつも、現在までのところ、抜本的な改革には至ってはおりません。
 新聞業におけます再販制度維持の最大の根拠は、戸別配送の維持にあります。仮に、再販制度が廃止されますと、戸別配送を打ち切るか、もしくは、配送料を上乗せしなくてはならない、という主張があるのです。また、競争の激化により廃刊せざるをえない新聞もあらわれるかもしれません。そうなりますと新聞社数が減り、民主主義を支える言論の多様性をも失われてしまうのではないか、ということも懸念されているのです。しかしながら、その一方で、現状のままですと、新聞社間に競争のメカニズムは働きませんし、また、独自の販売網を持たない事業支社は、新規に新聞事業に参入することもできません。
 この問題の解決のためには、まずは、“仮に再販制度を廃止されても戸別配送が維持できる”、という方法を考えなくてはならないようです。そこで、新たな新聞販売システムを構築することが必要となるのですが、新聞の発刊事業を行う新聞社と託送ネットワーク事業者とを分離する方法も一案と言えそうです。この分離システムですと、新聞社が、取材や記事の執筆・編集といった紙面づくりと発行を行い、独立的な立場にある託送ネットワーク業者が、戸別配送を行うことになります(もちろん印刷部門の完全分離も可能・・・)。
 託送ネットワーク事業者の設立には、既存の新聞社の販売網(新聞各社の販売店)を統合・再編する方法、新規に設立した会社が新たに構築する方式、あるいは、宅配業者の参入を認める複線方式など、幾つかの方法が考えられます。この託送ネットワーク事業者は、エッセンシャル・ファシリティの提供者とみなされますので、各新聞社に対して中立的かつ公平に宅配システムを開放しなくてはなりません。また、公共サービス義務として、僻地への配達をも請け負うことになります。
 少なくとも、この方法ですと、独自の販売網を持たない事業者でも、新聞事業に容易に参入できるようになります。結果として、新聞社の数が増え、言論の多様性は、むしろ深まるかもしれません。表現の自由や言論・出版の自由、並びに、国民の知る権利の保障という観点に照らしてみましても、国民の選択の幅が広がるのですから、決してマイナスとはならないはずです。また、既存の新聞社にとりましても、これまで経営を圧迫してきました配送料の負担が大幅に減りますので、組織編成と事業の効率化のチャンスともなります。結果として、各新聞社が、購読者のニーズに答えた質の高い新聞の発行を争うようになりましたら、日本国の新聞システムは、大幅に改善されることになるのではないでしょうか。(2007年5月19日執筆)


コラム5 北方領土問題はロシアからの割譲要求!


 現在、我が国とロシアとの間には平和条約が締結されておらず、第二次世界大戦の戦後処理は、まだ完全には終わっていない状況にあります。このため、日ロ間の関係を早期に正常化させるために、択捉、国後、歯舞、色丹の四島の一括返還論に加えて、歯舞と色丹のみの二島返還論や共同統治論なども唱えられてきました。しかしながら、歴史的な経緯から見ますと、ロシアが北方領土の領有を日本国に迫ることは、明らかに、日本国に対する領土割譲要求を意味しています。言い換えますと、かりに将来結ばれるであろうロシアとの平和条約の内容に北方領土のロシア併合を認める条文が含まれるとしますと、それは、第二次世界大戦の結果、ロシアが領土拡張を行った、という事実を歴史に残すことになるのです。

 はたして、このことは、人類の歴史において何を意味することになるのでしょうか?北方領土問題の発生原因が、日ソ中立条約の一方的な破棄によるソ連邦の参戦と、降伏の意思表示であるポツダム宣言の受諾を表明した後に行われたソ連軍の侵攻と占領にあることは、良く知られるところです。つまり、ソ連邦による国際法の違反行為からこの問題は生じたのです。ソ連邦は、この行為を米英ソ間の密約であったヤルタ協定に基づく正当な行為とし、国内法によって自国の領土として編入してしまいました。

 ソ連側の主張は、主として、先に触れたヤルタ協定とサンフランシスコ講和条約の第二条(c)の千島列島の放棄に依拠しています。しかしながら、密約は国際法に照らして第三国を拘束しませんし、サンフランシスコ条約にはソ連邦は参加していません。ですから、これらの協定や条約は、北方領土領有の合法的な根拠とはならないのです。

 一方、日本側には、北方領土を固有の領土とする有力な根拠があります。江戸時代の1798年には、近藤重蔵と最上徳内が、択捉島に渡り、「大日本恵登呂府」の標柱を立てています。1800年には、日本国内と同様に郷村制が敷かれ、幕府の官吏も赴任しましたので、国際法上の先占の要件も充たしていたことになります。幕末となって、1855年に、ロシアとの間に日露通好条約が締結され、両国の境界線は択捉島とウルップ島の間に引かれることになりました。つまり、両国間は、平和裏に国境を画定したのです。その後の千島・樺太交換条約(1875年)、および、日露戦争のポーツマス条約(1905年)においても、北方領土は日本国領のままであり、領土の変更はありませんでした(固有の領土)。

思いますに、第二次世界大戦における連合国が掲げた正義は、“非道な侵略国家に対する戦い”でした。この姿勢は、1941年に米英首脳によって公表された大西洋憲章から、連合国共同宣言(1942年)、カイロ宣言(1943年)に至るまで、自らは領土不拡大原則を一貫して掲げてきたことからも、うかがうことができます。しかしながら、ここに至って、ロシアの北方領土領有を認めるとしますと、反対に、連合国側が、戦争(武力の行使)の結果として自らの領土を拡大させたことになってしまうのです。これでは、ドイツや日本の侵略を激しく咎めた連合国の戦争の大儀が失われてしまうことになりましょう。

第二次世界大戦とは、連合国、枢軸国ともに、尊い多くの命が失われた戦いでした。この悲惨な戦いと払われた犠牲を、わずかなりとも人類によりよき未来を与えるものとするならば、それは、二度と法が無視され、暴力によって支配されるような世界とならないための礎を築くことにおいて他はありません。北方領土問題を、日本国による領土割譲の承認という形で安易に決着させますと、再び国際社会は、暴力が支配する暗黒時代に逆戻りするかもしれないのです。ロシアがもはや北方領土の割譲を要求しなくなる時、その時こそ、武力による国境線の変更を“侵略”として否定した第二次世界大戦の連合国の大儀が、はじめて、名実ともに実現し、人類に共通の恩恵をもたらす歴史的瞬間ともなるのです。(2007年6月13日執筆)

                    


                                                 
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