1.プラス・マイナス120年構想   

 プラス領域では、前ページの図で示したように、「年代列」が折り重なって、平行していることがわかりました。それでは、図のような状態で折り重なっている根拠は、どこに求めることができるのでしょうか。


前ページの図のような状態で、6本の「年代列」が平行していることは、古事記に記される歴代天皇の崩年干支によって、明らかとなってきます。古事記崩年干支とは、古事記の扱う歴代33代のうち、15代にのみ分注として記載される崩御の年代です。プラス領域に属する歴代天皇のうち、応神天皇、仁徳天皇、履中天皇、反正天皇、允恭天皇の5帝についても、崩年干支が付されています。これらの崩年干支は60年で一巡する干支紀年法によって表現されているため、実年代で何年に位置づけられるのかについては、議論がありました。しかし、現在では、研究史上における精緻な検証を通して、以下のような年代に位置づけられることが、わかっています。


 
応神天皇の崩年干支の甲午年=西暦394年
 仁徳天皇の崩年干支の丁卯年=西暦427年
 履中天皇の崩年干支の壬申年=西暦432年
 反正天皇の崩年干支の丁丑年=西暦437年
 允恭天皇の崩年干支の甲午年=西暦454年



 実は、これらの古事記崩年干支の年代が、日本書紀紀年法を解く鍵となっています。これらの崩年干支を用いることによって、各々の「年代列」の実年代への位置づけが判明してくるのです。さらには、応神元年から雄略五年までの合計紀年数(192)を、「確定紀年」と「延長紀年(加算された紀年)」とに区別することもできるようになります。そして、古事記崩年干支によって明らかとなった「延長紀年」と空位年をプラスすると、ちょうど120となります。すなわち、古事記崩年干支には、日本書紀紀年法を解明する重要な役割が託されていたのです。
 「確定紀年」、「延長紀年」、空位年が、具体的にどのような状態となっているのかを図示したのが、次のページの図です。


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