+2004年01月の555(ファイズ)+

■第48話「雅人、散華」
 
 「変身ッ!」(草加)

 「憎まれ役であり続けた雅人の最後の変身は、真理を救うためか、それとも翻弄され続けた自らの運命と決着をつけるためだったのか・・・。」テレ朝公式だけど、これは真理を救うためと解釈したい。花形が灰になった時点で草加は目的を失ったような喪失感を抱いていたような。「生きて戦う」という宣言にもどこか悲壮感が漂っていたような。ゆえに最後はオルフェノクを滅ぼすために王と戦うことよりも、母になってくれるかも知れない女性という真理を助けるために戦うことを、「個人的に」草加は選択しただけのような。決断する踏切のシーン、及び自滅を自覚しながらゆっくりと「9」「1」「3」を押す最後の変身は良かった。されどかならずしも覚悟を貫けないのが仮面ライダー555。草加無惨。だが、守ろうとした女性にすら気づかれずひっそりと消えていく様はらしいと言えばらしい。真理も、巧でさえも必死に草加を求めていることがせめてもの救いか。その気持ちは伝わることなく灰になっちゃったんだけど。

 花形→木場の語りで全てが明らかになりましたね。もう、伏線は消化し切ったと感じました(何で流星塾が地下にあるのかがよー分からないが)。あとはラスト2で王の話をまとめるだけです。最後は巧VS木場でしょうか、王VS巧、木場でしょうか。いずれにしろサヨナラオルフェノクラストで巧にとっては自己否定の戦いです。カッコいいなソレ。実は王を守ってオルフェノクの種を保全した上で、人間とオルフェノクの共存をはかるという、人間、テルオくん(王)、巧、木場、全員が助かる選択肢もあり得るんですが、もうそんな理想的な帰結になる雰囲気は微塵も感じられません。なんつーか、最後の巧の変身が何を守るためなのか、それがこの作品の全てだよな。

●地味に
 海堂がカッコ良かったです。  
 
■第49話「滅びゆく種」
 
 最終話「俺の夢」(テレ朝日公式

 今週の内容よりも、次週の最終回予告をテレ朝公式で確認した時にフライングで感動しました。

 僕は第08話「夢の守り人」の感想で、「今週がその成長の最初の一歩であり、回帰する収束点でもあるように思う。龍騎が『人を守るためにだけ戦う』という第2話の決意に第49話で回帰したように、今週の巧の『夢を持てなくても夢を守ることは出来る』という台詞が555における回帰点になるのではないだろうか。」なんてコトを書いてるんだけど、当たったっぽい。やはり最後は「夢」に回帰して収束してくれそう。それだけで、この555という物語に関しては満足。この話は、夢が無い乾巧という男が、夢を見つけるまでの物語だったんだよ、やっぱり。

 最初から夢(目的)を持っててそれを追求していく男が主人公の作品の方が絶対分かりやすいのに、あえて夢(目的)を見つけるまでを描いたのが555の機微だと思う。

 細かいことはどうでもいい、王の結末さえもさして重要じゃないように思う。巧が夢を宣言する。それがこの物語の結末。そこさえ押さえてくれたなら、どんな最終回でも感動できる。

 それでも最終回に望むことは……

●主題歌をかけて欲しい
 去年は優衣役の人の「INORI」がエンディングという変化球だったんですけど、今年は是非とも「Justiφ's」をかけて頂きたい。というかコレしかないと思うんだけどなー。コレほど作品にあった主題歌はないと思うんだけど。

●ロボを出して欲しい
 最後くらい、ねェ?とか言いつつ、ぶっちゃけ物語優先ならもうロボには時間割かなくていいような気がしますが、僕はずーっとロボロボ言ってきたんで敢えて希望してみる。出てきて速攻大破でもいいから、ちょっとだけでも。

 それにしてもこの最後になって海堂がいいねェ。先週のさりげなく、手をシュパッとする演出とか、心の底で巧と一番近かったのは海堂なのかも。
 
■最終話「俺の夢」
 
 「オマエも人間だ」(巧)

 良かった・゚・(ノД`)・゚・
 ガーっと燃え上がるような最終回ではなかったけれど、「イイ」最終回でした。うんイイ。特に僕のような象徴性を読み解く視聴者にとっては、なんとも味わい深いラストでした。

 最終回は網ですね、アミ。網に尽きます。
 ずっと気づきつつ言わなかったんだけど、最終回で確信。

 網のシーンを語るには、まずはオープニングを語らねばなりません。
 555のオープニングは非常によく出来ていて、去年のmot×mot的オープニングベストなんかを選ぶことがあったなら、間違いなくナンバー1だなあなんて思っているのだけれど、それはひとえに象徴性の高さのためです。
 赤いラインが人間とオルフェノクの境界を象徴していて、そんな赤い帯に束縛される真理……とか、同じく半分のリンゴ(赤い)が、巧が人間とオルフェノクの半身なのを暗示していたりと、本当良くできている。
 で、今回語るべきは一番冒頭のシーン。OPの一番最初、巧が網を破いて出てくるシーン。ここが何気に重要。ここが分かってると今回の最終回は倍楽しめる。アレ、あの網もまた人間とオルフェノクの境目の象徴なんですよ
 そして、巧だけがその網を破くことができるのです。巧は人間だとか、オルフェノクだとか、そういう表面的な括りで人を分かつ、偏見や差別の網を破くことができる。そういう暗示なのであります。
 巧と木場の決着がついたシーン。上記の「オマエも人間だ」の台詞を残した後、巧はOPと同じように網を破いて手前へと出てくる。対照的に網の向こう側で絶叫する木場。木場はあがくんだけど、網のこちら側には出てこれない。これが、巧と木場の差。人間でもオルフェノクでも、表面を分かつ網に捕われず、広義で「人間らしさ」を守ってきた巧に対して、木場は当初は「人間」として、結花の死後は「オルフェノク」として、表面的な括りの中で自分が属する側と逆側、つまり網の向こう側を否定することで生きてきたという対比。「括り」を打ち破って人を見れなかった木場。それが網に捕われている木場の限界。
 ここで巧と木場の違いを見せつけたからこそ、最後に木場が駆けつけてくるところは熱い。最後、木場が現れる前に、覚悟の表情をした木場が網を破るシーンが挿入されましたよね。アレが熱かった。遂に木場も「括り」の網を破り去った!みたいな……そして「見つけようぜ、木場、三原!俺たちの答えを俺たちの力で!!」の巧のかけ声のもと、魂の三人同時変身。人間とオルフェノクを分かつ網をうち破った三人がついに同じ方向を向いて変身。思うに三原はラストシーンの語りなんかから、既に網を破いてるキャラで、逆に二話前に散華した草加なんかはあくまで人間側に属して網の向こう側(オルフェノク)を否定することを信念としたキャラだったので、この最後の変身シーンに参加するワケにはいかなかったのでしょう。

 つーワケでラストバトルは燃えた。

 網関係で一気に語っちゃえば、ラストシーンも見事でした。555のテーマの一つ「夢」に上手く収束しました。何が正しいか分からない555の中で、唯一作品的に「正しさ」として描かれていたのは44話、47話でそれぞれ僕が引用した敬太郎、添野刑事あたりの脇役の台詞でした。そんな添野刑事が「夢」について語って幕を閉じるのも味がありましたし、何より結花を抱きしめた、実は作中最ポジティブキャラだった敬太郎の夢(世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに…)が、最後に巧の「俺の夢」になるってラストも自然で共感できました。
 そして夢が無い一人の青年だった巧がついに夢を語ったところで、「Justiφ's」。……おそらくは息絶えた巧。カメラがずーと引いてきて、再び破れたが。巧が命を賭して破いた網の向こうに映る、敬太郎、真理、巧という、人間、オルフェノクの記号を埋め込まれた人間、オルフェノクの三人。少なくともこの三人の間では、人間とオルフェノクを分かちた差別と偏見の網は破られていた……というラスト。イイ!・゚・(ノД`)・゚・
 

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