†† 夢 守 教 会 ††  第二話「痛みの在処(アリカ)」3/(1)

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 模造の塔を爆破するという犯行予告が警察に届いているという話を、その日、僕と理子は菖蒲さんから初めて聞いた。今年の七月、すなわち一九九九年の七月に爆破するという、爆破時期の予告まで付いているらしい。
「ノストラダムスの大予言に便乗している感じでしょうか?」
 思ったままを口にする。そう、今年は、いよいよ例の世界の終末を予言したノストラダムスの大予言の年なのだ。
「あれか、犯人は、終末思想とか、そういうのにかぶれたヤツ?」
 理子も思いつくままのことを口にしているようだ。
「フム、私としてはノストラダムスの大予言よりも、コンピュータの二〇〇〇年問題の方がよっぽど重要だと思っているんだけどね。
 まあ、それはいい。今日、君たちを呼び出してこんな話をしたのは、一つ頼まれ事を引き受けてくれないかと思ったからなんだ」
 薄い中華風の紫の上衣にジーンズというよく分からない部屋着姿の菖蒲さんは、いつもの入り組んだコンピュータの前の椅子に座ったまま、顔だけをこちらに向けて事情を説明した。
「二人も知っての通り、私とこの町の警察は秘密裏に協力関係にある。モトムラくん事件の事後処理に関して、君たちがほとんど巻き込まれなかったのも、ひとえに私の人脈が効いているというのが大きいんだ。で、ここまでが私が警察から得たベネフィット」
 二人で頷く。なんでか、菖蒲さんが非常に多様で強力な人脈を持っていることは僕も理子も既に知る所だ。
「で、世の中っていうのは対価の原理で回っているから、今度は私が警察にベネフィットを与える番。それで警察の方から頼まれたのが、模造の塔の住人に対して、退避のための説得を行うことに協力することなんだ」
 なるほど、先ほどの爆破予告の話と繋がったと一人合点する。
「爆破予告が来ているから、今のまま模造の塔に住み続けているのは危ないかもしれない。念には念を入れて退去してくれないか? と、住人をそう説得するという話ですね」
「幸いというか何というか、犯人は爆破は七月と指定してきているからね。少なくとも七月の間他の所で過ごしてくれないかと、そう説得するという話さ」
「その七月の間、住人が住む所は警察が用意してくれるの?」
 理子が菖蒲さんに対してだけみせる女の子らしい口調で、言われてみれば重要な点を指摘する。
「いや、そこまではしてくれない。親戚の家にでも移動してもらうか、自費で賃貸のマンションでも借りてもらうか、そういう話になってる」
「それは難しいんじゃない? 一ヶ月過ごせる住居を探すって、結構大仕事だと思うけど」
 説得が難航しているらしい背景に得心する。爆破予告はあくまでまだ予告なのだ。単なるいたずらの可能性も大きいだろう。起こるか起こらないか分からない悲劇を回避するために、それなりの費用がかかる行動を起こす人間は少ないような気がする。
「警察の方々が説得に難航しているのは分かりましたけど、かといってなんで僕らなんですか? 自分で言うのもなんですけど、警察の方達以上の説得技術を僕らが持っているとは到底思えないんですけど」
「そりゃそーだ」といった感じで理子も頷く。
「それはだね。一般的に人はお上に高圧的に命令されるよりも、子ども達から自由意志に基づいて『お願い』された方が説得を承諾しやすいということだね。君たちは、ボランティアで説得を手伝っている有志の少年少女という設定になる」
 なるほど、公の機関から言われるよりも、有志の一般人から諭される方が効果がある場合もあるというのは分かる気がする。公権力のような大きい存在よりも、身近な小さい存在を信じる人は思いの外多い。
「それでも、百人に一人応じてくれたらいい方な気はしますけど」
 概ね理解したが、やはり自信はない。
「百人に一人は優秀な方だよ。洗脳と違い、説得はとにかく成約率が低い。それでももし本当に爆破事件が起きたとして、その一人が助かるというのはとても意義深いことだと思うよ」
「できれば百人全員助けたいものですけどね」
 自分でもそれは叶わないだろうと分かっていながら、綺麗事を口にしてみる。願う全員を簡単に助けられるなら、こんなに痛みを抱えた人が世の中に沢山いるはずなんてないと思う。
「了承。やってみるわ」
 僕の言葉を無視して、かつ僕に断りもなく理子が今回の依頼を引き受ける旨を菖蒲さんに伝える。
「優希、人間生まれてから死ぬまで、人一人救えたとしたら、それはだいぶ、いや相当すごいことだ」
 理子がそう口にしたので、何だか、珍しく今の言葉は宗教の教祖さまっぽいななんて思う。いや、世の中にある沢山の人を救おうとしている大きな宗教に比べて、人一人の救済を願うというのはとっても小さな宗教だとは思うけど。
 それでも、仮に模造の塔が爆破されたとして、その一人が死んでしまった時間を想像する。きっと、その一人は単体で世界に存在していた訳ではなくて、沢山の人達と繋がりながら存在していたはずだ。
 その一人が死ねば、きっとその人と繋がっていた沢山の人の心が痛む。
 心は夢だという理子のケニングを思い出す。その夢を守るから、僕たちは「夢守教会」を名乗る。
「そうだね、僕もそう思うよ」
 だから僕は、理子にそう答えた。
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