†† 夢 守 教 会 ††  第二話「痛みの在処(アリカ)」5/(2)

  ◇

 鍵を借りてきた理子に先導されて、弓道場の中に通された。ここは、いわゆる射場と言われる場所だろう。弓道家が弓を射る、まさにそのための場所だ。
 パチリという音と共に、射場全体に明かりが灯る。照明を入れたのはもちろん理子だろう。この勝手知ったるといった感じの振る舞い。ここは理子にとってはどうやら馴染みの場所らしい。
「どうだ?」
 理子が、照明に照らされた射場に戻ってきて、ちょうど的を設置する方の空間を見ていた僕の隣に並びながら感想を求めてくる。
「うん、弓道場には初めて入ったよ。的の方まで、結構距離があるものだね」
 弓道場に関する感想を求められたものだと思ったので、思った通りを口にする。
「遠的射場だからな。六十メートルある」
 なるほど、それは遠い。実際、弓道はすごいと思う。いくら空手で強くなったとしても、六十メートル離れた所から弓矢で攻撃されたら、さすがにどうしようもないななんて思う。
「理子は詳しいんだね」
 思っていた疑問を口にする。県武道館の弓道場に夜間に出入りできるツテのこととか、中を知り尽くしているような様子についてとか、そもそも何で僕をここに連れてきたのかとか、聞きたいことは沢山ある。
「優希、私の苗字を言ってみろ」
 理子が遠的射場の弓を射る方向を見たまま、そんなことを口にする。
「苗字って、弓村、君は弓村理子だろ」
 そこまでを自分で口にして、ハっと気付く。
「弓村」、「弓」?
 僕が気付いたことを理子も察知したのだろう。理子はこくりと頷くと、語りだした。
「弓村(ゆみむら)、甲剣(こうけん)、槍間(そうま)。古くからこの町に存在した、三つの武術の家系だ」
 弓と、剣と、槍。語られた武術を頭の中でくり返す。
「優希は、武道の歴史全般については詳しいか?」
「いや、空手は唐手だとか、そういう話なら分かるけど、剣道や弓道といった全般については詳しくない。戦後に武道そのものに軍事的な意味合いを付加されてネガティブに扱われていた時期があったとか、今では心身を鍛えるためのスポーツ的な要素が強くなってるとか、知ってるのはそれくらいだ」
「そのくらい知っていれば話は早いかな。つまり、古流の武術の家系も、現代ではスポーツ的な要素が強くなっている『道』としての武道と共存しているケースも多いってことだ。とりあえず、それが私がここ、つまりこの町の現代武道の中心とも言える県武道館の弓道場にツテがある理由だ」
 そこで理子は一息置くと、改まって口にした。
「古流弓術の家系、『弓村』。その跡取りが私だ。いや、私だった」
 天井の照明から発せられた人工の光が、やけに鮮明に理子の顔を照らす。
「弓村、甲剣、槍間の三家は、近代的な『道』としての武道と共存しながら、一方で実戦を旨とする、各自の『術』としての武術を、その家系の血筋に生まれた者のみの間で、密かに伝承し続けていた。何故だと思う?」
 話の途中で僕に見解を求められる。一方的に何かを吐露したい訳ではなくて、あくまで理子は僕とコミュニケーションを取りたいらしい。
「それは、時代の流れだからって、皆が皆『道』になってしまったら、寂しかったからじゃないかな。昔から受けつがれてきた『術』の方をどこかに残しておきたい。そういう気持ちは分かる気がする」
 だから、思ったままを口にして、僕も理子とコミュニケーションを取り続けることにする。
「そうだな。そして、言い換えるとこうだ。歴史を紐解けば分かることだけど、『道』としての武道は、歴史上連綿と受け継がれてきた『術』としての様々な古流の武術を元にして、人工的に纏め上げて生まれたものだ。いわば、『既存』の武術を元にして『模造』されたものが現代の武道なんだ。だが『模造』だけが残っていてその原料となった大本が消えてしまっているというのは寂しい。だから、弓村、甲剣、槍間の三家は、例え時代とは乖離していることが分かっていても、現代の武道の元になった『既存』を身内の中に残しておこうと思ったんだと思う」
 シーモアグラスの話を聞いて理子が何を思ったのかを聞きたいと僕は思っていたのだけれど、まさに今、理子は僕が聞きたかったそのことについて話しているのだと理解する。
「私は兄妹がいなかったから、自然と、私が弓村の跡取りとなった。弓が持てるような年齢になってからは、一日何射も弓を引いていたよ。それこそ、優希が空手の型を一日中やってたっていうようにね。そうやって、私の体には『道』とは違う『術』としての弓村の『既存』の弓術が刻まれていったんだ」
 遠い昔、自分がバカみたいに朝から晩まで空手に打ち込んでいた時間を思い出した。今の理子の言葉を借りるなら、僕は先人が残した空手という『既存』を体に刻みつけていくことに一生懸命だった。
「理子は幸せだったのか」
 だから、そんなことを聞いてみた。僕の場合は、あの頃は強くなりたいという動機がとても強かったから、空手の修行を通して強くなっていく自分を自覚していく日々は幸せだったように思う。だけど、女の子の理子はどうだったんだろう。
「幸せだったよ」
 わりと、あっけらかんとした様子で理子が答えた。
「なんていうかな。世間で学ばれてる弓道とは違う、我が家に伝わる唯一の弓術を自分だけが学んでるっていうのが、逆に面白かったんだ。でもって、実戦だったら私の方が勝つんだ、みたいな妙な優越感もあったしな」
 そこで、理子が本当に可笑しくなったように、フフフと微笑した。
「子どもっぽかったよな」
「いや、そんなものだと思うよ」
 実際、武道をやる者にとって、子どもの頃は勝ち負けは一大事なのだ。僕も、よく相手と自分の戦力を比べて落ち込んだり優越感を抱いたりと忙しかった気がする。確かに子どもっぽいんだけど、子どもだったんだからしょうがない。
 理子と僕は、意外にも何か似たものを共有して子ども時代を過ごしていたんだなと、何だか僕も可笑しくなったので笑った。
「まあ、そういう訳で私としてはわりとやる気で『既存』の弓村の弓術を継ぐ気だったんだが、三家としては、この時代になって転換点を迎えることになる」
 理子が、居住まいを正して話を再開する。
「まず、槍間の跡取りが十五の時に失踪する。理由は分からないが、とにかく家出してしまったんだ。私の世代は三家とも一人しか子どもがいなくてな。あえなく、まずは槍間の家が『既存』の継承から脱落することになった。跡取り自体は優秀な槍術の使い手だったので本当に勿体なかったんだけどな。
 で、次は甲剣だが、甲剣の跡取りはお前も会ったアイツだ。甲剣竜志だ」
 やはりそうかと納得する。最初に甲剣という名前が出たときから、理子と竜志さんはそういう関係なんだろうと想像が付いていた。
「握手をした時に、剣道家の手だって思ったんだけど、そうか、そんな古流の、剣術の使い手だったんだ」
「あいつは強いぞ。刀を持てば、たぶん優希より強いだろう」
 刀と聞いて、古流の剣術なのだと改めて理解する。現代の竹刀剣道とは違う、実戦の古流剣術。そんなものが存在するなら、それは強いだろう。もともと剣道三倍段という言葉もある通り、空手で剣道家と互角に戦うには空手家の方が相当頑張らないといけないのだ。本物の剣術の達人に勝つ自信は、僕にもさすがにない。
「が、相当強いんだが、ああして今はビジネスがどうとか言って我が道を行っちゃってるだろう? 私もこの前すごく久しぶりに会ったんだ。甲剣の家にも帰ってないって聞くし、どうも、あいつも甲剣の剣術を継ぐ気は無いっぽい。これで、甲剣の家も脱落だ」
 それで、と前置きして理子はあくまで明るく話し続ける。
「最後に残った弓村の跡取りだが、その子はまあ、やる気はあったんだが……」

――もうすぐ死んでしまうことが分かった。

 雪景色の話を理子としたのを思い出した。僕も、理子も、立体的な美しさを感じられなかったという今年の雪の話。
 なんで、あの時あんな話をしてしまったのかと思う。今年の雪が今イチだったとして、来年の雪が降る頃には、おそらく理子はもう……。そんなのは、悲しいだけの話だ。
「そうして、弓村、甲剣、槍間の三家の『術』の継承は、私達の代で全滅となってしまった訳だ。受け継がれてきた『既存』は、もう消えてしまう」
 だがな、とそこで急に理子は語感を強めた。
「でも私は、それでもいいんじゃないかと思っていたんだ。『術』としての『既存』が消えてしまっても、そこから生まれた『模造』の『道』が生きている世界。それはそれで幸せな気がした。親が子どもに自分の名前の一字をつけたりするだろう? そういった場合、普通のケースだったら先にこの世界から消えてしまうのは親の方だ。だけど、親の名の一字を受け継いだ子どもの方は、その先も生き続けていく。そうやって世界は続いている。そういうのって何かいいなと思ってたから、私達の『術』が消えて『道』が残り続けるというのも、まあ、それと似たようなものなのかなって、そう思っていたんだ」
 僕も同じような気持ちを抱いたことがあったのを思い出した。他ならぬ、理子の作った「夢」のケニングの良さに気付いた時だ。僕は、理子が言う「何かいいな」という感じを、受けつがれ続ける「夢」というケニングに感じとった。それは、そもそもそのケニングを紡ぎ出した理子自身が感じていた気持ちが、その言葉に宿った結果だったのかもしれない。
「だけど、シーモアさんが言ってたな」
 ああ、と理子の言葉に僕は頷く。
「今年の七月に、『既存』の世界も『模造』の世界も消えるって。まったく新しい世界が始まるって」
「そうなることで、彼女が救われるかも知れないとも言っていた」
「それだ……」
 理子の瞳に強い意志がこもる。
「『既存』も『模造』も否定した末に訪れる救済というのが、私には信じられない」
 あの妖精、シーモアグラスの話に関する、理子の考えをはっきりと受けとる。理子は、あの妖精を救うために何者かが行おうとしている、『既存』と『模造』の両方を消滅させるという行為を、今、明確に否定した。
「僕もそう思う」
 そして、僕も頷く。もし、僕たちが積み重ねてきた「既存」も、僕たちから生み出されていく「模造」も、両方に何の意味も無いのだとしたら、それは、あのモトムラくん事件の日の夜に誓った、僕の理子への想いすら意味がないということになってしまう。
「そうか」
 僕の返事に、理子はそう一言だけ返すと、こう続けた。
「だいたい、おまえをこの弓道場に連れてきて話したかった話は以上だ。あとは……」
 理子が射場から続く、今は照明が入ってない廊下の方を親指で指す。
「優希の空手だけ見せて貰ったのは、なんかイーブンじゃないなと思ったんだ。少しの間だけ、私の射を見てくれないか?」
 僕は頷く。
「私が積み重ねてきた『既存』の弓術に、意味なんてあったのか。ちょっと、そう思ってしまってな」
 そして、そんな言葉を付け加えた。
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