†オリジナル小説†


【陽菜子さんの容易なる越境-海外ビジネス編-】


 /プロローグ

 キコってあだ名で呼ばれることも、普通に暮らしていると滅多になくなってしまった今日この頃。今の私は紀子先生って呼ばれることが多くて、それはそれで、大人になった証というか、社会の中で色々と関わりながら生きている人間の呼ばれ方という感じで、気に入っています。

 子どもの頃に見た映画のラストシーンのように自分で選んだ街の中で日々笑って過ごすなんて、中々できないものなんだなと悟れるくらいに、少し疲れた大人になっちゃった感も否めませんが、それでも20代前半くらいにちょっとだけ読み漁ってしまったポジティブシンキングの本も、いまではなんだか胡散臭く感じられて、ある日一括でネットオークションに売ってしまった身としては、このちょっとばかりの苦渋の日々こそが、大人の味なのかな、なんても思ってます。

 結局十代の頃に思い描いた理想の自分にはなれなくて、というか意図してならないことに人生の過程で決めたのですが、私は古典を子供たちに教えるような国語の先生にはなりませんでした。

 じゃあ何をやっているのかというと、なんともあやふやな立場で、一言では言えない感じなんですが、そもそも単一の職業に自分のアイデンティティを求めること自体が難しい世の中になってきたな、なんて大学では結構リベラルアーツの一環としてメディア論なんかも取った身としては思います。あ、マクルーハンの本って面白いですよね!

 陽菜子さんとの友情は今でも続いています。陽菜子さん、世界中を飛び回ってるんですが、何というか、バリバリのキャリアウーマンという感じではないです。うーん、何というか、旅人? でしょうか。

 この前はFacebookに、パプアニューギニアで撮った、なんか槍を持った現地の人たちと肩を組んだ写真が唐突にアップされていたので、あ、あれ、商談で行ったって一つ前の日記に書いてあったのに、なんでこんなことになってるの!? と思いつつ、とりあえず「イイね!」ボタンを押しておきました。陽菜子さん自身の服装は中欧の方の民族衣装だったので、ちょっとどういう状況なのか分からなかったんですが、まあ陽菜子さんだしね、と思うことにしました。陽菜子さん、実質書類上は3つの小さい会社の社長さんなんですが、こんな辺りからも、なんか一般的なイメージのキャリアウーマンやビジネス書に出てくるような女社長さんとは違う雰囲気が感じられると思います。普通の女社長さんは、友人にいきなり石仮面とか送ってこないと思いますし。しかもその石仮面、陽菜子さんは「熊っぽい!」って手紙に書いていたんだけど、私には抽象度が高すぎて何の動物か判断できませんでした。何か、呪術的な方向でシンボリックな意味合いがある品だったのかな?

 さて、この物語は例によって陽菜子さんがこの国に、この街に、私の所に、帰ってきた所から始まるの。

 街は春先の大きい地震で所々建物が壊れていて、デコボコの道路に工事による粉塵のにおいが立ち込めています。
 私も職場がしばらく使えなくなって、少し途方に暮れていた所でした。 私と陽菜子さんが、27歳になった時の話です。
 十代の頃に悩んだ越境の概念自体が陳腐に思えるほど境界の無効化が進み続ける世の中で、私と陽菜子さんは、またある事を始めます。
 シロックマも、この10年あまりで、シロックマオールスターズっていう映画ができちゃうほどビッグコンテンツになったりな最近ですが、私自身は、変わったような、全然変わってないようなのがむしろ悩みで。

 そっと空に向かって手をかざすと、あの日陽菜子さんと願いを乗せてメールを送った空が、今でも同じように広がっています。あの毎日朝のデートに待ち合わせた橋も、ちょっと地震でヒビが入っちゃったけど、まだかかっています。

 今でも膝を抱えて丸くなって眠ってしまうこともあるけれど、それでも次の日の朝は目覚ましと共にしっかりと起きます。社会人ですから!

 私だけでなく、色んな人達に悲しいことがあったけど、まだ何もかも諦めるには早すぎる。そんなことをみんなが思っていた頃のお話です。

 それじゃあ、そろそろ陽菜子さんが、地震から一ヶ月で根性で再開した空港にやってくる頃だから、お話の幕を開けましょう。

 私がワクワクする瞬間は、物語の最初を読み始める時と、陽菜子さんと会う時だっていうことは、この10年で、まったく変わらなかったことなんですから。


 「陽菜子さんの容易なる越境-海外ビジネス編-」・始


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