†† 夢 守 教 会 ††  第一話「少女のケニング」5/(5)<終>

  少女のケニング/

 闇が薄れ、遠方に朝日が昇り始める頃、僕らはモトムラくんの廃マンションを後にした。
 しばらくして駆けつけた菖蒲さんと彼女が連れてきた警察に、後始末の全てはまかせた。小一時間ほど、状況説明と簡易事情聴取で時間を取られたけれど、「過剰防衛にはならないようにしておくよ」と冗談めいて言った菖蒲さんの雰囲気から察するに、どうやら僕や理子がどうこうと面倒ごとに巻き込まれることは無さそうだ。
 二人、とりあえず眠って休める場所をと、丁度ここからだと太陽が昇る方角に位置する葉明学園の、菖蒲さんの部屋を目指して歩く。
 何だかんだ言って僕より疲弊しているのだろう。理子の足取りが非常におぼつかないので、僕が肩を貸しながら二人寄り添うように歩く。丁度、この前と逆の形だ。
「島谷、懺悔しろ」
 不意に、理子がそんな言葉を僕に投げかけた。
「お前な、私が死ぬ思いで私が死ぬことを告白したっていうのに、お前の方は随分と色々隠してたんじゃないか」
 いやはやと僕は曖昧な笑顔で返す。
「まあ、そんなに積極的に隠してたつもりもないんだけどね。でもまあ、懺悔いたしますよ。教祖様のお叱りとあっちゃね」
「そういやそんなこと言ってたな、なんだ、私が教祖なのか?」
「僕よりは向いているだろう?」
「それは、そうかもしれないが……。じゃあお前は何なんだよ」
「参謀とか、そんな所じゃないのかな」
 困った。僕としては理子のナイトという役職も一瞬心によぎったのだけど、僕が守らなくてはならないのはお姫様ではなく教祖様なのだ。
 ふうとため息をついて理子が言う。
「いい加減、サークル名を決めないとな」
 その言葉を聞いて、僕は僕の持続していた思いを口にする。
「ああ、それだけどね、『夢守教会(ゆめもりきょうかい)』でどうかな」
 理子の瞳が大きく見開かれる。
「『夢守教会』?」
「ああ、前に言ったろ。君が作った創作ケニングの中に、結構いいなと思えるものがあったって。それね、『心』のことをケニングで『夢』と表そうっていうヤツのことだったんだ。『夢』を、人の『心』を守る宗教で『夢守教会』。どう?」
 理子は、少々訝しむような視線をこちらに向ける。
「確かに、そのケニングは私も自分で結構気に入っていたんだ。でもなんだ、少々少女趣味だとか、お前、言ってたじゃないか」
「それだけどね、色々考えて……」
 前置きして僕は続ける。
「どうせ僕も君も死んでしまうのに、それを知ってて生き続けるということ自体が少女趣味なことだから、なんだか少女趣味でも良いような気がしてきてね」
 理子が視線を眼前の陽光に戻す。
「そうか、そうだな……。少女趣味でもいいよな。少女趣味で、もうすぐ死んでしまう女の子が教祖で、何やら病んでるヤツが参謀で、それでも夢を守って『夢守教会』。イイんじゃないか」
 その言葉に、僕も笑顔で応える。
 君の夢だけでも守るよと思わず付け加えそうになったが、さすがにあまりにキザなのでやめた。
 少々お互いに照れくさくて、しばらく無言で街を歩く。明け方の街というのも、また新鮮な空気に満ちている。
「優希……」
 間もなく葉明学園の敷地に入るという所まできて、理子が立ち止まって言った。
「やっぱりだけどな、これからは優希って下の方の名前で呼ばせてもらっていいか?」
 ややすると唐突に思えるその問いに、何故だかこの弓村理子という少女の女の子らしい慎み深さが込められていたので、思わず僕は瞳を細め、いささかだけいつかの理子の言葉を本歌どって、こう答えた。
「もちろんイイよ、名前は、大事だからね」

  ◇

 葉明学園の日本語教師滞在所、一連のモトムラくん事件の残務処理を一時的とはいえとりあえず終えて自分の家へと帰ってきた菖蒲は、いつぞや優希と二人で語り合った黒色で背の低いソファの上に、優希と理子が寄り添うように眠っているのを発見した。
 窓からは、いまや完全に立ち昇った朝日の陽光が射し込んでいる。
 そんな、光の中でまどろむ二人を微笑ましく眺めながら、菖蒲は誰に向かってということもなく言葉を紡いだ。
「ゴメンね、優希。ここで君に与えた三択だけどね、もとから君は三つ目を選ぶんじゃないか、そう思って出したんだ。理子もこの世で最も『確かなもの』を探していたから、君にも一緒に探して欲しい、そう思ってね。迫り来る理子の死も、君の自己像幻視も、何ものをも救ってくれるような、そんなこの世でもっとも『確かなもの』をね……。
 だけど言葉は不思議だね。『この世界に確かなものなどないさ』と、そう言う人も沢山いるよ。だけどね、まったく、まったくもって不思議なことなのだけど、『この世界に確かなものなどない』というその言葉を発した瞬間に、その『この世界に確かなものなどない』という言葉自体が確かなものではなくなってしまうんだ。
 だから、『確かなもの』はあるんだよ。それが何かは私にもまだ分からないけれどね」
 そこまで言うと菖蒲はそっと理子の顔に近づいて、理子の黒髪を優しく撫で上げる。
 理子は安らかな寝息を立てている。
「『夢』という名の『心』か……」

――あるいは。
  ――見つけられるかもしれないね。
    ――今は片瞳の二人でも、君達が夢の瞳で見つめ合えたなら。
 
 そんなことを思った菖蒲は、愛おしげに二人の顔を交互に眺め、最後に静かにこう想起した。
 この場合の『夢』とは、もちろん少女のケニングの意味でね、と。

        /少女のケニング・了
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