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夢 守 教 会
†† 第四話「花の名前」1/(1)
六月は、紫陽花(あじさい)とカタツムリの季節だという気が個人的にはしている。
と、そういった僕が抱いている六月のイメージを伝えたところ、驚くほど理子が食いついてきて、小一時間、紫陽花とカタツムリの魅力について力説されてしまった。
紫陽花はともかく、カタツムリは本体のヌメヌメした存在の方は女の子は苦手なんじゃないだろうか。
そんな僕の見解を一応伝えてみたところ、「逆にそこがイイ」と、ヌメヌメしている本体の方の魅力について、これまた事細かに説明を受けるはめになった。
おかげで、現在の僕は、カタツムリのヌメヌメしている本体の方の魅力に、ちょっと開眼しかけていたりもする。
というか、理子と菖蒲さんが帰ってしまうとこの場所は静か過ぎて、そして退屈で、そんなことを考えるくらいしかすることがない。
窓の外を降りしきる雨の音に耳を澄ませながら、天井で揺らめいている蛍光灯の光に目を細める。
白い四角い箱の中で横たわっていると、なんだか、僕はもう、世界や社会といったものから隔絶されてしまったのではないかという錯覚に陥る。
ここは、病院の個室である。
背中に残るズキズキとした痛みが、この場所に至るまでの僕の過程を物語っている。
だけど、ありきたりではあるけれど、起こってしまったことはしょうがない。そして消してしまうこともできない。
だとするならば、今はその起こってしまったことを踏まえて、それでもこれからを生きていくために、じっくりと身体の回復に務めることが今僕にできることだろうなどと思う。
巫和さんに刺された僕は、この場所で一ヶ月弱の入院生活を送ることになる。
その間、見知った理子と菖蒲さんを除くと、三人の来訪者がこの病室を訪れることになる。
母さんと。
理想主義者を名乗る男と。
永遠(とわ)の三人だ。
後にして思えば、三人とも傷ついた僕を癒すために訪れてきてくれた、かけがえのない僕の味方だったのだと思う。
この時貰った愛と、勇気と、希望を。
一昔前、正しいと信じられていて、今では一笑にふされがちなそんな綺麗事を。
その後、僕は心の奥の大事な場所で、ずっとずっと信じながら生きていくことになる。
季節は梅雨。
一九九九年の七月まで、あと一ヶ月にせまった、誰もが何処かで、鈍色(にびいろ)の不安を抱えていた頃の話だ。
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