†† 夢 守 教 会 ††  第四話「花の名前」1/(2)

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  菖蒲の花/マイナス6

 カランと、牛乳瓶が倒れる乾いた音がした。
 我が家には、牛乳瓶が沢山あるので、そのうちのどれかが倒れたのだとしても、何の不思議もない。
 牛乳にこだわりがあるわたしは、紙パックのものよりも、瓶のものを好んだ。
 高層マンションの九階に位置する我が家は、膨大な蔵書と、空き瓶に満ちている。
 最新のテレビもあったが、つけることは滅多にない。何故なら、流れてくる番組に私は興味が持てなかったから。
 例えばそう、まだこの国が一つのアイデンティティを確立していなかった頃、「国」という視野を持つ者にとっては、「村」という視野しか持たない者が、なんと幼く映っただろう。
 例えばそう、まだこの国が国を閉じていた頃、「世界」という視野を持つ者にとっては、「国」という視野しか持たない者が、なんと幼く映っただろう。
 だからわたしはテレビに興味が持てない。
 テレビが教えてくれるのは、せいぜい、「世界」に関することだけだから。
 つまりはわたしの視野は、「永遠」に向けられている。
「永遠」のことを知りたい者にとっては、「世界」という視野しか持たない者が、なんと幼く映ることだろう。
 お父さんと、お母さんのことを愛している。
 理想が高くて、高潔な彼と彼女を、尊敬している。
 だけど、それでも二人はまがいもので、所詮は「世界」という呪縛に捕らわれた道化である。
 たぶん、二人は報われないでしょう。
 きっと、わたしも報われないでしょう。
 ああ、いっそ嫌ってしまいたいのに。
 わたしの存在を規定している概念のおかげで、それができない。
 その概念というのは「名前」。
 あれだけまがいものの二人でも、わたしに与えてくれたこの名前だけは、「永遠」に通じているから。
 ねえ、お父さん、お母さん。できるなら、わたしは、ここにある「永遠」だけで満ち足りて、ずっとずっと一緒に暮らして行けたらいいのにって、そんなことをたまに思うんだよ。

 照明が必要になってくる時刻になっても、わたしは明かりを付けない。空っぽの部屋で全てが暗くなっていく感覚が、嫌いじゃないの。
 床に散らばった牛乳瓶と、本棚に並んだ書物だけを、虚ろな瞳で、わたしは睨み続けていた。

          /菖蒲の花マイナス6・了
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