†† 夢 守 教 会 ††  第四話「花の名前」2/(2)

  ◇

「ケンシンだ」
 おもむろにドアを開けて病室に入ってきた男は、いきなりそう自己紹介した。
「は、はあ、島谷、優希です」
 梅雨時の今にしては、ちょっと暑そうなコートだな。そんなことを思いながら、この黒いコートを着た初対面の男性に一応の挨拶をしてみる。
 端正な顔立ちをしたその男の人は、三十代半ばくらいに見える。お見舞い用の椅子をベッドの裏から出してきて腰掛けると、優雅な所作で両足を組んだ。
「さっそくだが、目を瞑ってみてはくれないか? 診断をさせてもらいたい」
 いきなりそんなことを言うので、さすがに僕は焦る。診断と言っても、どう見ても彼はお医者さんではない。母さんの魔術はともかく、初対面の人間にいきなり身体を任せるというのはいくらなんでもやっぱり不安だ。
「あの、素性とか、そういうのを聞いてもいいでしょうか?」
 男の人、ケンシンさんと言っただろうか、彼が目をパチクリとして、なんだか驚いたような顔をする。
「聞いてない……のか?」
「ええと、聞いてないです」
 ケンシンさんは腕を組んでしばらく考え込むような仕草を見せると、やがてコクコクと頷いて何かを納得したようだった。
「うん。あいつなりに何か考えがあるのだろう。すまなかったね。君のことは友人から頼まれたんだ。私の素性は……、そうだな、E1国から昨日来日したばかりだ」
 アフリカの小国の名前を口にしたので、一体僕の人生と、この男の人と、E1国がいかなる縁で繋がったものなのかと、僕は軽く考え込む。
「仕事は、そうだな、理想主義的なことをやっている。そんなことをやっている私は、理想主義者と言えるかもしれない」
 『理想主義者』、それは職業名なのだろうか? と僕は再び考え込む。「医者」とか「学校の先生」とか「会社員」とかだと分かりやすいのだけど。
「ええと、『理想主義者』の方と、僕と一体何の接点が?」
「いや、『理想主義者』はただの自己紹介だ。特に君との接点という訳ではない。私と君との接点、というか共通点は、私も君と同じ『過剰エンパシー障害者』であるという点だ」
 その説明を受けて、ようやく僕は得心する。その病名を知っている人間は少ない。つまりは、この人、ケンシンさんの「友人」とはおそらく菖蒲さんのことで、菖蒲さんが何かしらの意図で僕のもとに彼を連れてきたのだろうと、とりあえずの仮設が成り立った。
「さきほど、診断と言いましたけど、もしかして、過剰エンパシー障害の治療に来てくれたとか、そういうことでしょうか?」
 菖蒲さんは希有な病気だということを言っていたので、もしやと思う。同じ病気を克服した人から治療を受けられるというのは、もしそうならば頼もしいことだと思う。
 しかし、ケンシンさんはゆっくりと首を横に振った。
「残念だが、私はむしろ君の過剰エンパシー障害を悪化させるために来た」
 予想を逆方向に裏切られ過ぎて、上手く言葉が見つからない。悪化という言葉は強力だ。少し前まで苦しまされていた、もう一人の自分に基づく辛苦を少しだけ僕は思い出す。
 しかし僕の不安が加速する前に、ケンシンさんはこう言葉を続けた。
「というよりも、この過剰エンパシー障害に基づいた……」
 人差し指と中指でナイフを作ったケンシンさんが、ベッドの上の空(くう)を斬る。
「『戦い方』を君に教えに来た」
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