†† 夢 守 教 会 ††  第四話「花の名前」2/(7)

  菖蒲の花/0

 霊前、という言葉は当てはまらない。
 何故なら、わたしが霊の方だから。霊後とでも言うのだろうか。そんなくだらないことをわたしは考えた。
 これは、わたしのお葬式。
 閑寂(かんじゃく)な空間に、ありふれた談笑と、本当の悲しみが同居している。お葬式というのは不思議な空間だ。

 そのヒトが、ゆっくりとわたしの前に歩いてくる。如何に明晰な頭脳を持つこのヒトでも、死後の世界や生き死にのメカニズムを理解している訳ではないだろう。きっと、今でもわたしがここで見ていることをそのヒトは知らない。
 数珠をかけた手を合わせてしばらくの間瞑目した後、そのヒトがゆっくりと口を開いた。

「ごめんね、菫(すみれ)ちゃん」

 今まで見たことがないような、今にも崩れ落ちそうな瞳と、やつれた顔で、本当に悲しそうに、悔しそうに、そのヒトが言った。
 そんな、ダメだよ。ありふれた悲しみに埋もれた弱い瞳も、既製品の黒い喪服も、娘を失ったなんていうありがちな痛みも、あなたには似合わないよ。

 いたたまれなくなったわたしは、あろうことか、自分が主役であるお葬式の会場から、走って逃げ出した。
 このままでは、お母さんはこの先、生きていけない。わたしみたいなくだらない娘の痛みを引きずって、もう理想を追うことができない。

 それでは、ダメだわ。

 わたしは走った。このわたしという存在が完全に死の国へと誘われてしまう前に、誰かに伝えたかった。
 ここに弱いヒトがいるから、助けてあげてと、伝えたかった。
 だけどもう、世界の摂理は覆せない。死者と生者は伝え合うことができない。
 それでも、諦めたくない。何も永遠が欲しいとか、世界を救いたいとか、そんな大袈裟なことじゃないの。
 ただ、大好きなお母さんに、わたしが消えた後も笑っていて欲しいの。
 ああ神様、あと一度だけ、誰かにわたしを認識させて下さい。
 祈りながら、わたしは走り続けた。
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