†† 夢 守 教 会 ††  第四話「花の名前」2/(8)

  花の名前/

 蹌踉(よろ)めくようにして辿り着いた場所は、この町の象徴であるツインタワーのふもとの、ささやかな休息スペースである。
 憂鬱な曇り空の下、いよいよ、わたしという存在が生者の世界から彼岸へと渡らねばならない時が近付いているのをわたしは実感していた。
 なんて、ガランドウ。
 結局、人間は誰にも知られずに、幸福を願う大事な人も救えずに、ただ無機的に死んでいくんだ。
 数多の歴史の中、数多の人間が抱いたであろう、消滅の瞬間の想念を、その時わたしも抱いた。
「あのさ」
 アスファルトの地面にうずくまったわたしが、何処にも寄辺がないまま、最後の瞬間に脅えていた時である。
 わたしの眼前に、そっと一切れのパンが差し出された。三食パンのアンの部分であるという事実と、そういえばツインタワーの片割れの一階は、パン屋さんであったという、本当にどうでもいいことをわたしは思った。
「食べる?」
 あまりにも自然な言葉が、ゆっくりと胸に染みこんでくる。見上げると、肩までかかる髪を無造作になびかせた、綺麗な少女がわたしを視ていた。
「あなた、なんでわたしが視えるの?」
 中学生くらいの年頃と思われる少女に、当たり前の疑問をわたしは投げかける。
「いやさ。視えるものは視えるんだよ。ヒト一般より、認識する力が強い家系なんだ」
 紺のブレザーに膝までかかるスカートという既製品の学校制服を着ていながら、どこかありふれた既存に埋もれない、凛とした瞳を持った少女は、事も無げに言った。
「あの、わたし死んでしまって……」
 何か、間の抜けた話をしている気がしたけれど、少女は至って普通に構えている。
「それって、自殺?」
「いいえ、殺されてしまって」
「そっか、それはご愁傷様だ」
 少女が、天空を指した。
 くぐもった空は今にも雨が降り出しそうで、鈍色の不安に満ちている。そんな幽性の空間に、儚く二つの塔がそびえている。
「この前さ、少年が一人、ここから投身自殺したじゃん?」
 そういえば、そんな話があった。テレビを見ないわたしが知っているくらいなので、世間的には色々と騒がれた話なのかもしれない。
「Life is like a Parody(生は模造で出来ている)だって。何だそれはって感じだよな」
「どうして? どうしてそう思うの?」
 少し、消滅の間際に出会った、この少女に興味が沸いた。
「だって、当たり前だろ。既存から模造が生まれて、模造がまた既存になる。わたし達は、ループするその輪の何処かに存(い)る。『生』って、そういうものじゃないかと私は思うのだけど」
「達見だわ。どこかの革命者とは、大違い。あなた、面白いヒトね。もう少し早く出会えれば、親しくもなれたかもしれないのに」
 今からでも遅くないとでも言うように、少女がゆっくりと手を差し出した。
「私、理子。あなたは?」
 どうしてだろう。こんな、あと数分も存在できないわたしなのに。そんな関係性には意味がないのに、わたしはその手をとった。
「菫」
「へえ、花の名前なんだ」
「そうなの。この名前は、ちょっとだけ、好き。お母さんと同じように、何か花の名前にしようって、お父さんが考えてくれたらしいわ」
「そういうの、なんかいいな。お母さんの名前はなんて言うの?」
「お母さんは……」
 ループする永遠の中では、きっと取るに足らない儚い時間なのだろう。わたしは、消滅する間際、一つだけ誇りに思っていた事柄を、この少し好感を持った可憐な少女に告げた。つまりは、ただわたしは父さんと母さんから生まれたんだっていう、それだけのことを。

「お母さんの名前はね、菖蒲(あやめ)って言うの」

     /花の名前・了
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