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夢 守 教 会
†† 第四話「花の名前」4/(4)
◇◇◇
濁った青緑色で、不愉快な音を発する巨大な人型の魔人。そんな一体全体どうしてこんなものがと、何かを呪わざるを得ないような存在が巨大な腕を振り抜くと、僕はそれに巻き込まれた。
その瞬間、イタミの魔人の体内で僕が感じた認識は、やはり痛みだった。激痛というのもはばかられる、強い、刺すような認識。憂鬱であるとか、絶望であるとか、形容の仕方は沢山あるけれど、人間の精神を殺す類の、圧倒的な負の認識であると、僕には分かった。過剰エンパシー障害者である僕は、長い間感じてきた認識でもある。たぶん、なんとなくは分かっていた。この圧倒的な存在の前に人間は無力で、精神は死に至るのだと。
最初の色から丁寧に、苦悩しながらも自分で考えながら色を決めて、なんとかここまで塗ってきた大事な絵に、黒色のインクを浴びせかけられたような感覚に陥る。
これでは、どうしようもない。磨いてきた空手の技も、コツコツとやってきた勉強も、今まで生きてきた時間も。圧倒的な痛みの前にはどうしようもない。結局、こんな過酷で絶望的な痛みの中で、人は死という最後を迎えるのだとしたら、本当に、僕たちは何のために生まれ、ここまで生きてきたというのだろう。
全てに意味がない。
何処にも、標がない。結論は、痛みの中で死んでいくという、それだけだと最初から決まっているのだから。
ガランドウ。
生とは虚無なのだと、誰とも知れない存在が、足掻く生者を嘲笑っているかのようだ。
だけどなんだろう?
暗い、痛みの世界に、紅の一本の線が浮かんでいる。
本当に、なんだろう?
もう、痛いのは嫌だな。そんな気持ちが同居しながら、本当に興味本位というか、シンプルな衝動に任せて僕はその線に手を伸ばして、そっと握りしめた。
(あなた、バカなの?)
響いてきた凛とした罵倒(ばとう)に、僕はビクリと体を収縮させる。
(とっくに決めてることなはずなのに、同じ場所を行ったり来たり。そりゃ、理子も大変だよ)
誰?
(理子に出会ったこと。誰かを守りたくて努力したこと。傷を負っても理想を信じて立ち上がること。仮に最後は痛みの中で死んでいくとして、本当に無意味なの?)
それは、そんなことはないと思う。ちょっと、今は自信がないんだけれど。
(じゃあ巫和って子は? 彼女も今痛みの中で苦しんでいるのに。どうせみんな痛みで死んじゃうんだからって、放っておくの?)
いや、それはダメだ。僕はともかく、巫和さんは、助けたい。
少し、紅の線に輪郭が現れ始める。力強い赤色は、何故だかいつの日か聴いた熱い鼓動を思い出させる。
(じゃあ、会いに行かなくちゃ)
でも少し迷っているんだ。巫和さんは僕なんかが会いに行っても、迷惑なだけなんじゃないかな、なんて思って。
(そんなの会いにきて欲しいに決まっているじゃない。わたしは、そうだったわ)
気が付けば、僕を黒色に塗り潰そうとしていた痛みの存在を忘れていた。ナイフで切り裂いたような深紅の力強い主線が、もうそんな黒色を認識している暇が無いほどに鮮やかだったからだ。
(ねえ。人の心って不思議よね。こんなに痛いのに。大事な人が会いに来てくれたら、嬉しいって思っちゃうわ)
うん。確かにそうだね。僕も最近一人でいた時、色々な人が会いに来てくれて嬉しかったんだ。
(じゃあやっぱり、会いにいかなくちゃ)
そうだね。本当に会いに行きたくなってきた。だけど状況がちょっと絶望的なんだ。誰だか知らないんだけれど、誰かが操っている凄い痛みが襲ってきて、僕はもう死にそうなんだ。
(わかってる。
だからわたしがいるんじゃない。
理子からわたしの名前は聞いているでしょ?
名前を呼んで。
わたし、この名前だけは、結構好きなの)
紅の主線で描かれたその存在を、僕はもうしっかりと認識していた。僕の心の中にある、そしてどうやら理子から貰ったらしい、紅蓮の和弓だ。そうだね。とりあえず僕は、まだ会いたい人がいる。会いに行かなきゃいけない人がいる。だとしたら、ここで痛みに溺れて、死んでしまっている場合じゃない。
「力を貸してくれるんだね?」
(アイツとはわたしも因縁があってね。さあ、ぶっ飛ばしていくわよ)
暗い煉獄の痛みの中。頷いた僕は、その名前を口にする。黒色で「無」に染まった世界が、「名前」という言語による凛然(りんぜん)たる紅色で、苛烈に分断される。
「力を貸してくれ。十六代目炎輝姫(えんきひ)、木間菫(もくますみれ)!」
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