†† 夢 守 教 会 ††  第三話「輝きの先」2/(4)

  巫和の世界/2

 デスクの上に置かれた一つの紅茶がすっかり冷めてしまった頃、当の紅茶を煎れた本人が帰ってきた。
「お帰りなさいませ、竜志様」
「あはは、そんなに恭しくしなくていいって言ってるじゃない、巫和君」
 この人、竜志様はあれほど私が心の底から従属の意志を伝えたのに、なんだか気軽に友人にでも話しかけるような口調で私に話しかけてくる。
 まだ少し前の学生だった頃、私にこのようなくだけた口調で話しかけてくる友人が学園にはいなかったので、なんだか私は戸惑ってしまう。
 そしてそれ以前に、自分に従属の意志を示した若い女性をこうも丁重に扱うこの人のあり方が、私には少し信じられなかった。警察から殺人容疑で追われている私を事務所に隣接するマンションの自部屋にかくまったのみならず、この一週間、一度も性的な要求を私にしてこなかった。
 私に女性としての魅力が無いと言うのであればそれまでだけれど、短くない中・高の学生時代を通して、私は異性から何件もの告白と、何通もの恋文をもらったことがある。
 そういった客観的な事実から導き出された、どうやら自分は異性の好意の対象になりやすいらしいという私の自意識は、私の奢りだったのだろうか。
「あの、つかぬことをお聞きしますが」
「なーに?」
「竜志様から見て、私には女性としての魅力が無いでしょうか」
「おおう。巫和君大胆だなぁ。間接的な告白? 一週間一緒にいて、俺のこと好きになっちゃった?」
 頭に血が上って顔が紅潮していくのが分かる。怒りとか、そういうのではなくて、なんだろう、この感情は表現しがたい。
「ち、違います。その、私に女性としての魅力が無いのならば、真実を教えて頂く代わりに私の身体を差し出すという交換条件が、等価交換にならずに意味を失ってしまうと思いまして。
 それに、『好き』とかそんな低俗な感情ではなくて、私は竜志様を心から敬愛し、信仰しているとお伝えしているはずです」
「ふーむ」
 竜志様はデスクの上のラップトップパソコンに電源を入れると、腕を組んで思案するような仕草を見せた。この事務所にあるパソコンは私の家にあったものより数段最新式だったが、それでも立ち上がるのに数分かかる。竜志様はパソコンが立ち上がるまで、よく紅茶を飲み、本を数ページ読み進め、そして時に私に話しかける。
「今、君は面白いことを言った」
「はい?」
「『好き』って感情と、『信仰する』って感情を比較して述べた部分だよ。巫和君は『信仰する』方を上位にそえた訳だけれど、実際の所どうなんだろうね」
 竜志様との対話は好きだ。学生時代、私はいい大学に入るために学業に克己したが、その時学校のどんな先生とも取ることができなかった、本当の意味で知性的なコミュニケーションをこの方はとってくれる。
「それは……『好き』はありていに言えば生殖本能を言語で覆った動物的感情の延長です。
 一方で、信仰心は抽象的思考が可能な人間のみに与えられた、真実の、真実の……」
 何故だか、私はそこから繋げる言葉を口に出せなかった。
「うーん。巫和君は固いなぁ。
 いやまあ、聞いてくれ。僕の友だちに、もうすぐ死んでしまう自分を救うために、宗教を立ち上げた女の子がいる。そして彼女の側には、そんな彼女を守るっていう男の子がもう一人いるんだ。
 この世の理がひっくり返りでもしない限り、女の子は死んじゃって、男の子は彼女のことを守れない。それでも宗教を作った女の子に寄り添い続ける彼の中にある心情ってのは、果たして『好き』なのか、『信仰する』なのかってね」
「それは多分、『信仰する』の方です。信仰心は生き死にを超えた、真実の、真実の……」
 どうしてか、またしても私はその後に言葉を繋げられない。
「そう、巫和君はそう思うか。
 でも俺は違っていてね、多分彼にあるのは、女の子が『好き』っていうただそれだけなんだ。『好き』っていう気持ちにはそれくらい強い力がある」
「そうでしょうか。信じられません。愛し合い、子を成して、せいぜいその子どもに夢を託して死んでいく。そんな行為に、意味なんてあるでしょうか?」
「ある。
 と俺は考えてるんだ。そこでさっきの話に繋がるんだけどね」
 竜志様が近付いてきて、そっと包み込むように私の髪に触れる。まるで恋人に取るような行動。こういった扱いを受けるのも、十六年間生きてきて経験したことがないことだった。
「白状しちゃうと、俺が模造の世界を壊して真実の新しい世界を作りたいのは、俺が愛している、『好き』になった一人の女性のためなんだ。その人がこの模造世界では生きられないから、一度壊して新しく創らなければならない。今の俺が存在する理由は、本当、それだけ。幻滅した?」
 何故だか顔が紅潮していくのを必死に抑えようと意識を働かせながら、頭の別な部分で思考し、竜志様と対話を続ける。
「いえ。まだ今の私には理解が及ばない部分もありますが……。
 つまりはその人のために、竜志様はこの模造の世界を壊すと。
 その人は、新しい真実の世界に共に到達する同士と考えてよろしいんでしょうか?」
「うーん。巫和君からするとそうなるのかな。俺からすると……」
 竜志様が考え込むような仕草を見せる。ラップトップパソコンはとっくに起動してしまい、薄暗い事務所にモニターの光を点滅させている。
「まあいいや。俺とあの人との関係を話し始めると長い。とりあえず、長々と話してきたけど、要するに今の話が質問の答えってこと。巫和君は異性として魅力的だけど、俺には他に『好き』な人がいるんだ、ゴメンね」
「あ、いえ、謝られるようなことでは」
 本当に謝られるようなことではない。恋愛感情が原動力になるという竜志様のお話は分かったが、それがそのまま私を対象にするとは考えてなかった。竜志様と恋愛関係を結ぼうなどという大それたこともまったく考えていない。本当にただ、真実の対価として自分に何を差し出せるのか、その点を疑問に思っただけだったのだから。竜志様がその人を愛し、結果としてこの模造の世界が破壊され、私も新しい真実の世界に連れて行って下さるのなら、それで特に問題はないのだ。
「最後に一つ、忠告だけど」
「はい」
 再び私は姿勢をただす。
「いや、君が信仰してくれてる竜志様としてというより、同年代の友だちとしてって感じなんだけど」
「は、はあ」
「そのうち君にも本当に『好き』な人ができたら、君はその人に、」

――「助けて」って言いなさい。

 またしても、理解が追い付かなかった。竜志様の教えは、今の至らない私には崇高過ぎる部分がある。

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