†† 夢 守 教 会 ††  第三話「輝きの先」3/(3)

  巫和の世界/3

 午前九時。竜志様のマンションのベランダで布団を干していると、背後のドアが開いて、まだ寝起きと思われる竜志様がベランダにやってきた。
「おはよう、巫和君。色々してもらっちゃって悪いね」
「いえ、今はこれくらいしか竜志様のお役に立てることがないので」
 竜志様はパジャマ姿のまま大きく伸びをすると、両手を上にあげて万歳の姿勢をしたまましばらく動きを止めた。五月の太陽の光が竜志様に降り注ぐ。
「太陽の光を吸収してるんだよん」
「は、はあ」
「光合成?」
「あの、私をからかっておられますね?」
「からかってないよ。さすがに葉緑体は持ってないから光合成はできないけど、太陽の光を浴びているのは本当。起きた時に一旦陽の光を浴びることで体内時計がリセットされて、規則正しい生活をするのにいいんだよー」
 竜志様は知性的で深淵なお話もすれば、不真面目で本当にどうでもいいようなお話もよくされることがここしばらく一緒に暮らしてきて分かってきていたので、この手のコミュニケーションには慣れ始めていた。今のはどちらかというと後者のどうでもいい話に入りそうだ。
「という訳で、はい。プレゼント」
 唐突に、差し出される。
 片手に握っていた紙包みが何なのかとは思っていたのだけど、意外にもその包みは私に対しての物だったらしい。
「昨日のうちに買っておいたんだけどね。まあ、開けてみてよ」
 竜志様は私にとって信仰の対象だ。私から差し出すことこそあれ、物質的な物を逆に差し出される道理もない。私に与えてくれるのは、精神的な「真実」だけでいいのに。そんな思いも過ぎったが、一般的な社会常識としては、差し出されたプレゼントを断るのも失礼に当たるという気持ちも同時に抱く。
「ほらほら」
 竜志様が陽気に促すので、私は葛藤を中断して、竜志様に流されるままに結局紙包みを開けてしまう。
「帽子……ですか」
 紙包みの中からは、グレーのチロルの帽子が出てきた。
「巫和君は確かに警察から手配されているけど、顔写真なんかは出回ってない訳じゃない? これを深くかぶって知人に分からないようにすれば、ある程度外出できると思うんだよね。ずっと、ここと事務所をこそこそと行き来している生活にも飽きてきたでしょ」
「飽きたということはありませんが、確かに、今後竜志様のために外に出ることはあるだろうと思っていました」
「でしょ。どう、気に入った? デザイン的にとか、そういう意味で」
「あ、はい。その、素敵な帽子だと思います」
「それと、」
 お礼を伝え終える前に、竜志様は続いて胸のポケットから小さな銀色の物体を取り出した。
「こっちはプレゼントと言うより事務用かな。外に出てる時、俺に連絡を取りたくなったらこれを使ってちょうだい。俺の番号はもう登録しておいたから」
 差し出された銀色の物体を受け取る。
「これは、携帯電話ですね」
 一年のクラスの時、何人かが所持していたが、私には縁の無いものだった。表面的な交流を円滑に取りながら、その実自分の目的にだけ邁進していた私は、深く級友と繋がることがなかった。ポケベルも、PHSも、携帯も、所持する必要が無かったのだ。
「そ、これは重要だから、使えるように練習しておいてね」
「はい。今日のうちにでも、使えるようにしておきます」
 使ったことは無かったが、家にいる時はパソコンを使っていたので、通信機器全般に関する理解はある。ある程度使いこなすのに、それほどの困難は無いように思われた。
「あの、私だけこんなに頂いてしまって。私には返せるものがありません」
「いいっていいって、そんなに高いものでもないし」
「お金の問題ではありません」
「うーん」
 まだ寝起きで所々髪の毛がはねている頭をポリポリとかくと、竜志様は干してあった布団にうずくまるように身をあずけた。
「じゃあ、巫和君のお話を聞かせてもらおうかな」
「私の話ですか?」
「そう。巫和君が来て結構経つけど、なんか俺が喋ってばかりじゃない。巫和君は、『はあ』とか『ええ』とか言ってばかりだ。
 どうして世界を壊そうと思ったのか、とかさ。どうして巫和君の料理はあんなに美味しいのか、とかさ。その辺りを聞かせてくれたら、プレゼントは等価交換ってことでOKだよ」
「は、はあ」
 言われたそばからまた言ってしまったことに気が付いて、顔が赤くなる。しばらく感じていたことだが、竜志様と話していると、私の考えや行動を竜志様に掌握されているような奇妙な感覚を抱くことがある。だけど、それは不快ではない。
「私の話なんて、きっと、つまらないですよ」
 だから私は、そう言いながらも承諾の意志を伝えた。
「じゃ、ダイニングに行こうか。目覚めの紅茶でも飲みながら、ゆっくりと話そうよ」

 結局この日、現在の私を規定している中学一年の頃から、今までの四年間あまりの間にあった出来事を、かなりの時間をかけて私は竜志様に話してしまった。

       /巫和の世界3・了
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