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夢 守 教 会
†† 第三話「輝きの先」4/(5)
巫和の世界/5
竜志様から頂いた帽子をかぶって、久しぶりに外に出た。今日は大事な日だから、栄養を第一にしながらも、少しだけ気分的に豪華な夕食を作ろうと、その食材の買い出しに出かけたのだ。
とは言ってもそんなに遠出をする訳ではない。竜志様のマンションから車道を挟んで歩道と欄干がついた少し大きな橋を渡って少し行った所に、品揃えのいいスーパーマーケットがあるのだ。見積もった時間は買い物の時間も含めて往復四十五分程度という、ささやかな外出のつもりだった。
町の風景は自宅を出て、学園を抜けた頃から、ほとんど変わらない。見上げれば町のシンボルであるツインタワーが見え、車道には車が走り、花屋であるとか、ケーキ屋であるとか、商店の位置も変わることがない。そして、相変わらず行き交う人々は痛みに満ちている。
町から橋に差し掛かる頃、私は弓村理子について考えをめぐらしていた。
会ったことも無い彼女のことを考えると、胸がざわつくのは、いったい何故なのだろうと。
竜志様が「あの人」と呼ぶ女性を愛し、大切に思っていることを聞いた時、このざわつきは感じなかった。それなのに、弓村理子を大切な存在だと竜志様が語る時、心の平静を保てないのはいったい何故なのだろう、と。
やがて橋に辿り着いたので、向こう岸に向けて、てくてくと歩道の部分を歩いて橋を渡っていく。欄干の隙間から見える河の流れに、夕日の朱色が反射されはじめる。そんな時間だった。
――つまりは、そう。
――竜志様の「あの人」はこの世界に絶望し、
――弓村理子はこの世界を肯定するから。
一つの答えに辿り着きかけた時、橋の真ん中に一人の男の人が立っているのに気が付いた。
まるで私の行く手を遮るように、静かに、だけどしっかりと橋のアスファルトに足を据えて、こちらを見ている。困った。私は向こう岸に夕食の買いだしに行かなくてはならないのに。
あと数歩ですれ違うという所で、男が声をかけてきた。
「西條巫和君。『世界定立』という言葉を知っているかな? この世界がここに『在る』という、人間が持っているアプリオリな信頼のことさ」
赤い髪で、耳にピアスを付けた、幽性の男。
この人、
――「痛み」が、視えない。
「あなたは誰ですか?」
「本当は誰でも無いんだけどね。敢えて名乗るならば、シルヴィウス。ブレイン、竜志の友人だよ。子どもの頃からのね」
「その竜志様のご友人が、私に何の用でしょう?」
男が、近付いてくる。分からない。冷や汗が止まらないのに、動けない。男の目が、私を束縛しているような奇妙な感覚に襲われる。
「何、君を楽にしてあげようと思ったのさ。竜志に入っている雑音(ノイズ)が、気に入らないんだろう?」
動けない私の額に、男の人差し指があてられる。爪が食い込んだのだろうか、チクリと、わずかな痛覚を覚える。
(雑音は、消してしまっていいんだよ)
頭の中に、直接そんな声が響いた。
その瞬間、私の深い所にあった「何か」が崩れ去る。
「あ」
精神に直接干渉されて、思考に方向性を与えられたような快楽が私を襲う。その気持ちいい方向へ向かえという命令が、電流となって脳から背筋へとほとばしる。膝を折って地面に座り込んだ私は、ビクンと一度、大きく体を痙攣させた。
「僕は全ての存在が向かう方向とは真逆な場所にいる。君が君を縛り付けている牢獄から抜け出そうとするならば、また会うかもね」
男はそう言い残すと、私がやってきた方向へ向かって歩き出し、そのまま私に一瞥もくれずに去っていった。
困った。今夜は竜志様に、腕によりをかけた夕食を作ってさしあげなきゃならないのに。
/巫和の世界5・了
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