2003年09月のSEED



SEED/第47話「悪夢は再び」/2003.09.06


 47話。

「平和を唱えながらその手に銃を取る、それもまた悪しき選択なのかもしれません……  でもどうか今、この果てなき争いの連鎖を断ち切る力を……」

 上記のラクスの台詞でTMの「Meteor」がスタート、同時にMeteorを装着して出撃するキラ、アスランのOPコマ割カットという流れは見事。ラスト10分の密度は凄い。

 イザークとナタルの立ち位置がかなり似てると感じた。軍のため…という立ち位置を保持しつつも妥協無き殲滅戦を肯定できなくなってきてる辺りが。
 初期作中ネガティブの代表だったフレイもこのラスト4にきて(反省の描写を含みつつ)ただ個人としてキラ(及び仲間周辺)との再会を願うというポジション。初期主要キャラは当初の立ち位置を問わず肯定的に描かれる方向にシフトしてきて、否定すべきものは「戦争」そのものという感じにまとまってきた。それは番組開始当初から制作サイドが言ってきたことなので、こう強く、また上手く主張されると、ああ、いよいよこの作品も終わるんだなぁとちょっとしんみり。
 「Genesis」及び「Peace Maker」という悪趣味な命名も、戦争は嫌悪の対象にしかなりはしないということが(いささか皮肉めいて)伝わってきて、今回は一番重い部分の作品の主張を全うした感じ。

 ラスト3。戦争はどう終結するのか、仮面はどうラスボスとして動くのか、イザークとナタルの結末はどうなるか、フレイ−キラ関係の結末はどうなるか、出撃するであろうカガリの役割は何なのか、最後にラクスはどんな語りをみせるのか…この辺りが僕の興味の対象でしょうか。ともあれ心に響く結末を期待しています。


SEED/プチ雑感/2003.09.09


 ラスト3話ですねェ。

福田監督インタビュー
 注目したいのは末尾の「SEEDの最終回は、殱滅(せんめつ)戦へ行き着こうとする流れをくい止められるのは組織よりも個人の力、という帰結にした」という言述ですかね。SEEDのメインテーマは「個人」だと言い続けてきた僕としては裏付けられた感じがして嬉しい。
 僕が何でSEEDが好きかって言ったらこの「個人が大事」って主題が初期から一貫して貫かれてるからですね(そして上記の言述から最終回も貫き通す模様)。その一点に尽きます。そんな主題が最初の方はメタフォリカルに所々に散りばめられていて、それが終盤に顕在化して収斂するという構成が凄くイイなと感じたんでこんなFavorite作品になっちゃったんだと思いますね。
 似たようにその作品なりの主題を貫いて同じように終盤に収斂させた作品っていうと、媒体は違うけど「るろうに」と「龍騎」、ちょっと複雑なのでは「ジョジョ」あたりがそうなんじゃないかと感じてるんですが、やっぱしそれらも特別に大好きな作品なんですよね。なんかこう、核の部分を貫いてくれれば些細な点は気にならない自分がいます。上記作品との共通点なんかを感じつつ、自分は抽象的なレベルでどんな作品が好きなのか、それを確認できた作品でしたねSEEDは(まだ終わってないけど)。


SEED/第48話「怒りの日」/2003.09.13


 48話。

■なんか
 誰もが死にオーラを纏ってるような気が。もう誰が死んでも驚かない。

■なんか
 エリカ・シモンズがカッコよかったんですけど。実は一番働いてる一番有能な人なんじゃないだろうか。

■なんか
 これが最後の出撃なのかな?キラ側はやけにあっさりした印象。アスランの方はちょっと良かった。カガリの「死なせないから、オマエ」が良かった。「死なないで」とか「必ず帰ってきて」とかは過去の幾百の物語でありましたが、「死なせない」と能動的なのはちょっと新鮮でした。しかしこのラストでカガリが出撃するワケ、誰かの、もしくは本人の死亡イベントに関わるためとしか思えない。どうなるいったい。

■思えば
 ナチュラルカップル(フラガ、マリュー)、ナチュラル、コーディネーターカップル(アスラン、カガリ)、コーディネーターカップル(キラ、ラクス)ですね。なんか意味深。

■そして
 後方に残されたイザーク。ファイナルバトルはオルガら三人VSイザークのプラント攻防戦って感じするな。イザークヤバイよ。

■プロヴィデンス
 ボス機登場。初代で最後の最後にジオングが登場したノリで、最後にクルーゼのボス機が登場するだろうことは予想していたけど、名前がやけにカッコいいな。ザフトンとかクルゼンとかそんな感じの名前かと(ジオングっぽく)予想してたのに。神とは。

■今週号のTVブロスは…
 ちょっと気合い入れて観てる人は必見かと。監督インタビューが載ってます。最後は言葉が通じない者達が核戦争を始めた中、心だけで分かり合えたニュータイプへのアンチテーゼとして「言葉」の重要性を描くらしい。この前の「個人の力」を描くという言述と合わせるとかなり最終回の輪郭が見えてきますね。予想とかやめとくけど、「個人」の方はキラ、「言葉」の方はラクス……そんな感じ、するよなぁ。


SEED/第48話「怒りの日」その2/2003.09.14


 48話にちょっと追加。

■一つの対比
 この忙しい終盤に随分と時間を取って描写されたイザークママとイザークとの対面場面。ここ、あくまで子を想うエザリアと、ラストに「アスランを討っても構わない」と言ってしまうザラ議長との対比を描くためだったんじゃないかと。
 これはイザークママとイザークが何気に重要なのかも。というのも最後の戦争終結にはやっぱ上層部の決断も描かれる必要があると思うから。イザークの行動を踏まえて、個人(母親)として子を愛するエザリアが戦争終結を宣言するんじゃないのかなぁ。この予想だとますますイザーク死にそうですが。

■ファイナル
 キラの出撃があっさり目だったのが気にかかってたんだけど、これ、最後の出撃は盛り上がるはず、ヒロインが絡むはず、という法則からして、もう一回、ずばりフレイ絡みで最後の出撃があるんじゃないかと。キラ−フレイ間の結末は絶対描かれなきゃならないと思うんで、もう一回二人が接触するんならかなりあり得るんじゃないかと。
 前々から言ってるんですが、作品的にはキラとフレイが結ばれるのが一番だと思うんですよね。種族が違っても分かり合うことができる。カテゴリーじゃなくて個人を見れば愛することができる。失った関係は修復することができる。人は過去を反省することができる。様々なテーマの一つの解答になるような気がして。ああ、なんか最終回コレでいいような気がしてきた。戦争の結末よりもキラ−フレイ間の結末の方が気になるなぁ。


SEED/第49話「終末の光」/2003.09.20


 命散りゆく49話。

■ナタルさん・゚・(ノД`)・゚・
 最高の散り様。こんなに破格の扱いで描かれるとは思わなかった。作中のジョーカーって感じ。メインの4人を超える勢いで作中重要キャラだったんじゃないかなぁ。この作品のラスト2で描くのにふさわしい死に方をしてくれたんじゃないかと。一番「軍人だから〜」みたいな感じで「〜だから」と「所属」する人として生きてきた人が最後に命を賭して個人的に行動。カテゴリー依存他者否定の親玉作中悪を最後に滅ぼしたのが主人公達じゃなくそんな彼女の行動だったというのがね……うん、最高。また彼女の命を賭した行動をフラガがこれまた命を賭して繋いでくれるのがね……アラスカでの別れの際に一瞬だけあったナタル→フラガへのほのかな恋愛意識の描写が思い出されて泣けた。

■カガリのSEEDモード
 この種割れ描写については監督だかがインタビューで「特に深い意味は無い」みたいなことを言ってたと思うんで、ほんとは単純なエンターテイメント演出としてスルーしておいていいと思うんだけど、敢えて深読みしてみる。
 コレがカガリが出撃した一つの意味だったんじゃないかなぁ。14話でジョージ・グレンが「人の現在(いま)と未来の間に立つ者。調整者、コーディネーター」とか言ってたの(コーディネーターはあくまで調整者で、もっと進化した新人類があるっぽい)とクジラ石の存在(これもさらに進化した存在の証拠)とかから考えると、「やがて現れる新人類=SEEDを持つ者」っていう解釈がわりと自然だと思うのね。で、そんな中でアスランパパはコーディネーターこそ新人類だと唱えて「コーディネーター=新人類、ナチュラル=旧人類」の括りで戦争やってる。確かにSEEDを持つ者はキラ、アスラン、ラクスとコーディネーターばっかだったんで、「コーディネーター=新人類」で合ってたのかなぁと思わせておいて、実は今回ナチュラルであるカガリも種割れという現実。これは新人類の種はナチュラルとかコーディネーターとか関係無く持ってるということを言いたいんじゃないかと。言うなれば「新人類=SEEDを持つ者」から見れば、ナチュラルもコーディネーターも旧人類に変わりはないということなんじゃないかと。そうなると戦争の原因にもなってる「コーディネーター=新人類、ナチュラル=旧人類」という括りは意味が無くなってきますよね。アスランパパ理論崩壊です。自己否定を迫られます。実際は「SEEDを持つ者=新人類、ナチュラルとコーディネーター=旧人類」だったと……根っこからしてこの戦争は間違ってたっていう流れになるんじゃないかなぁ。カテゴリーに括り括られがキーになってたこの作品。所詮旧人類で括られる中でお互いを括り合って繰り広げられている殲滅戦を背景に、全てを括って全否定しようとしているクルーゼと括ることをやめて救済しようとしているSEEDを持つ者達という対立で最終戦です。果たして最終回の各々の行動や如何に。

■しかしながら
 とりあえず色々と散っていったキャラの冥福をお祈りします。キラとアスランも不殺解いてたみたいだし、ホント死にましたね、今回は。みんなあっという間に散っていく中、最後までその人らしい素の台詞を残して散っていったフラガが印象的でした。

■次週最終回
 予告からしてキラ死にそう。前回もそんな雰囲気ありました。ラクスがキラに指輪を渡す場面なんですが、唐突な恋愛描写というよりは、前パートラストのキラとアスランが覚悟を決めるのを憂うような表情でラクスとカガリが見つめるシーンからの流れで指輪を渡したんじゃないかと思えてきました。キラは42話でアスランに「僕たちはまだ死ねない」とか言ってるんですが、コレって裏を返せば「やるべきことをやったら死んでもいい」という覚悟をキラが持ってるともとれると思うんですね。そんなキラの覚悟を感じ取ったラクスが、生還の願いを込めて指輪を渡したんじゃないかと思います。でもそんな感じで掘り下げられたキャラって死兆星が大きく見えますよね。ああ、なんか死ぬんだけど最後のEDで実は……!みたいなラスト希望かな。

■補
 ここにきてのイザークの活躍良かったねェ。ディアッカとさりげなく力あわせるとこ良かったねェ。さて僕のディアッカ死ぬ予想は当たるかハズれるか。


SEED/明日は最終回/2003.09.26


最終回の見所/公式サイト
 「いわゆる『サイコミュ兵器』を搭載したモビルスーツとキラのガンダムの闘い」とのことでラストは大方の予想通りキラVSクルーゼの模様。これで期待できるのは両者に縁の深いフレイが関わる展開。ホント関わってくれい。もし最後にフレイ→キラで「私の想いがあなたを守るから……」or「あなたが優しいのはあなただからでしょう?」の台詞が出たら泣きます自分。しつこく言ってるけどキラ−フレイの結末がこの物語の結末でしょうやっぱ。あと一話で全てを消化するのは絶対無理なんだけど、コレさえやってくれればテーマ的には完結ってことで個人的に満足なんだけど……これで明日フレイまったく出てこなかったらどうしよう……
 で、キラがファイナルバトルやってる間アスランは…ってことだけど、やっぱパパ関係でしょうたぶん。こっちは48話のカガリの「死なせない」がかかってくることを希望。
 あと上の監督コメントでEDは中島曲と判明。ラストEDはそれでイイとして、クライマックス曲はまた他のを希望。「あんなに〜」かな、やっぱ第一候補は。フレイのシーンで「Meteor」とかだったらホント泣くんですが(「罪は優しさに 刺は微笑に 変えてゆけるなら」あたりの歌詞がフレイを表象してるように思ってるんです)。

 とにかく一年もアニメを気合い入れて観たのは初めてなんで感慨深いですね。


SEED/最終話「終わらない明日へ」/2003.09.27


 最終話。

■キラ−フレイの結末
 昔の自分が書いた感想なんかを読み返してみると、僕は10話の感想で「最終的な問題解決のためには種族による差別意識を何らかの形で昇華させてやることが不可欠です。つまり最終回の時点でフレイの心が昇華されているかどうかがポイントの一つ」なんて書いてる。また2クール目を終えてのときにも「キラ−フレイが最終的に結ばれるのも、また説得力が出てくる」「フレイは重要人物で、やはりヒロインの一人」なんて書いてる。こんな風にずっとキラとフレイの心が結ばれればこの作品の一つの結末になるなぁと考えていたので、最終話で時間を取って描かれたキラ−フレイの結末は感慨深い。
 根強いコーディネーター否定の意識を持っていたフレイが、コーディネーターとしてではなくキラ個人の優しさに触れてしまい変わっていく。その優しさってのがラクスの言う所の「あなたが優しいのはあなただからでしょう?」という優しさなんで、二人の結末が「如何に個人を見るか」という作中テーマの結末にもなっているし、さらに一度は壊れたキラ−フレイ間の関係を再び修繕したという形にもなっているんで、キラ−アスランの離別から和解、キラ−サイのすれ違いから相互理解と、「一度失った関係は取り戻せるか?」とたびたび繰り返された作中テーゼの最終結末にもなっていると思う。
 というわけで今週泣けた・゚・(ノД`)・゚・
 キラに存在否定をせまるクルーゼに向かってキラが「それでも僕は、力だけが僕の全てじゃない!」と叫ぶ。それに対して「それが誰に分かる!」とあくまで存在否定を突きつけるクルーゼ。そこに一瞬入るフレイのカット……ここ上手すぎ。フレイだけはキラの力ではなく優しさを「分かって」るんですねー、利用しようと一番近づいてしまったがために。
 前に「仮面理論をぶっ壊すのは誰か」とか書いたけど、このフレイの存在そのものが一つは仮面理論を反駁した形と言えそう。
 そして間一髪クルーゼの攻撃をシールドで防いで、実に20話ぶり位に正面から眼を合わせるキラ−フレイ、ナチュラルにこぼれ出る微笑。もうここでエンディングテーマに行ってもいいんじゃねえかと思った
 で、ラストの精神世界?でのフレイ−キラの対話ですな。「本当の…私の想いが、あなたを守るから……」ってくあっ!本当に言ってくれました。13話の「私の想いはあなたを守るわ…… 」のリフレインです。あのときは利用するための偽りの「想い」だったのが、今度は本当の「想い」へと変化している。なんというかこの変化がこの作品の全てという気がした。カテゴリーから個人へ、差別から愛へ……・゚・(ノД`)・゚・

■カガリ−アスランの結末
 一方カガリ−アスランサイドの方はこちらも昨日書いた48話のカガリの「死なせない」がかかってきてました。「逃げるな!生きる方が闘いだ!」ってカガリカッコ良すぎ。完璧にカガリ>アスランです。
 最後の半壊したルージュに寄り添う二人の絵は、こちらも種族の差異を乗り越えてここにいるという感じで決まっていました。

■ディアッカ−イザークの結末
 ディアッカ生き残っちゃった!
 というわけで僕の予想はハズレました。別に何もしませんが(笑
 イザークがホント最後までカッコ良かった。半壊したバスターを庇いながらクロト機撃墜する所なんぞもう。バスター、デュエルそろってフェイズシフトダウンするシーンはかなり胸にくるものアリ。こちらも失われかけた関係を保持した結末です。

■謎の男
 ヤキン・ドゥーエ突入時にカガリをノリノリで護衛してた顔無しのブルーの男は何者?地味にカッコ良かったんスけど。

■しかしながら
 時間無い中で良くまとめた方とは思うけど、よく分からない部分も多数。とりあえず監督インタビューで言ってたことと全然違くない?僕読めてない?殲滅戦を食い止める「個人」と「言葉」を描くって言ってたはずなんですが、「個人」は結局誰だったんだろう。思いつくのはアスランパパを射殺したあのザフトの人くらいなんですけど、ああいう個人的行動がきっかけになったってことなのだろうか。僕が予想してたのはラクスという個人がキラを変え、キラのアラスカでの行動がイザークを変え、イザークの行動がエザリアを変えって感じで個人の連鎖で戦争のような大局的なものも変わっていくって流れだと思ってたんだけどなー。つまりイザーク大活躍篇。妄想に終わってしまった・゚・(ノД`)・゚・。
 さらに「言葉」の方はいったい?絶対「言葉」を担うのはラクスだと踏んでたんですが、ラクス、最終回はほとんど活躍してません。クルーゼが「君の歌は好きだったがね、だが世界は君の歌のように優しくはない!」って言ったときにクルーゼ理論を反駁する形で「言葉(歌)」が出るものだと思ったのに、何も無かったですし……唯一の可能性としてはヤキン・ドゥーエ内部のザフトの人が「ラクス様…」と漏らすシーンがあったんで、「撃てば癒されるのですか!」等のラクスの言葉が心に届いていて、それが反アスランパパのきっかけになったって捉え方でしょうか。そうだとしたらもう一描写欲しかったですよね。
 いづれにしろ、停戦は上手くいくのか、これから種族間の差別意識は解放に向かうのか……他もろもろ、語られなかったことは多数です。大局的な部分で未解決な部分が沢山あるということで、その辺りは続編に持ち越しということを強く希望したいと思います。まあミクロな部分(キャラ同士の関係とか)でそれらの問題の解決へ向けての希望を描き収束させたという点で、ここで一区切りの終幕は享受できますけどね。

■それはそうと
 プロヴィデンスVSフリーダムの死闘は絵的に燃えさせてくれました。さすがファイナルバトルって感じの高水準エンターテイメント映像だったと思います。あの半壊しながら最後に切り込むシーンなんぞはもう!……ね!

■これにて
 一年間追ってきたガンダムSEEDは終了!
 でもしばらくの間はSEED絡みのトピックで思いついたことを総括も含めて書いていこうと思うんで、もうしばらくこのコンテンツは続きます。
 いやー、それにしても終わった終わった。



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