放映終了後のSEED



SEED/最終話「終わらない明日へ」その2/2003.10.01


■そしてフレイ
 死なずにいてくれれば…というのは素直なFAN心なれど、キラの「まだ死ねない」や「もう銃を取ってしまった僕だから」、前話のラクスの「守るために銃を…」の語りの後のナタルの「あなたはここで死すべき人だ、私とともに…」等、贖罪も一つのキーとなっていたこの作品。やはし心変化前のフレイは相当悪いことやってるんで、ここで命散ったのは僕的にはそれほど違和感なかった感じ。散り際のシチェーションはシャトルを守れなかったキラにつけ込んだこと何かが回りに回ってきたという印象。そんなことも考えると「でも今、やっと自由だわ、とても素直にあなたが見える」という精神世界のフレイの台詞は結構深くてやはし泣ける。そして「私の想いがあなたを守るから」が13話のリフレインになってるのはこの前書いた通り。その想いを受けて爆煙の中から現れるフリーダム→キラの眼は最後のSEEDモードになっている→最後の闘いへと飛び立つフリーダム……の流れはもう一度観たけどやはりグッとくる。誰が何と言おうとこのキラ−フレイの結末は最終話でやってくれて良かったと思う。前に最後の出撃はフレイ関係なんて書いてたけど、まさにそれをやってくれた感じで、燃え泣き。

■そしてラクス
 そしてフレイに出番全部持ってかれちゃった感があるのがラクス。ラクスだけ最終話でどこにも着地点が無かったような印象。仮面の「君の歌は好きだったがね、だが世界は君の歌のように優しくはない!」の所で「アレは…」とプロヴィデンスを見上げるラクス。ここが事実上最後の出番。ここ、「何と闘わねばならないのか…」と問い続けてきたラクスが遂に「闘うべき相手」を認知する場面なのに、やけにアッサリしてた印象。初めて「何と闘わねばならないのか…」の台詞が出たのが実にクルーゼの前だったりと、いろいろ仕込みはあったと思ったのに。このあと仮面の人間はダメだ演説が始まるんだけど、それをラクスに論駁して欲しかったというのが一ラクスFANの切ない想い。そのやりとりがヤキン・ドゥーエ内に響き渡って反アスランパパ、穏健派の決起を誘引という感じの戦争の帰結だったら、正に「個人」と「言葉」の力って感じで最高だったと思うんだけどなぁ。結局仮面演説をぶっ壊した台詞はキラの「それでも守りたい世界があるんだ!」で、ようするに「理屈じゃ無い!」みたいな決め技。ここはここでおお、やっぱそういうのは理屈じゃないよなーとも思ったんだけど、やはしラクスが理詰めで倒す展開も観たかったというのが一ラクスFANかつロジック好きな僕の感想。「言葉は信じられませんか?ならば自分はどうですか?」みたいな36話のような惚れ惚れとするような論理展開をもう一度観たかった。
 というわけで朋友(ポンヨウ)冷や飯の生活さんより頂いたラクス絵↓



 当然のようにラクスをチョイスしてくれたその心意気に感動。冷や飯さん多謝!
 冷や飯さんから送られてきたファイル名は「ピンクのお姫様」。そのまんまだ!


SEED/一歩身を引いた話/2003.10.04


 パラパラとサイトを回っていたら、SEED総括みたいなものを気合い入れて書いてる人を結構見かけたんで、触発されて僕も少しだけ書いてみようと思う。中身については一年間書いてきたんで、一歩身を引いた視点からどういう人達の心を掴んだ作品だったのかなんて辺りを少しだけ考えて書いてみようと思う。
 SEEDなんだけど、DVDとかプラモとかスーパー売れたらしいんで、商業的にはかなり成功した作品らしい。そういう話を聞くと自然と湧き出てくる疑問は、いったいどういった層の人達の心を掴んだ作品だったんだろうという辺り。そんなことを考えて、パラパラとWEBを見ていたら、子供層、同人層は支持で、昔からの大人ガンダムFAN層は不支持なんて分析をしている人を見かけて、なるほどそんな感じかと思った。
 この辺り厳密にデータとかは取ってられないんだけど、直感的にもそんな傾向はあったんじゃないかと思う。子供層は僕が子供だったら100パフリーダムガンダムを欲しがっただろうことを想像してみてると、ロボでがっちり子供のハートを握ったんじゃないかと思うし(というかがっちり握られてフリーダムプラモ買った大人な僕もいるし)、同人層の方はその方面の情報はあんまり知らないけど、ビジュアル的にキャラクターが受けただろうことは想像がつく。逆にそういったものを軽薄とみなして受け入れ難いと言う従来の大人FANの言述はコレまで何回もWEBで見かけたんで、何となく支持層の分類化には納得がいく。
 ただ興味深いのは、そのような分類には当てはまらない、大人だけど好きだった層も確かにいるという辺り。どれ位いるのか分からないけど、とりあえず僕なんかはこの層だと思う。そんなわけで、自分を省みつつ、好きになる大人ファクターをピコ考えてみようと思う。
 自分ごとなんであんまし他の人一般まで一般化する気はないけど、まあ何というか楽しさ探そうという姿勢の人は観ていて楽しかったんだと思う。大人で不支持の人が繰り返す台詞がさっきも言った「軽薄だ」だったとしたら、僕なんかは何か軽薄っぽいけど楽しもうと思ってみたらやっぱり楽しかったみたいな感じ。
 軽薄だとか高尚だとか言い出すと、結局巨乳アイドル写真集は軽薄だけどサリンジャー文学は高尚なのか?みたいな問いに行き着くような気がする。受信するために必要な能力というのは明かにサリンジャー文学>巨乳アイドル写真集なんだけど、世の中サリンジャー文学ばっかでいいのかというとそうでもないように思う。その辺り僕は巨乳アイドル写真集だって好き…ゲホゲホ。となるとやっぱ善し悪しを考えるときは媒体ごとにかなり柔軟に考えないと損だと思う。抽象的な文学しか享受できず巨乳アイドルにときめけない人は何か損してるような気がするし、逆に巨乳オンリーで文学の深みが分からない人も損してるように思う。そんな感じでじゃあアニメって…と考えてみると、前にこの辺りで書いたことだけど、僕の見方は特に変わってなくて、軽薄な中にピコっと深みが入ってるくらいがイイと思う。そう考えるとSEEDは軽薄とも取れるような受信しやすさと、文芸的なピコ深みの両方があって、だから僕は好きだった。
 SEEDはなんというかサリンジャー文学の挿絵が巨乳アイドルだったみたいな印象というか…もっと上手く例えれば、サリンジャーなんだけど、シーモアが同人受けしそうなビジュアルで、フラニーが萌え萌え巨乳娘だったみたいな印象。ここまで聞いた所で、「そんなサリンジャーは見たく無い」という人と、「うお!そんなサリンジャー超見てえ」と思う人とでSEED評価は分かれるんじゃないかと思う。無論僕は超見たい人。前者の人は「こんなのガンダムじゃない」と言っちゃうんだろうけど、さっきの話の流れでそういう人はどうも損してるような気がするんだけどどうなんでしょう。
 そんな感じで僕なんかは萌えサリンジャーを楽しもうという勢いで観始めたんだけど、嬉しいことに楽しさ見つかったというのが率直な心境。萌えどもされどもサリンジャーみたいな感じ。テキトーにサリンジャーとか言ってみたんだけど、そう言われてみるとどことなく投げっぱなしな辺りもSEEDはサリンジャーっぽいかもしれない。いろいろと説明し切ってない辺りに不満を感じもするんだけど、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』何かもなんでフラニーの心は立ち戻ったのか作中では別に説明してくれない。ただその変わりラストの「太っちょのオバサン」を読み手がどう解釈するかで、人によっては完結もするし、しなかったりもするのだ。その辺り、SEEDに「太っちょのオバサン」が無かったかというと、ちゃんとあったと思うのね。どの辺りがそういった深みだったかは僕の昔の感想何かを読んでくれい(思うに感想、最初は笑いネタメインでやってたのに後半真面目になったなー)。
 というわけでどう落とそうか何も考えないで書き始めたんで非常に困っているんだけど、究極的に作品の好き嫌いは人それぞれなれど、ならばいつも楽しさ探そうという勢いを持つのもイイんじゃないか、そういう大人はSEEDが楽しかったんじゃないか…という辺りに一つはまとめられそう。不満が心によぎった時、送り手の不備と取るか受け手の未熟と取るかで双方見えてくる視界も変わってくるだろうからね……というわけで巨乳アイドルグラビアでも立ち読んでこようと思います。巨乳だとか貧乳だとか、普通が好きですゴメンなさい。


SEED/終わりに/2003.10.08


■長かった…
 SEED感想もとりあえず本日で最後の予定。一年間読み続けてくれた方はありがとうございました。続編、あるいは次のガンダムでまたお会いしましょう(^^;)

■最後は
 私的ベストエピソード5を書いてみようと思います。というわけで以下…

第5位 第36話「正義の名のもとに」

 「ザフトのアスラン・ザラ!」


 アスランの立ち位置(ザフトのために)が明確に崩れ始める一話、ぶっ壊すきっかけを与えたのはラクス。挿入歌「水の証」、劇場というシチェーションがそれぞれ雰囲気を盛り上げる中、銃を突きつけるアスランに相対するラクスというシーンが最高。アスランが気づく立ち位置への疑念は1,2クールを通して彼の内側に蓄積されていたもので、それが鏡のようなラクスの言葉、論理展開に跳ね返されて顕在化し始めるシーンとでも言えようか。あり得ないラクスの衣装にも注目。

第4位 第49話「終末の光」

 「あなたはここで死すべき人だ 私とともに」


 「軍人だから…」と「…だから」と括りの中で生きてきたナタルの個人的反乱が戦争の元凶を撃つ。自分をも死すべきと断じて覚悟を決めた彼女が送り出すフレイに向ける視線には愛が……サイドストーリーであったマリュー、フラガ、ナタルストーリーも終幕。フラガはマリューの命だけでなくナタルの心も救って散っていったのだと解釈。

第3位 第34話「まなざしの先」

 「わたしはラクス・クラインです」


 ラクスの天然ボケのオブラートが作り上げる雰囲気の中、全てがコノテーション(含意)だけで進む対話なれど、この一話のラクスとキラの対話が作中の全てとも言えそうな密度。「想いだけでも…力だけでも…」のフレーズと同時にBGM「SRTIKE出撃」がスタートし心もFreedomになったキラと共に発進する新機体フリーダムガンダムというシーンはあり得ない燃え度。

第2位 第40話「暁の宇宙へ」

 「そなたの父で本当に幸せであったよ……」


 挿入歌「暁の車」フルコーラスの中、写真を裏返すとKiraの文字が→そして上記の台詞…の所がマジ泣けた。そしてお互いに手を伸ばし合うキラとアスラン(フリーダムとジャスティス)。がっちりと繋がれる手。そしてアイコンタクト。この二人のすれ違い、離別から始まった物語が明確に収斂したワンシーン。事実上の最終回とは言えまいか。

第1位 第35話「舞い降りる剣」

 「僕がそうしたかったからです」


 文句ない最エンターテイメントがこの回だと思う。挿入歌「Meteor」がスタートし、アークエンジェルの前にフリーダムに仁王立って排熱するフリーダムガンダムの絵はカッコ良すぎた。そして連合、ザフトの両軍に退避勧告を出しながら不殺で撃ちまくるフリーダムなキラ。連合だからとかザフトだからとか「〜だから」じゃなく、僕がそうしたかったからそうしたのです。

■終わりに
 所属背景の差異、認識の齟齬、そういったものからくる争い……それらを乗り越えて人は分かり合うことができるのか?この現代的かつ根元的な命題がガンダムSEEDの出発点でした。そしてその命題を色濃く担っていたのはやはり主人公のキラとアスランと言えるでしょう。物語の冒頭に正に所属背景の差異、認識の齟齬から争わざるを得なくなった旧友である二人は、一度はお互いを本気で殺し合うという決定的な決裂まで行き着いてしまいます。情だ愛だと言っても敵同士なら殺し合わなきゃならない、戦争ってのは嫌なものだ、悲しいものだ…そんな悲劇のカタルシス。この辺りは過去幾多の戦争物が描いてきたことで、アスランが自爆した所で悲壮なエンディングテーマが流れて終劇。それで一つは物語として完結したのかもしれません。しかしガンダムSEEDはそこでは終わらない作品なんですね。この絶望的な決裂から、絶望的に難しそうな和解へのプロセスが描かれます。ここが、ただ「戦争は悲しい」で終わるのではなく、「分かり合うことはできるのか?」という一歩進んだ命題を掲げたこの作品の主眼であり、最クライマックスだったと思います。31話のアスランとカガリの本音の対話(憎しみの連鎖への懐疑が描かれました)、鏡のようなラクスに導かれてカテゴリーの呪縛から個人へと解き放たれるキラ、同じく36話の劇場でのラクスとアスランの対話、そして最終的には39話のキラ−アスランの直接対話……それらを経て成される二人の和解。コレがガンダムSEEDのストーリー上の全てではないでしょうか。一度は決定的に決裂したキラとアスランが手を伸ばし合いがっちりと繋ぎ合うオーブ脱出シーン……この40話が映像的にも事実上の最終回だったのではないかという気がします。ここで終わっても良かったのですが、ガンダムSEEDはもう少し続くんですね。ラスト10話、最後は和解した主人公達が何と闘うかが描かれます。ラクスの「何と闘わねばならないのか……」の何の部分は表面的にはカテゴリ依存型他者全否定を意図的に浸透させてる局所悪(アズラエル、ザラ議長、クルーゼ)でしょうが、もう少し抽象的には戦争の原因となっている「差別感情」「憎しみの連鎖」といった根元的なものでしょう(47話のラクスの「でもどうか今、この果てなき争いの連鎖を断ち切る力を……」等を参照)。これと集結した主人公達は闘うのですが、その闘いの結末は先日の最終回を見る限りは、終わらなかった……というか勝てなかったラストだったような気がします。最終回のアスラン・カガリのヤキン・ドゥーエ突入シーンで「先にやったのはそっちだ!」「ボアズには弟もいた!」みたいな憎しみの連鎖が未だ根強く人々を捉えている描写が挿入されるんですね、さらにはクルーゼの争いによる滅亡が人類の必然という理屈を結局は誰も覆すことがない……最終回でこれですから、主人公達は「差別感情」や「憎しみの連鎖」を打ち壊し、世界を変えることはできなかった…それが妥当な解釈のように思います。個人に立ち返った主人公達が世界をも変える…そんなカタルシスを感じたかったとも思いますが、現実でも解答は闇の中である問題を一個人が解決してしまうというのは確かにおかしいのかもしれません。かなりアニメ的エンターテイメントを推してきた作品だったと思いますが、着地点はある意味リアルであったという印象です。争いの根元との闘い、それはたやすく終わるものではない。そしてその闘いは「終わらない明日へ」そんな感じの結末でしょうか。しかし一筋の希望として、幾人かには主人公達の闘いは届いたんですね(イザークとか)。その辺りに余韻を残して……次の物語に想いを馳せたいと思います。



SEED/ガンダムSEEDスペシャルエディション「虚空の戦場」/2004.03.23.(火)
■全体
 
 結論から言えば、S E E D は や っ ぱ イ イ 
 今、放映見終わってだだっと勢いで昔フォルダにしたSEED楽曲のMP3を全部WINAMPに突っ込んでエンドレスで聴きながら感想書いてるんだけど、くう、この懐かしさ、心の高ぶりはなんなんだ。
 SEED好きにSEEDへ想いを馳せさせるには十分な内容でしたよ今回の総集編。まったく未見だった人がコレを見てどれだけSEEDが分るかっつーと微妙だけど、既見組みを盛り上げる雰囲気作りは相当良いっス。ギュウギュウに圧縮しながらも、ラクスの「あなたが優しいのはあなただからでしょう?」とかフレイの「私の想いがあなたを守るわ」とか、大事なところがしっかり押さえられているんで、自然と頭の隅に眠っていたSEED物語を呼び覚まして、もう一度組み立てて反芻してしまう。この感覚は良いよ。
 
■前編
 
 「でも あなたが優しいのはあなただからでしょう?」(ラクス)

 この台詞は僕の2003年ベスト台詞。そしてSEEDの中で最も美しい1ピースの台詞。作品をパズルに例えるなら、このピースを提示した時点で絵の全体像はまだ見えていない。それでも前半にこのピースを提示したのがSEEDのカッコいい所。最初にこれを見せられた時は今ひとつピンとこなくて絵の全体像が見えないんだけど、これが後半の34話、パズルの絵が組み上がってきた所で、一番美しい最高の場所にピタリとハマるのだよ。感動のための物語文法というかね、ピタっとハマったときの美しさはちょっと凄いワケだよ。

 やっぱりラクスなんだよなーと思う。序盤ではキラがラクスを返還するエピソードがもっとも重要だと思うんだけど、キラをこの行動に駆り立てたきっかけはやっぱりラクスがキラを肯定した、二人の対話だったと思うのだよ。その辺りが今回の総集編はエッセンスにまとめられてて良かった。キラはラクスとの対話を経てラクスを逃がそうと決心する。そしてそのキラの所属に依存しない個人的な行動を見て、ラクスはキラを買う。この流れが34話の二人の行動のバックボーンになってるんだよなーなんて思うととっても感慨深い。
 そして、34話で二人は、既存の世界に対して反乱することを決めるワケだよ。そしてそんな二人のカテゴリに依存しない個人的な決意、反乱から全てが始まって、依存や差別感情、争いの連鎖と戦う大きなうねりになっていくのだよ。やっぱここの所の骨組みは何度思い出しても胸が熱くなる。

●ラスティ
 どこが新規映像だとか、細かく分析する暇はないけれど、コイツが喋ってたのは明らかに新映像。あとミゲルも出番増えてましたね。つまり西川氏がいっぱい喋っていたということです。ミゲル斬死と西川氏の「うわー」が堪能できたんでもう満足。やっぱ、制作サイド的にもここは外せないのか。

●次回予告で喋ってる奴は
 西 川 さ ん 何 や っ て る の !
 もう、この人はガンダム関係の仕事は自分からノリノリでやります宣言してるんじゃないかと邪推したくなるほどコラボってます。
 
■後編
 
 「私の想いがあなたを守るわ」(フレイ)

 最終回では同じ台詞の意味合いが裏返ると言う、言わずもがなの名台詞。

 後編個人的に良かったのはフレイ重視でまとめられていたこと。僕はキラとフレイの関係がSEEDのテーマの一つの帰結だと思ってるので、フレイに焦点をあててくれたのは嬉しい。暴走キラの戦闘中に呪いのようにフレイの場面が挿入される構成は上手いと思いました。

●虎
 正直虎編は僕的にSEEDの中で一番つまらなかった時期だったんだけど、後々思っていたのは無くて良かったというワケでは無いんだということ。というのもキラが解き放たれるまでに、現在の立ち位置に疑念を向ける話が1クッション入るべきだったと思うから。キラはラクスによってそれこそフリーダムに解き放たれるんだけど、いきなりラクスとの話に入ったらちょっと唐突だったと思うんだよ。やっぱ前段階として、虎からいろいろ戦争について考えさせられる話が入ったのは適切だったと今では思っております。それでももう少し話数少なめで良かったんじゃないかとは思ってたんで、今回の総集編くらいの時間割合は丁度良く感じたっス。

●バトルシーンにかかった曲は
 西 川 さ ん 何 歌 っ て る の !
 「Zips」だー。予想外だったのでコレはヤラれた。

●カガリのシャワーシーン追加
 エ ロ い 。

●キラとフレイのSEXシーンに追加
 も っ と エ ロ い 。

●ラスト
 フレイにかぶさって「あんなに一緒だったのに」が流れ始めた所は久々に震えた。やっぱこの終わり際に「あんなに〜」が流れる演出は最高っスよ。

 とりあえずこんな感じで。アレですね、続きも総集編作るんでしたら、もう二回に分けること希望です。キラ−アスランの決定的決別〜最高の34話−36話〜和解の所は超高密度なんでじっくりまとめて欲しいところ。あとは嬉しいことにフレイに視点があたってたんで、新規映像の希望としてはフレイがザフトにいるときの描写を少し増やして欲しい。最終話の結末を描くにあたって、ザフト内でフレイがキラに想いを馳せる場面とかが追加されれば、もう僕的に完璧っス。
 

SEED/ガンダムSEED13巻/DVD/AFTER-PHASE「星のはざまで」/LINK〜この時代の中で〜/2004.03.31.(水)
■最終話
 
 「僕は それでも僕は 力だけが僕の全てじゃない!」(キラ)

 というワケでSEED最終巻感想。追加エピソード「星のはざまで」が一番の目当てだったんだけど、その前に最終話をまた観てしまった(つーか最終話から「星のはざまで」までの連続再生ヴァージョン燃え。こっちはラストEDが熱いことに「Invoke」になってます)。最終話、上の台詞のシーンのとこが一番好き。オンタイムで放映みたときもグッときて、その時の感想にも書いたんだけど、「力だけが僕の全てじゃない!」というキラの叫びに「それが誰に分る!?」と否定を突きつけるクルーゼ、そこでググッとカメラがシャトルのフレイに寄るところ最高。バックコーラスがまた美しくて最高(この曲はサントラに入ってるんだろうか、フルで聴きたい)。ここが僕的最クライマックス。クルーゼの理屈、放映当時はラクスが反駁するものと期待して観ていたんだけど、結末としては結局誰も反駁することがなくて、言いたいこと言ってやりたいことやって死んだクルーゼはある意味勝者。でも、クルーゼは遺伝子進化の究極系であるキラを否定する際に「力」だけを見ていて、そこだけは間違い。上のキラの台詞、クルーゼは誰にも分らないと言い切って高々と全否定を掲げてるんだけど、実際にはキラの「力」ではない部分に触れて変わったフレイの存在があるから。このフレイが存在する点においてクルーゼは反駁されているし、キラは肯定されている。ここがまた、繰り返されていた「力だけでも〜想いだけでも〜」のフレーズなんかとも関係していて深い(クルーゼは力だけを見て喋ってる)。放映当時は、49話までは正直もうフレイにスポットあたらないのかなーと思いつつ色々フレイのこと書いていただけに、最後のクライマックスでこのクルーゼ、フレイ、キラのエピソードが描かれた時はかなり感動したのでした。
 
■AFTER-PHASE「星のはざまで」
 
 「でもキラが 泣いていたのに それでも戻ると言ったので」(ラクス)

 カガリに「よく戦場に出たな」とふられてラクスが答えた台詞がコチラ。僕が一番好きで一番大事な話とずーっと言ってる34話のことです。最後にあの回に立ち返る台詞が出てきたことで、最終回、ラクスの出番が少ないーとボヤいていた僕の不満はかなり解消されました。やっぱりあの回でキラとラクスが起こした行動がSEEDの核だと思うんで、最後のこの「星のはざまで」であそこへ回帰し、キラの涙のシーンが出てきたことで、僕的に、ああ、ガンダムSEEDは完結したなーという気になりました。34話については「考察」ってとことか、この前の「虚空の戦場」の感想のとことかで何回か書いてるんで、そっちを参照して下さい。

 そしてもう一つ、この「星のはざまで」で取り上げるとすればアスランの「でも それが俺たちの償いかもしれない」の台詞でしょうか。ニュアンスとしては「罪は生きて償わなきゃ」という感じだと思うんですが、ここも、一つのテーマとして描かれていた「贖罪」に関して、最終話では特に帰結がなかったなと思っていたので、触れてくれて良かったです。アスランからこの台詞が出ることで、最終話でのカガリの「生きる方が闘いだ!」の輝きが増します。最終話のもう一つのクライマックスはあそこかな。カガリ超カッコいい。

 ラストはラクスが「世界は誰かが作るものではない…」と語ったあと、その後に続く言葉が提示されずに終幕、Invoke。最後まで視聴者に委ねる姿勢は崩しませんでした。もっともやる気出して観てた人にとってはパズルは相当組み上げられているんで、最後の1ピースを委ねられたに過ぎないといった感じだと思うんですが。イイ追加エピソード、イイ終わり方だったと思います。
 
■LINK〜この時代の中で〜
 
 これはちょっとやり過ぎかなと思いました。アスラン、カガリ、ラクス、キラ、それぞれが自分の心情を吐露する形で全物語を振り返るといった趣向のものなんですが、もう、モロにキャラが自分の心情を語っているんで、分かりやす過ぎます。本編はこれほど分かりやすくなくて良かった。
 「虚空の戦場」の感想の所で作品をパズルに例えましたが、この「LINK〜この時代の中で〜」は完成した絵画という感じです。出来上がってるキャラの心情を見せられるだけなので、視聴者側が提示されたピースをあれこれ集めながらパズルを組み立てて、キャラの心情を含め色々と理解していくという楽しみ方ができません。ガンダムSEEDはパズルっぽい作品だったのが良かったのかなと思っています。視聴者が各々にいろんな絵を組み立てられるんで、未だに自分でSEED小説書いたりSEEDイラスト描いたりという人が多いんじゃないでしょうか(作り手が描いていた完成絵はちゃんとあるんだけど、そこは楽しみ方一つ)。でもまあ、絵画も悪いわけじゃない。絵画のような作品、パズルのような作品、両方ある方が面白い。僕は個人的にパズルのようなのが好きだというだけなんで、コレはコレでアリ。
 で、そんな絵画的心情描写で、そんなに目新しい発見は無かったんですけど、ちょっと面白いと思ったのは初期のアスランの心情かなぁ。もう、めちゃくちゃカテゴリ依存なのね。「コーディネーターなんだからキラは仲間で当たり前、なのに…」みたいな感じで。「ザフトのために」とかまで言ってるし。もう、かなりダラダラとアスランはこの状態が続きますな。カガリと出逢ったりして自分の中に疑念は積もっていくんだけど、最終的に劇場でラクスに「このままだとあなたは私らの敵」の最終勧告出されるあたりまで、かなーり依存思考です。そのタメが長かった分、自分の正義に目覚めてキラを助ける所は激燃えなワケですが。
 34話、35話のキラがあまりに劇的でカッコいいんで霞がちですが、アスランの個人への離脱も相当カッチョいいですな。父親やザフトの価値観の枠組みを守る(イージス)ことしかできなかったアスランが自分の正義(ジャスティス)へ、カテゴリに捕われ力(ストライク)に振り回されることしかできなかったキラが真の自由(フリーダム)へ。決意のシーンとそこへ至る過程、それがSEEDの最大の燃えポイントなんじゃないかと思っております。
 

SEED/ガンダムSEEDスペシャルエディション完結編「鳴動の宇宙」/2004.10.24.(日)
■全体
 
 本日は、先日発売された『機動戦士ガンダムSEEDスペシャルエディション完結編 鳴動の宇宙』のネタバレ感想をお送りします。

 ネタバレOKの方だけ続きを読むをクリック。

<以下ネタバレ>

 新しく追加された要素として、僕が気づいた範囲では、

 1:アズラエルの過去描写が追加
 2:連合三人衆の一人を、ディアッカが一人で撃破に変更
 3:指輪の伏線となるキラとラクスのイベントが追加

 って、あたりなんですが、僕的に3を入れてくれただけで、・゚・(ノД`)・゚・状態に。良かった。この追加はホント良かった・゚・(ノД`)・゚・

 ラスボスであるクルーゼのネガティブ行動を説明している台詞に、

 「ヤツには、過去も未来も、自分すらないんだ」(フラガ)

 「だから世界を道連れにすると?」(マリュー)

 のやり取りがあります。

 クローンゆえに過去や未来との繋がり、ひいては世界との繋がりを破壊されてしまったクルーゼ、それゆえに世界に憎悪を向けるクルーゼ。一方で、究極の人工生命体としてまったく同じ境遇にいるキラ、それでも最後に「それでも守りたい世界があるんだ!」と叫ぶキラ。この対比がSEED最終章の要だと思うんですが、この対比の中の、キラの最後の叫びのバックボーンを今回のラクスとの追加要素は強力に裏付けてくれました。あまりに良すぎるんで引用。

 「生まれて来ちゃいけなかったのかな?」(キラ)

 「昔、母に言われました 世界はあなたのもので そしてあなたは世界のものなのだと 生まれ出てこの世界にあるからにはと……あなたを見つけて、私は幸せになりました」(ラクス)

 母の指輪(過去との繋がり)を指しながら語るラクス。寄り添う二人のカット。

 こう言ってくれるラクスと出会っていたから(勿論フレイをはじめあらゆる出会い、人との繋がりが最後のキラの叫びのバックボーンになってるんですが)、キラはクルーゼと違って、最後に叫ぶことができる(クルーゼの方は、およそ人との繋がりというものは描かれませんでした)。

 放映時の本編では最後の出撃時にラクスがキラに指輪を渡すシーンが唐突だったんですが、今回のこの追加要素で、指輪に「世界との繋がり」という象徴性が生まれます。コレが象徴性好きの僕にとっては非常に良かった。感動

◇アスラン

 今回気づいたんですが、

 「キミも僕もまだ死ねないんだ」(キラ)

 の所でアスランの憂いのカットが入るんですね。これは、死ねないのはあくまで「まだ」で、全てが終わったあかつきには死のうとしているとも取れる。
 最終話のアスランの行動の伏線です。そして飛び出すカガリの、

 「逃げるな! 生きる方が 闘いだ!」

 感動倍増。やっぱアスランとカガリの物語は完璧にここで決着がついてますよ。DESTINY、蛇足にならないことを祈ってます。

◇それにしても

 最後の、

 「僕は それでも僕は 力だけが僕の全てじゃない!」 (キラ)

 「それが誰に分かる? 誰にも分からぬさ!!」(クルーゼ)

 で入るフレイのカットの所は何度観ても泣ける。

 勿論今回の「鳴動の宇宙」にもこのシーンは入ってます。スタッフ、ちゃんと分かってるんだなぁ。

 そんな感じで、全体として満足の総集編最終巻でした。

 不満だったのは2のなんでディアッカ単体で撃破にしちゃって、あの感動的なイザーク・ディアッカ協力撃破のシーンを無しにしてしまったのかって所くらい(イザーク−ディアッカ物語の帰結のシーンなのに)。これは、DESTINYでイザーク−ディアッカ物語は新たな帰結がありますよ、みたいな意味での変更だったりするんだろうか。それならまあ歓迎だけど。
 




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