「いただきもの」の部屋へ ホームへ戻る


   水辺にて


 そういえば今朝、久しぶりに夜明けを見た。
 早すぎる目覚めに窓をあけてみると、白みはじめた空は浅い黄みの赤をしていた。 誰かが東雲色(しののめ色)だと教えてくれた気がする。心に染み入るような色だっ た。

 今の空は雲を薄い刷毛で塗りこんだような柔らかい色だ。その青はどこか故郷を思 わせ、穏やかな気持ちにさせてくれる。
 リュミエールはうっとりとした時間の流れに身を任せた。
 ここは女王が治める聖地にある湖のほとり。近くに小さな滝が水しぶきを上げてい る。
 小鳥がさえずり、桜の花が湖面に揺れて映っている。とても静かな春の午後だ。
 薄桃色の花びらが幾枚も彼の前を通り過ぎ、小さく円を描く。
 遠い子守唄を聞いている気がして目を細めると、湖面を渡る風から甘い香りがし た。
 平和で温暖な聖地でも季節はある。夏は力強く太陽が輝き、秋は木の葉が色づく。
冬は一面を銀世界へと変え、春は空気が優しさを持ち始める。
 下界ほどではないが、その微かな季節をリュミエールはこよなく愛していた。

 特に春はめまぐるしく風景が変わる。
 息が白いと思う日もあれば散歩に行きたくなる日もある。おぼろに月が霞んでいる かと思えばくっきりと上弦の形を成している。
 そして時間が経つにつれ、あれほど硬かった蕾が色づき膨らんでいる。
「……いつかここから満開の桜が見られるのですね」
 湖面に映る桜は七部咲きといったところだろうか、満開にはまだ少しあるがそのせ いで楚々とした可憐な感じがある。
 薄い桜色は幾重にも水面に姿を映し、穏やかな――穏やかな顔で微笑んでいる気が する。
「でも…………」
 リュミエールはどこか寂しさを覚えた。
 花は咲く。
 そして逝く。
 時はうつろい、また次の春が来る。
「当たり前のことなんですけれどね」
 聖地での春はいくつ過ぎただろう。そしてこれからいくつ過ごすのだろう。この光 の中で眠りそうなほど長い時間の中で。
 この女王が納める平和の地を、一番の幸せだと感じていた。それは今も変わらない のにどこか寂しい。こんなに花は歌っているというのに。

 リュミエールはそっと髪を掻きあげた。
 そして小さくため息をつく。
 こんな気持ちは誰にも言えない。ジュリアスなら仕事に打ち込めと口にするだろう し、オスカーなら甘いなと一笑にふすだろう。
 唯一クラヴィスは理解してくれそうだが、あいにく彼は自分の世界に閉じこもって いる。自分の中の自分と対峙している。
「私も私の心と向き合う時がきたのかも知れませんね」
 リュミエールはひららと流れ落ちる花びらを手で受けた。とけてしまいそうな薄い さくら花だ。なのにそこからほの暖かい温度が身体に満ちてくる。

 誰かと似ている。そう思った時、心配そうな声が飛んできた。
「良かったあ。リュミエール様、ここにいらっしゃったんですね」
 女王候補生のアンジェリークだった。
 親元を離れ、惑星育成など慣れないことをやっているというのにケナゲなほど一生 懸命だ。
「執務室にいらっしゃらないから…探しました」
 よほど走ったのか、アンジェリークはハアハアと肩で息をしている。
「すみませんね。少し息抜きをしたくなってしまって」
 リュミエールは少し頭を傾け、水色の瞳を陰らせた。
 きっと彼女は力を送るように頼みに来たのだろう。育成に遅れを与えてしまったの ではないだろうか。
「安心しました」
「――え?」
「あの、いつも頑張っていらっしゃるから。今日はもう少し休んで下さいって言うつ もりで執務室に行ったんです」
「…………ありがとう」
 リュミエールは礼を口にした。
 さりげない言葉でも彼女の優しさがにじみ出ているのがわかる。
 ちょうど今が育成には大切な時期だ。少しでも力が欲しいに決まっている。しかし 彼女は心配し、探しに来てくれた。どこかでリュミエールが倒れているのではないか と思ったのだろう。
 そういえば最近、ずっと忙しかった。桜が咲いていることも今朝まで忘れていた。  思い出したのはきっと東雲色を目にしたせいだ。
「あの時の空は私に大切なものを忘れないように教えてくれていたのでしょうか」
「何がです?」
「いえ、ちょっと考えごとです。何でもありません。それよりここの桜はみごとで しょう」
 リュミエールはアンジェリークに微笑みかけた。
「あ、はい。なんだか温かい気持ちになれますね。見ているとふわっと包まれる感じ がします」
「それが――たとえ散る運命の花でも、ですか?」

 ふと問いかけたくなった。
 彼女にはこの花がどう映っているのだろう。
「はい。桜は散るために咲くのではなく、咲くために散るのですから。だからこの花 びらは見ていて幸せな気持ちになるのだと思います」
「咲くために散る、ですか。次の花を生むために、未来に繋げるために?」
「ええ。きっと無意味なことなんてないんですよ、きっと」
 アンジェリークの目はまっすぐで、どこまでも澄んでいた。
 彼女が言うのだからそうなんだろう。リュミエールはそう思えた。
「貴女にはいつも救われる気がします」
 温かい気持ちが流れてゆく。今まで難く考え込んでいたことが嘘のように解けてゆ く。
「私が――リュミエール様を?」
 アンジェリークはきょとんとした顔で見上げている。
 彼女は気がついていないようだが、それでもいい。それが彼女らしさなのだから。
 いつかリュミエールはそのことをアンジェリークに告げるだろう。自分に必要だと 口にするだろう。
 彼女がその時、どんな決断をするかはわからない。
 もしかしたら違う道を選択するかもしれない。だけどそれが彼女の意思だとすれば 納得できる気がする。

「あ、花びらが髪に」
「動かないで下さい。取って差し上げますから」
「いいえ、私じゃありません。リュミエール様の髪に、です」
「え?」
「春の髪飾りですね」
 アンジェリークはうふふと笑った。つられてリュミエールも笑う。
 桜の花が湖面に揺れて映る、とても穏やかな午後だ。



 ミー君にいただきました。リュミ様のお話、いただくの初めてです。うわぁ、何て言うか、PCの前でぶっ飛んでました。
 年下の少女に問いかけ、その答えに何の注釈も付けず受け入れるリュミ様vvv
 ミー君、ツボよ、ツボ。ありがとうございます。更新が滞っている我がHPにも春がやって参りました。感謝!

2004.3.12up


 「いただきもの」の部屋へ  ホームへ戻る