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初秋旅行

 ほのかに香る朝風はラベンダーだろうか、思わず誰かに優しく微笑みかけてしまいそうだ。包み込まれる心地よさに安らぎを覚える。花畑は今日も蝶が舞うだろう。  暑くもなく、といっても寒くもない。聖地は女王の力によって完璧なほどコントロールされている。一年中ほとんど変わらない。みんなが望む温度であり、季節だ。
「下界は今頃、夏。いえもう秋になるのでしょうか」
 リュミエールは窓を開け、よく晴れた空につぶやいた。
 部屋からは緑のこずえとたわむれる小鳥が見える。静かにゆく雲は穏やかで、爽やかな風景だ。
「赤、朱、黄、色とりどりの木々達……」
 切実に季節を欲していたわけではない。憧れるつもりはない。ただほんの少し、ほんの少しだけ気持ちに揺らぎがあった。
「イモ、クリ、サンマにマツタケ……」
 漠然とした憧れが広がった。
「そうですね……こんな時は旅行でも。せっかくだから皆が楽しめるように計画しましょうか」
 旅行。なんというステキな響きだろう。
 このところ忙しかった仕事も一段落した。今ならきっと休暇も取りやすいだろう。女王陛下に相談してみようか。
「そう、手配はできるだけ私がやりましょうね。でもやはり下界に協力者は必要ですよね……」
 リュミエールはしばらく考えていたが、やがて窓際に立てかけてあったハープを指ではじき、小さく笑った。


 女王は気さくにオッケーを出してくれた。それほど長期は無理だが、二泊三日程度なら聖地に守護聖がいなくともなんとかなりそうだというのだ。
「陛下にお願いした手前、人数が集まれば良いのですが」
 リュミエールは言いだしっぺの責任を感じて他の守護聖達を訪ねることにした。
「やっぱり都合というものもありますし。押し付けがましいことをするわけには。いえ、やはりストレス発散のために皆様にお勧めしたいし、別にお節介とかではなく」
 そう口の中でつぶやきながら歩いていると廊下でぶつかりそうになった。
「おや、リュミエール。どうしたんですか。何やら心配そうな顔をして」
「ああルヴァ様。何でもないのですよ。ただ旅行のことで」
 リュミエールは言葉を濁した。
「旅行――親睦会のことですね。回覧板で廻って来ました」
「かいらんばん?」
「陛下が気をお遣われになったんですね。もちろん私は出席のところにハンコを押しておきましたよ」
「はあ、ありがとうございます……」
 リュミエールは下を向き、少し笑った。
「あの、差し出がましいんですけれど……人数、集まらないんですか?」
「いえ。ほとんどの方は大丈夫のようなのですが。ただオリヴィエはどうせなら見に行きたいファッションショーがあるとかで。それにゼフェルも作りかけのメカを優先したいと」
「まあ、それぞれですからね。気にしないで。で、今はどこに行くつもりなんですか?」
「クラヴィス様のところへ。さしたる理由もないのに出席を拒んでおられるのです」
 リュミエールは小さくため息をついた。
 それを見てルヴァは困ったように「彼は性格もありますから」と慰めにも似た言葉をかけてくれた。
「そうですね。あの方はあまり群れることはなされないですね」
「大勢で遊ぶとかえってストレスを感じさせてしまうかも知れませんよ」
「はあ」
 リュミエールはクラヴィスが孤独を愛するタイプだということは知っていた。それでも季節を一緒に感じたい気がした。
「それはそうと、オスカーは旅行用に自分のサイン入りブロマイドを作っているそうですよ」
 ルヴァが小声で言った。
「その話はいいです」
 いったい誰に配るつもりなんだ。
「それからジュリアスは外出用の馬を、ランディは命綱とピッケルを。そしてマルセルはお砂場セットを買ったそうですよ」
「……」
 いったいどこに行くつもりなんだ。
「それで、あの、ルヴァ様は?」
「うふふ。内緒ですよ。おニューのパンツ。貝殻模様のリゾートっぽいやつ」
「…………」
 だから何だ。
「あれ、リュミエール、どうかしましたか?」
「ちょっとめまいが……いえ、とにかくクラヴィス様をもう一度お誘いしてきます」
 リュミエールは逃げ出すように急いでそこを去った。
 しかし残念ながらクラヴィスはリュミエールの願っていた返事はしなかった。やはり静かに瞑想して過ごしたい。そう言葉短く告げて首を横に振るだけだった。


 結局、リュミエールの企画した〈二泊三日旅行〉は、ジュリアス、ルヴァ、オスカーにランディ、マルセルが参加することになった。
 全員とはいかなかったものの、そこそこの人数だ。
「やはり私が旗を持つべきだな」
 ジュリアスは手製の天使旗を振り上げた。
「ジュリアス様……とにかく馬から下りて下さい」
「混浴と聞いたけれど」
「……あからさまにスケベです、オスカー」
 若干、出発に不安がある。が、まあいいだろう。とにかく集まったのだ。
 リュミエールは無理やり自分を納得させた。
「それから少し説明をしておきますね。これから我々が行くところは秘境と呼ばれるに等しい場所なのです」
 リュミエールが話し出すとオスカーがいきなり噛み付いた。
「えー、女子大生やコンパニオンはいないのか。落ち着いたピアノ・バーは? セレブな社交場は?」
「そんな目立つ場所に守護聖が行ってどうするのですか。コミケの集団コスプレと間違われるのがオチです」
 リュミエールはさりげなく、きっぱり言い切った。
「こほん。とにかく秘境で自然たっぷりな山です。海も温泉もあるペンションと聞いております。みなさん、季節を感じる癒やしの旅を期待して下さいね」
 リュミエールは気を取り直し笑った。
「でもなんだか人里から遠いみたいですね。行くのは大変じゃないですか。僕、少し心配になってきました」
「大丈夫さっ」
 マイまくらを抱かえるマルセルに、フリスビーにサーフボード、バーベキューセットを背負ったランディーが笑顔で答えた。
「次元回廊を使いますので、夕方までに着くと思います。とにかく自然が多いと聞いていますので、なるべく余計なことはしませんように。マナーある良識を期待しますねっ」
 余計とマナーと良識。その部分に強いアクセントをつけてリュミエールの微笑み説明は終了した。
 みんなは少し顔をこわばらせ、ゆっくりとうなずいた。


「これは……癒しの旅だな?」
 ジュリアスが威厳たっぷりにリュミエールに問うた。
「……」
「普通、こういうのは修行というのではないのか?」
 リュミエール達は宿泊地であるペンションの前で立ち止まった。
「おかしいですね。ちゃんと彼に頼みましたのに」
「彼とは?」
「チャーリーです」
「なんとなく納得だな」
 ジュリアスとリュミエールの前に冷たい風が吹いた。
 目の前にあるのは崩れかけた土塀。半紙に〈歓迎・聖地様ご一行〉の文字が書いて貼ってある。
「で、今夜はアレ、か? アレに泊まるのか」
「はあ、その……たぶん」
 そして風と雨で侵食されまくった塀の向こうには――欠けた瓦に雑草の生えた切妻屋根の――どう見ても斜め十五度傾いた廃寺にしか見えない宿があった。
 歓迎にはほど遠い気がする。
「うーん、あの花頭窓からして禅宗でしょうか」
 いきなりルヴァが腕組をして言った。
「すみません。こんなでっかいものを預かった時に気づくべきでした」
 リュミエールは全員にに二十センチほどの金属が複雑に凹凸した鍵を見せた。どう見ても一昔前の南蛮錠の鍵だ。
「朝起きたら、屋根がなかったりしてな」
「……笑えない冗談です、オスカー」
 リュミエールは真剣にため息をついた。
「でもいいじゃない。タヌキさんが出そうでさ。僕、見てみたいな」
「マルセル。イノシシの方がいいと思うよ。やつらとならと駆けっこできるし」
「もう、ランディったらすぐそれだ〜」
 泊まる場所も泊まる場所だが、周囲も負け時おとらずとばかりに荒れていた。下草は好き勝手な方向に伸び放題。木々は原生林と化している。
 こんな人間を拒んだような所に建物があるのが不思議だ。
 年少組はそれなりにサバイバルだと誤解して楽しんでいるが、他の者は毒気にあてられたように肩を落としている。
「まあ、あの、ちょっと手違いはあったようですけれども珍しい体験ということで。きっと窓を開けると大自然の風が吹き込み、魂の根源をみなさんに見せて癒してくれますよ」
「開けなくとも風は吹き込んできそうだが」
「ジ、ジュリアス様もうまいことをおっしゃる」
 リュミエールは一生懸命笑顔を作った。
 と、ちょうどその時だった。次元回廊の扉が開き、一人の男がひょこんと飛び出てきた。
「ひゃあ、遅刻してもた。えろうすんませんなー」
 チャーリーだ。
「まあこんな時にしか役に立てへんけど、どうですか。ええとこですやろ。リクエスト通り、人ごみでなく季節を感じられる隠れ宿! 一泊千六百円の超おトク」
「……思いっきり誤解があったようですね」
 リュミエールは顔で笑いながら拳を握った。
「でも風光明媚は嘘ちゃいますよ。ちょっと向こうに海が見えるんですわ」
「海。海ですか。それはステキですね。じゃあ、後で行きましょう。近いですか?」
「目印に立て札がありますわ。『考え直せ、もう一度』って。それの先の崖から……」
「止めます」
 リュミエールはスタスタと門の中に入った。
 中の歩く場所は草が刈ってるが、他は傍若無人に荒れている。置石らしいものはあるが、その横に大きな石がゴロゴロしているありさまだ。
「こういうのを〈王様の庭〉って呼ぶんじゃありませんか。ちょっと統治がヘタですけどね〜。枯山水ならぬ荒山水なんちゃって」
「ルヴァ様、お気持ちはありがたいですが」
 少しポジティブすぎて笑えない。
「まあ、とにかくみなさん部屋に荷物を置いてくつろぎましょう。それからお風呂を探しにでも参りましょうね」
 リュミエールは気を取り直して言った。
「ああ、露天やったら、この道をまっすぐ行って左奥にありますから」
「そうですか。ありがとうございます」
「右手はお墓や。間違いなや」
「はい、絶対にっ!」
 リュミエールは力を込めた。
 襖で区切られている部屋は畳敷きで、やや陽に焼けているものの綺麗に掃除されていた。
 余計な物を置いていない和式というのはすっきりと気持ちが良い。
 宿坊でも兼ねていたのか、部屋数はかなり多く、各自で個室が使えるようだ。
「こっちはなかなかですね。おや?」
 唯一部屋にあるものは備え付けの箪笥だ。開いてみると作務衣が折りたたんで置いてある。
「これに着替えろということでしょうね」
 リュミエールは聖地での服装を脱ぎ、作務衣に袖を通した。
 木綿のしなやかさとさっぱりした着心地がする。濃紺に染められた色も鮮やかだ。白の縦縞がシンプルに入っている。
 打ち合わせが着物のようで、身に着けるだけで旅行気分が増した気がした。
「うふふ」
 小さく笑ってみた。
 なんだかとても新鮮で、肩が軽い。思わずその場でくるりと回った。
「さて、みなさんはどうでしょうか」
 廊下に出てみると、ランディとマルセルが走り回っていた。
 二人ともいつの間にか作務衣を着ている。
「ああ、リュミエール様。ここって意外と広いですね。向こうに布団部屋と台所を発見しました。裏には自家発電の装置小屋もあったんですよ」
 ランディが元気よく言った。
「ずるい。僕が報告しようと思ったのに」
「おやおや、もう探検していたのですか」
「その……一応、非常出口とか、建物の造りを確認しようと思って」
「じっとしてられなかったんだよね。それから台所では井戸水を使うんだよ。それからそれから、かまどがあったよ」
 マルセルは初めての体験に興奮したようだ。声がうわずっている。
「うふふ。今夜はそれらを使って自炊をする予定なんですよ。今、チャーリーに食料を買出しに行ってもらってます」
「すっごーいっ」
「そうなんですか。楽しみですねっ」
 二人の素直な喜びにリュミエールは嬉しくなった。
「なんだ、やけに騒がしいな」
 彼らの会話を聞いてジュリアスとオスカーがやはり作務衣姿で出てきた。
 少し違うのは手に桶と何やら持っていることだ。
「それは? オスカー」
 リュミエールは思わず訊ねた。
「シャンプー・ハットに決まっているだろう。これから風呂なんだから」
「なるほど、目に入ると沁みますからね」
 ランディーは理解しているようだった。
「そ、それで、ジュリアス様は?」
「もちろんアヒルセットだ。露天風呂によく似合うだろう」
「はい。可愛い。お風呂が楽しくなりますね」
 マルセルは共感しているようだった。
「…………………」
 リュミエールはただただ無言だった。
「ああ、良かった。間に合いましたか」
 少し遅れてルヴァがやって来た。同じく作務衣姿で、手荷物まで持っている。
「あの一応、訊ねておきたいのですが、それは?」
「もちろん温泉分析装置です。みなさん効能は気になるでしょう」
 なるかどうかは個人差があると思うが、信じきっている者に何も言えない。さすがのランディとマルセルも何も言わない。
「……今の時間は午後四時、ですか。夕暮れの景色がちょうど良いでしょうね。宿に戻ったらチャーリーさんも買出しから戻ってきているでしょうし」
 こうなる前に露天風呂への下見に一度行っておきたかった気はする。しかしもうみんな集まってしまった。とにかく出発しよう。
(あぁ、どうかみんなが失望しませんように……神様)
 守護聖が神に頼るのも世の末だが、とにかくリュミエールは寂れて枯れた温泉でないことを祈った。


「右手はお箸を持つ手。で、こっちがお茶碗」
 リュミエールは左に曲がるのを何度も確認した。
 途中の木々は赤とは言わないが、薄っすらと色づき、心地よい風が吹いている。
 露天風呂に歩いて五分ほどして着いた。
「思ったよりも近いですね」
 管理されているのか下草は少ない。どうやらマトモそうだ。リュミエールはとりあえずホッとした。
 石組みの湯船に着替え用のほったて小屋がひとつ、小高くなった場所にある。
 小屋は板とトタンで作られた粗末なものだが、周囲の自然に馴染んでいる。掛けられたすだれはまだ新しい。
「中は十分な広さがありますね。良かった。みんな一緒に着替えられます」
「誰か三つ編みを手伝ってくれ」
 リュミエールが安心しているとジュリアスが困ったように口にした。
「あ、僕、します」
 いち早くマルセルが手を上げる。
「そう、髪はちょっと大変ですよね」
 途中でこんがらがらないことを願って、リュミエールは自分の髪を後でひとつにまとめた。
 こうなるとルヴァのターバンがウラヤマシイ気もする。
「どうやらナトリウム塩化物泉のようですよ。これって陰イオンが主なんですよ」
 そのルヴァはといえば、いち早く作務衣を脱ぎ、タオルを巻きながらビーカーを振っている。
「え、もう調べたのでしょうか?」
「ほら、このメモリ。一リットル中に三百四十ミリグラムだから弱食塩。保温力にすぐれ、よく温まることから〈熱の湯〉と呼ばれるんですよねー」
「は、はあ……」
「神経痛、リウマチ、打ち身きり傷にやけど。飲用の場合は胃腸炎に肝臓炎、便秘に効果があるんですよー」
「……どうも」
 嬉しそうに語るルヴァにリュミエールは微笑みを返した。
 そんなに怪我や痔持ちの守護聖はいないと思うが。
「と、とにかく良いお風呂のようですね」
 リュミエールはタオルに身を包み、湯船の方へ続くすだれを開けた。
「ああ。思っていたよりも澄んでいて綺麗だな」
 ジュリアスは手足を伸ばし、満足そうにつぶやいた。
「ねえランディ、落ち葉がひとつあるよ」
「風流ってやつだな。ほら、マルセル、トンボが飛んでるよ」
「うそ。どこっ」
「ほら、あの木の横」
 風がつい、と吹いた。
 手入れが行き届いているのか、天然なのか、こんこんと涌き出でる湯に周囲は洗い流されているようだ。湯船の底に敷き詰められた石は見えるほど透明度が高い。
 それに足を伸ばしてもあまりあるほどの広さがある。男が六人いても狭さはまるで感じられない。座ればちょうど肩ほどまで深さがあった。
 湯はさらりとしていて芯まで温まる。顔は夕方のしっとりとした空気に触れ、涼やかだ。
「ランディ、ここでサーフィンはどうかと思うぞ。ボード邪魔だ。横に置け」
「そうですね、オスカー様。波、ないし」
「それより素もぐり競争しようよっ、ね」
「あのー、マルセル、マナーを考えてみましょう。ビーカーにお湯が上手く入らず分析しにくいです」
 騒ぐ四人の横で長い金髪を三つ編みにし、てっぺんに乗せているジュリアスは珍しくドリフターズの鼻歌を唄っている。手にはお馴染みのガーガーちゃんだ。
 たぶん……というかかなりみんな気に入ったようだ。
「なんか、裸の付き合いって、お互いが見えるものなのですね。分かり合えるかどうかは別にして」
 リュミエールは思わず口にした。
 少しのぼせたのかもしれない。頬が熱い。湯につかった肌がピンク色だ。
「ふう……」
 周囲は太く根を張った樹木が天然のブラインドのように目隠しをしているが、上は突き抜けて開き、見渡すことができる。
 リュミエールは夕日がかった空につぶやいた。
(――にぎやかですよ。ここは……)
 それはこなかったクラヴィスに対する言葉だった。
 いつも過去を背負って独りで生きている。それが悪いとは言いませんが、重くなる時はありませんか。静かな日常は未来を変えてくれるとも思えませんよ。望んでいることは貴方の本来の姿なのですか。
 いつも考えていたことだが、声にしたことはない。
 彼特有の繊細な優しさが壊れてしまいそうだったから。
「おい、リュミエール。いやに静かだな」
「オスカー、お気になさらずに。私には少し熱いようなので」
「そうか。人によって体感温度は違うからな。おい、ランディ、マルセル、湯をかき回せ。そうすれば温度は下がる」
 オスカーは二人に両手を上下して見せた。
「ああ、つまりバシャバシャするんですね」
 ランディは湯を指差す。
「わあ、面白そうっ」
「足も使うと楽しいぞ」
「そうだ、このサーフボードを使えば」
「――あの、本当にお気になさらず……」
 リュミエールは慌てて断ったが、三人は狂ったように湯を混ぜこねるように跳ね飛ばしだした。
「うおりゃあっっ」
 ランディの掛け声一発、あちこちに渦ができ、飛沫が飛びまくり、目も当てられない惨状になった。
「う、ビーカーがっ」
「アヒルが迷子になったぞ」
 初露天風呂は誰よりもうるさく、ニギヤカな入浴となった。
 一般人には見せられないありさまだ。
「お、ランディやったな」
「オスカー様こそ」
「あーん、負けそう」
「ぶっかけは根性だっ!」
 オスカーは何を思ったのか手を天高く振り上げた。
「……あ、その、温度は下がりましたから」
「へ? お湯掛け遊びやってるんじゃなかったですか」
 ランディーは楽しげに肩で息をしている。
「まあ、たまにはいいじゃないですか」
「ああ、ルヴァ様……いえ、もう遅いですね。わかりました、もういいんです。はい」
 リュミエールは本気で湯あたりしたと、大きくため息をついた。


 茜色に染まった雲がゆっくりと空をゆく。
 後ろからは夕闇色の深い藍が追いかけている。
 露天風呂の熱気を冷ますようにリュミエールは縁側に座り、風を受けていた。
 作務衣は身体に馴染み、もう随分昔からここにいるように感じる。夕闇の中に虫の声がした。
「ふう…………」
 久々に騒いだ気がする。
 チリリと虫が笑っている。
 昨日の今ごろは想像もできなかったことだ。
 リュミエールは金魚のうちわで二度頬をあおいだ。
「ずいぶん遠くまで来てしまいましたね……」
 周囲の木々はもう暗く、湿った苔の香りしかしない。静かすぎるほど静かで、涼しさが増した風からは夜が漂って来る。
(――あなたにも味わってもらいたかった)
 リュミエールは髪を後ろに流した。
 ここに闇色の彼はいない。
(きっと楽しめますよ……)
 守護聖の守護聖らしくない振る舞い。実はみんな同じ人間で、笑って騒いで子供みたいだって知っていましたか?
 リュミエールが空を仰いだ時、背中から誰かが呼ぶ声がした。
 どうやらこの元気の良さはランディだ。
 足音も複数聞こえる。
「――どうかしましたか?」
 リュミエールは驚いて後ろを振り向いた。
「ああ、いたいた、じゃなくっていらっしゃった」
「良かった〜。なんか姿が見えなくて心配しちゃいました」
 ランディの他にマルセルもいる。
「だからどうかしたのですか?」
「って、晩御飯の用意が出来ましたのでお知らに来ました。大丈夫ですか?」
「ええ、ご心配かけまして。ところでメニューは何でしょうか」
「一応、カレーなんですよ。ジュリアス様ったら間違えてお味噌を入れちゃったんで味の保障はしませんけど」
「味噌味カレー、ですか」
 リュミエールはプッと吹き出した。なんとなく笑えるハプニングだ。
 絶対に後世まで語り継ごう。
「それから聞いて下さいよ。今、聖地の方から連絡があったんです」
「何か急用でも?」
 リュミエールは心配したが、ランディはニコニコとしている。
「明日から人数が増えるんです。ゼフェルが作品が思ったよりも早く完成したので合流するって」
「それからオリヴィエ様もショーが思ったよりつまらないから美容のため、こっちの温泉に来るそうです。僕、嬉しいな」
「ええ、マルセル、私も。喜ばしいですね、二人も増えるなんて」
 リュミエールは微笑んだ。やはり人数は多い方が良い。
「いいえ、三人です」
 その時、ルヴァが後から走って来た。
「――は?」
「クラヴィスからも連絡です。貴方に代わってくれと」
 ルヴァは必死に笑いをこらえながら、リュミエールに携帯電話を手渡した。
「はい、私です」
 リュミエールが出るといきなり悲壮な怒鳴り声が聞こえた。
『い、行くぞっ!』
「はい?」
『わ、私も行くと言っているのだーっっ』
「落ち着いて下さい、クラヴイス様」
 しかし、クラヴィスの必死は止まらない。
 その声は怒鳴るというよりも懇願しているように聞こえる。
「どうやら陛下のお茶会でケーキを二十七個食べさせられたそうですよ」
 耳元でルヴァがリュミエールに教えてくれた。
「陛下も一人居残ったからってお気を遣われたんでしょうけど、笑いながら『また明日もね』って言われたんじゃ……ねえ」
 リュミエールはその姿が見えるようだった。クラヴィスは冷たいように見えても好意を断るのはヘタだ。薦められたケーキをひきつりながらも食べたのだろう。
『旅行に、絶対に合流するっ!』
「はいはい。わかりました」
 どうやら明日は全員が揃うようだ。
 三人増えてもあの露天風呂の広さなら十分だろう。
 リュミエールは満面に笑みをたたえてお待ちしていますと告げた。
「うふふ。さあ、ますます楽しくなりますね」
 秋の月もそれに同意するかのように笑っている。


2006.11.15 up




ミー君が扉絵の作務衣姿のリュミ様を見て楽しいお話しを書いて下さいました!
初秋旅行の名の通り、ちゃんと初秋にいただいたのに、今頃アップというのは管理人の怠慢の他ありません。ごめんなさいっ!
リュミ様が作務衣を着てくるりと回って見る、何て素敵な光景でしょう。湯あたり気味で(肌がピンクだって!!!)金魚のうちわであおいでらっしゃる姿に萌えまくりです。
露天風呂ではしゃぎまわる守護聖様達も可笑しくて愛しいです〜。特に、ターバンを付けたまま(ですよね?)露天風呂で成分分析をするルヴァ様が強烈でした。
ミー君、あんな絵からこんな楽しいお話しを考えて下さって本当にありがとうございました。