「アンジェリーク、お話があるのです。これから外へ出られますか?」
ある遅い午後、リュミエールが宿屋の厨房に訪ねてきた。お行きよ、とおかみさんが目配せをしてくれたのを見て取ると、
アンジェリークは嬉しそうにリュミエールに付いていった。
「こちらへどうぞ。馬を借りてあります」
宿屋の馬屋に芦毛の馬が繋いである。リュミエールはふわりと馬に跨るとアンジェリークに手を差し出した。
「さ、アンジェリーク。ふふ、大丈夫ですよ、私につかまっていてください」
馬上でアンジェリークは振り落とされまいと必死でリュミエールにしがみついていたが、
慣れてくると周りの景色が見えるようになってきた。町の石畳を過ぎ、気持ちの良い草原を駆け抜け、
見覚えのある丘が見えてきた。ふたりがこの世界に来たとき最初にいた場所だ。
丘の手前で馬を止め、馬を下りて丘を登る。リュミエールが先に、アンジェリークはその数歩後を行く。
リュミエールが振り返る。
「急ぎすぎたようですね。手をお貸ししましょうか?」
「はい、いえ、あの、大丈夫です」
アンジェリークは、リュミエールが何を話したいのか、どこへ連れて行きたいのか、おぼろげなからわかってきて
足取りは重くなるばかりだった。それでも歩を進めていればやがては目的地に着く。間もなくふたりは丘の頂上に立っていた。
「ここは気持ちのいい場所ですね。覚えてらっしゃいますか? この場所のことを」
「あ、あのっ! リュミエールさん。私、怖いんです。思い出せないのは思い出したくないからじゃないかって。
私、リュミエールさんと一緒にいられてとっても幸せなんです。以前『恋人じゃない』って言ってましたよね。今もそうなんですか?
私は、リュミエールさんのこと一番大切な人だって思ってます。記憶をなくす前だって、きっとそう思っていたと思うんです。でも、リュミエールさんは私のことなんか・・・」
リュミエールはそっと手を伸ばし、アンジェリークを抱き寄せた。
「恋人ではなかったのですよ。でも想いは一緒でした。私が悪いのです。私は心にもない言葉であなたを傷つけてしまった・・・。
お話をさせていただけますね?」
アンジェリークは泣き出しそうな顔で、それでもしっかりと頷いた。
「あなたは聖地と聞いて何か思い出されますか?」
「えっと、女王陛下と守護聖様たちがいらっしゃるところですよね」
「ええ、では、そこからお話ししましょう。聖地には女王陛下と守護聖の他、様々な方がいらっしゃいます。
ふたりの女王候補も新しい宇宙の女王を選出する試験を受けるため、聖地に来ていました。
ひとりの女王候補の育成により惑星は満ち、試験は終わりました。その女王候補が新しい宇宙の女王となるはずでした。
ところが、女王の即位式を明日に控えて、その方はひとりの守護聖に想いを打ち明けたのです・・・」
「あ、あの、まさか? その・・・?」
リュミエールは少し悲しそうな微笑を浮かべ、小さく頷いた。
「その守護聖は・・・、いえ、私は愛しい人に想いを告げることなど考えもせず、ただ、あなたを諦めることだけしか頭になかった。
そして狼狽えたのです。・・・。アンジェリーク、申し訳ありません。私はあなたの言葉がどれほど嬉しかったか。
それなのに、あなたが女王の座を諦めてまで打ち明けてくださったその想いに応えるだけの器が私にはなかった。
ただ狼狽え、あなたに冷たい言葉をかけてしまった・・・。アンジェリーク、あなたに告げたくて告げられなかった想いを
今言葉にさせてください。あなたを愛しています」
アンジェリークは急に頭の中の霧が晴れたような気がした。
青緑色の瞳の中にリュミエールの姿を映して、何もかも夢だったように思えた。
見覚えのある明るい光りが辺りに満ち、身体が持ち上げられるように思えたその瞬間、空へと、
もの凄い勢いで吸い込まれていく。そんな気がした。
リュミエールはアンジェリークを抱きしめた。光りが去ったあと、ふたりが立っていたのは迷いの森。
「リュミエール様! 私たち、戻ってきたんですね」
「アンジェリーク?! 思い出されたのですか? 私のことがわかりますか?」
「はいっ! 水の守護聖様。私の一番大切な人です」
「今でもそうおっしゃってくださるのですね。ありがとう、アンジェリーク、何より大切で愛しい人」
「なぁ、おい、こっちの方だったよな」
「いや、あっちじゃないのか?」
「何言ってやがる、てめーの方向音痴には呆れるぜ。ったく何だってあいつらは・・・。うわっ!!!」
「何? どうしたんだ? ゼフェル」
「あっ! バカ! 行くんじゃねー! って聞こえないのかよっ!」
「・・・? わぁ! あ、あの、失礼しました! ほ、ほら、ゼフェル、行くぞ!」
「だから言わんこっちゃない。はいはい、オレだってお邪魔虫なんてなりたかねーよ」
固く抱き合ったふたりは風と鋼の守護聖が顔を真っ赤にして走り去っていくことなど気付くはずもなかった。
「リュミエール様、約束しましたよね。いつも、いつまでも側にいますね」
「アンジェリーク、ありがとう。あなたを必ず幸せにします。守護聖の任を降りても、楽士として働ける自信がつきましたからね」
「くすっ、いつかまたあの町へ行けたらいいですね。私、リュミエール様のバイオリンを聴けなかったし、
それに、良くしてくれた人たちにさよならも言わなかった・・・」
「また行けますよ。心に強く願えばいつかきっと。あなたが教えてくれたのですよ。バイオリンのほうは、
そうですね、近い内に取り寄せてお聞かせいたしましょう。腕がなまっては困りますからね」
ふたりは互いに顔を見合わせ、楽しそうに笑うと手をつないで宮殿の中へ入っていった。
アンジェリークは新しい宇宙の女王になるのではなく、リュミエールと共に生きるということを報告するために。
fin
少女漫画の世界が書きたかったんです。可愛くて芯の強い女の子と、と〜っても素敵な男の子のハッピィエンドのお話。(リュミ様は大人ですけど)
題名の「アンダンテ」はご存知の通り、音楽の速さを示す用語です。意味は「ゆるやかに、歩く速さで」。
急がず、しっかりと前を向いて歩いていくリュミxコレが書けていればいいのですが。
サイトオープン1本目としては長かったかな? 如何でしたでしょう? 少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
2002.2.3
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