「おはようございます。リュミエールさん」
アンジェリークの明るい声に目覚めたリュミエールは、身体を起こすなりひどい頭痛に襲われた。
昨夜のことはよく覚えていない。
町長は大いに盛り上がった息子の結婚式に気をよくして、楽団への謝礼を相当はずんだらしい。
それで、結婚パーティの後、打ち上げと称して隣町で宴会があったのだ。
最初は断っていた酒杯も断りきれず、町を出る頃には大分酔っていたようだ。
その後のことは記憶が曖昧だ。ベッドで寝ているところを見ると、またアンジェリークに迷惑をかけたらしい。
「あの・・・」
「リュミエールさん、昨夜お願いされたことですけど」
アンジェリークの目が悪戯っぽく輝いた。
「”わかりました。よろしくお願いします。”これでいいですね?」
「えっ? 私が何かお願いしたのでしょうか?」
「うふっ、はい、お願いされました。・・・ひょっとしてリュミエールさん、覚えてないですかぁ?」
ニコニコと笑うアンジェリークに、当惑顔のリュミエール。
「あの、あのですね、”いつまでも側にいて欲しい”って言ったんですよ。だから、わかりましたよろしくお願いしますなんです」
最後の方は早口で一気に言ってしまうと、アンジェリークは恥ずかしそうに笑い、朝食の用意を手伝ってきますと言って出ていった。
リュミエールは頭痛のことなどすっかり忘れ、呆然とドアの方を見つめていた。
「アンジェリーク・・・」
愛しい人の名を声にすると、ふつふつと嬉しい気持ちが沸き上がってくる。
彼女が自分の側にいると言ってくれた。
酔ってつい出てしまった本心とはいえ、心からの願いをいとも簡単に受け入れてくれた。
守護聖としての自分ではなく、ひとりの男として見てくれている。それが何とも嬉しかった。
しかし、とリュミエールは思った。守護聖としての自分も自分なのだ。
アンジェリークの記憶が戻らないのを良いことに、このまま黙って過ごしてしまって良いのだろうか。
自分が事実を話したところで、彼女の記憶は戻らないかも知れない。
聞いてしまったことで自分への評価が変わるかも知れない。それでもいつまでも話さない訳にはいかないだろう。
いつまでも側にいると言ってくれた彼女に。楽しかった思い出も、辛かった思い出も、彼女のものなのだから。
遠のいていた頭痛がぶり返す。こめかみの辺りがズキズキする。
いつか話そう。リュミエールは決心した。
∞♥∞
それからしばらくの間、幸せな日々が続いた。
バイオリン弾きの仕事は大きな稼ぎにはならなかったが、宿代を支払うには十分だった。
アンジェリークも宿屋の下働きをしている。もう一部屋借りようと思えば出来ないことでもないが、
ふたりとも今の状況に満足していた。誰にも邪魔をされないふたりだけの空間。
馬車を借りて遠くの湖へ行ったこともある。お弁当を用意して湖の畔で半日を過ごした。
何をするでもなく、透明に広がる水面を見つめ、ただふたりで寄り添っていればそれで良かった。
時が止まればいい、しかしながら時折浮かぶ欲深な願いは叶えられるものではない。
腕を折ったバイオリン弾きのオルゲイは順調に回復し、あと一週間ほどで楽団に復帰出来そうだった。
そうなればリュミエールの仕事もなくなる。他の仕事を探せばいいが、条件はずっと悪いものになるだろう。
宿屋にずっといるわけにもいかない。アンジェリークさえ承知してくれれば、小さくてもいいから落ち着ける場所を探して一緒に暮らそう。
この考えはリュミエールをつかの間幸せにした。
しかし、その前に、事実を話さなくてはいけない。いつか話そう、そう決心した。『いつか』の期限が迫っている。
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