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part2 聖獣の宇宙

「ふぅ」
アンジェリークはカップを手にひとり窓辺に座っていました。
女王が統べる聖獣の宇宙は今日も平穏です。
「おいし・・」
ハーブティの爽やかな香りが口の中に広がります。
このハーブティは神鳥の宇宙の水の守護聖からいただいたものでした。
聖獣の宇宙は生まれたばかりで、女王ひとりを養うだけの作物さえ穫れません。
それで、暮らしに必要な食糧や消耗品は、定期的に神鳥の宇宙から送ってもらっていました。
そしてその中には必ず水の守護聖からの贈り物のハーブティがありました。

ピピピピピ・・・

来客を告げる合図です。
入れ替わり立ち替わりやってくる王立研究院の人でしょうか。
女王アンジェリークは立ち上がってドレスのスカートを軽く撫で、ゲートへ向かいました。

「こんにちは。お嬢さん」
神鳥の宇宙と聖獣の宇宙を結ぶゲートの前に大きな荷物をもって立っていた人は、見慣れた王立研究院の制服を来ていませんでした。
「・・・どちら、様ですか?」
「旅の行商人です。聖獣の宇宙での初商いをお許し願えますかな?」
長い金髪を後ろでまとめ、金色の瞳を持つすらりと背の高い男の人は、やわらかな笑顔で言いました。
「行商人さん・・・。チャーリーさんの会社の方かしら?」
「いや、あちらとは無関係。俺は旅とワインをこよなく愛する一匹狼。お嬢さん、入り用な物はありませんか?」
「えっ、あ、あの、特にありません」
「それは残念だ。では、お近づきの印にこちらをどうぞ」
旅の行商人が差し出したのは一匹のドラゴンでした。
「きゃっ! あ、あの、こ、困ります!」
「何、ドラゴンと言っても大人しいものです。エサは綺麗な水だけでいいし、それに」
行商人は意味ありげに言葉を切りました。
「それに?」
予想通りアンジェリークが言葉を返してくれたので、行商人は満足そうに笑いました。
「お嬢さん、その続きは受け取ってもらってから話しましょう」
行商人は躊躇うアンジェリークの腕を取ってその掌にドラゴンを乗せました。
小首を傾げ、金色の大きな目で見つめる愛らしい姿に思わず笑顔がこぼれます。
「気に入ってもらえたようですな。こいつはピペドラゴン。 別名お願いドラゴンと言って、どんな願いでも叶えてくれます。どうです、お嬢さんにも願い事のひとつやふたつ、おありでしょう?」
「え・・・・・?」
願い事は、もちろんアンジェリ−クにもあります。
でもそれは叶う事のない過去の事です。
過去を変えて欲しいなどと、そんなお願いが叶うわけがなく、でも、このドラゴンと同じ金色の目をした行商人は、どんな願いでも叶えてくれるって言ってなかったでしょうか。
それなら、ひょっとして、アンジェリークのただひとつの願いも叶えられるのでしょうか。

「私、・・・リュミエール様に引き留めてもらいたかったな」
アンジェリークは驚いて目を丸くする行商人を見上げて言葉を継ぎます。
「私、女王にならずにそばにいて欲しいって言ってくれてたら、そしたら・・・」
「お嬢さん、それは・・」
「あはっ、無理ですよね。ごめんなさい、変な事言っちゃって」
「いや、無理ではないんだが」
「?」
困ったように額に手を当てる行商人をアンジェリークは思わず見つめてしまいました。
「ピペドラゴンってヤツは距離も空間も時間さえ関係なしだから、過去を変える事だって出来る事は出来る。 ただ、過去を変えた時点で未来へ続く道は枝分かれしてしまうんです。つまり・・・」
「つまり、今の私は何も変わらないって事ですよね」
行商人の言葉を引き取ってアンジェリークが少し悲しそうに言いました。
「ああ、残念だが、過去から続く今の時間は変えられません」
「今の時間は・・・?」
アンジェリークはふんわりと微笑み、掌のドラゴンを愛おしそうに撫でました。
「行商人さん、私、決めました」
「ん? ああ、それは良かった。ではお嬢さん、願い事をどうぞ」
アンジェリークは目を閉じて深呼吸をし、ゆっくりと目を開けました。
「リュミエール様と女王にならなかったアンジェリーク・コレットが一緒になれますように」
「お、おい、それは・・・」
「いいんです。別の世界の私でも私だから。・・・・あっ!」
掌のピペドラゴンはわかったとでも言うように肯いたかと思えばスッと消えてしまったのです。
「ど、どうしたの? どこ行っちゃたの?」
「心配はいらない。ピペドラゴンは願いを聞くと消えてしまう。願いを叶えに行ったってことです」
「過去に?」
「過去に」
「そっか。じゃ、別の世界の私は今頃リュミエール様と一緒なんですね。良かった」
「本当に良かったのか?」
「ええ、良かったんです」
行商人は思わず普通の少女に話しかけるように聞きましたが、アンジェリークの晴れやかな顔を見てそれ以上はもう何も言えませんでした。
「では、またお邪魔します、陛下」
「ええ、いつでもいらしてください。・・あの、ありがとうございました。お名前を聞いてませんでしたね?」
「はは、俺は名もない旅の行商人。それでいいでしょう」
行商人はそう言うと荷物を担ぎ、ゲートに向かってしまいました。

『リュミエール様と仲良く暮らす自分がどこかにいる』
行商人の後ろ姿をぼんやり見送りながらアンジェリークは考えました。
不意に嬉しさと哀しさが同時に襲ってきて涙が出そうになりましたが、無理に笑顔を作ってさっきまでお茶を飲んでいたテーブルに戻りました。
ハーブティはとっくに冷め切っています。
「リュミエール様」
声を出して愛しい人の名を呼んでみます。
「リュミエール様、あなたと私、どこか、別の世界で仲良く暮らしているんですよ」
冷えたハーブティの表面に優しい笑顔が見えたような気がしました。


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