ヴィヴァーチェ

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うららかな月の曜日の午後だった。今日は学習に来る者もいないだろうと見切りを付けて庭園に来ていたセイランは、噴水の隅にぼんやりと腰掛けているアンジェリークを見つけて声をかけた。
「やぁ、どうしたんだい?」
アンジェリークは弾かれたように顔を上げ、セイランを認めると、慌ててハンカチで目を押さえ、俯いた。
セイランは嫌な気がした。どうやら間の悪いときに声をかけてしまったようだ。
「何があったのかは聞かないけど、部屋に戻った方がいいんじゃないのかい? 仕方ない、僕が送るよ。今の君は寮に帰るのも危なげだからね」
アンジェリークは黙って頷いた。

「セイラン様、ありがとうございました」
部屋に着くと、アンジェリークは消え入りそうな声でそう言った。
「どういたしまして。アンジェリーク、思いっきり泣いた方がいい時っていうのもたまにはあるんだ。今がその時かどうかは僕にはわからないけど、明日になってまでそんな泣き顔を見せたりはしないでくれよ。それじゃ」
アンジェリークは戸口でセイランを見送ると、踵を返してベッドに直行した。
セイランの言葉を実行するために。明日は笑顔でいられるように。


コンコンコン

「セイラン様、おはようございます。昨日はどうもありがとうございました」
入って来るなりそう言って深々と頭を下げるアンジェリーク。
「くっ・・・。あ、いや、悪かったね、笑ったりして。でも、君って本当に素直なんだね。僕の言葉を真に受けて昨日は涙の池をいくつ作ったんだい?」
「セイラン様・・・」
「おや、せっかく取り戻した笑顔を僕の一言で消してしまうのかい? こっちへおいで、アンジェリーク。・・・思った通りだ。目が腫れているよ。今日はあまり出歩かない方がいいんじゃないかな?」
「でも、学習しないと・・・」
「感性の学習に関しては今日一日僕が面倒見るよ。どうだい?」
「は・・・い。あの、はい、おねがいします」
「いい返事だ。じゃ、始めようか」

暑くもなく寒くもなく病気もなく、時間すら下界とは異なって流れる慈愛に満ちた空間。それが聖地だ。
その聖地を、いや、宇宙全体を護り慈しむのが唯一絶対の存在、女王。
新しく生まれた宇宙の女王にこの儚げな少女がなるのかもしれない、そう思うと胸の奥がざわつくのを感じた。
『?』
セイランは自分の勘を信じていた。自分の心の動きをあるがままに受け入れ、そこから発生する想いを芸術作品へと昇華させてきた。
しかし、この胸の奥のざわつきをどう受け入れればいいのだろう。

「セイラン様、ここなんですけど。・・・あの、セイラン様?」
「うん? ああ、そこはね、この図を参照して欲しいってことだよ」
「セイラン様、お疲れじゃないですか?」
「君に心配をさせてしまうような顔をしていたかい? 教官としては失格だな。もっとも僕が教官に向いてるなんて考えたこともなかったけどさ」
「そんな。セイラン様はいい先生です。私の努力が足りないんです。だから、だから安定度が足らなくて惑星が壊れちゃったりしたんです」
「アンジェリーク?」
「私、最近やっと育成のことがわかり始めてきて、アルフォンシアにも何度も会いに行って、そしたら惑星の数がぐんと増えたんです。 でも、安定度のことはすっかり忘れてた・・・。土の曜日の夜、嫌な感じがしたと思って月の曜日に確かめに行ったら、育成した惑星が二つも壊れていたんです」
堰を切ったように話し出したアンジェリークはここで口を閉じ、唇を噛んだ。
「でも君は立ち直った。悲しみと後悔は涙と共に流し、学習のためにここに来た。強い人だね、君は」
「私、強くなんかありません。いつだって迷ってばかり。弱虫だし、泣いてばかりだし」
「でも人前では泣かないだろう? それに迷いは誰にでもあるものさ」
「セイラン様にでもですか?」
「君は僕のことを何だと思っていたんだい? これでも普通の人間だよ。迷いもあれば悩みもあるさ」
「そんなふうには全然見えません」
「参ったな。謎の芸術家セイランはよほどの超人だと思われているらしい。ま、僕にも責任はあるんだけどね」
「責任ですか?」
「人前に殆ど出ない。ポーカーフェイス。それにこの口調さ」
「くすっ」
「おやおや、僕は何かおかしな事を言ったかい?」
そう言いながらセイランは、今まで見せたことのない笑顔をアンジェリークに向けた。
少年のような屈託のない笑顔。アンジェリークは思わず見とれて頬を朱に染める。
その様子にまたぞろ胸の奥がざわつきだすのを感じて、セイランはやおら立ち上がり、窓を大きく開け放った。
  「今日はよく頑張ったと思うよ。感性はかなり上昇しているんじゃないかな」
「ありがとうございます。・・・あの、セイラン様、さっきのことなんですけど、聞いてくださってありがとうございました。 私、学習も育成もがんばりますから、その、見ていてくださいね」
「見ていて、か。わかったよ。君を見ていると退屈せずにすみそうだからね」
セイランは頭を下げて出て行くアンジェリークに軽く合図し、窓から見える聖地の完璧とも言える景色に見入った。
女王の力に守られた良くも悪くも変化の乏しい聖域。
『アンジェリーク、君は変化を望むかい? 君が望むなら僕は・・・』
セイランは心の奥から浮かび上がってきた感情を興味深く見つめた。自分の勘は外れない。
胸の奥のざわつきの正体がわかったのだ。


「セイラン様!」
「どうしたんだい? 息せき切って。いくら今日が約束の日だからってそんなに慌てる必要はないよ。時間はまだたっぷりある。さて、本日は如何いたしましょうか? 姫」
セイランに手を取られ、その甲にキスをされて耳まで真っ赤になったアンジェリークは、口を開いて何か言おうとするが言葉が出ない。
「これくらいのことでものも言えない程なのかい? それじゃあ恋人になる男は大変な苦労だろうね。最も、その苦労を背負って立ちたいなんて思っている男は山ほどいるだろうけどね。僕もそのひとりさ」
「えっ? あの、セイラン様、今、何て?」
「僕が何か言ったって? 人の話を熱心に聞こうっていうのは良い心がけだけど、独り言の部類に入る台詞まで聞き直さなくてもいいんじゃないかな。 くっ、そんな顔をするもんじゃない。わかったよ。後で話してあげよう。でさ、行き先は決まったのかな?」
「あの、森の湖へ行きませんか?」
「驚いたな。君と僕の心はつながってるって思っていいのかな。君が言い出さなきゃ僕が誘おうと思ってたんだ」

「いつものことだけど」
森の湖に着いてセイランが切り出した。
「ここの豊かさっていったらないね。ここに来ると頭が痛くなるときがあるよ。美しい景色に触発されて、頭の中に詩や創作のアイディアが止めどもなく溢れてくるんだ。 でもね、今は違うよ。ここの景色よりも愛しく美しいものが目の前にあるからね。何きょとんとした顔をしてるんだい? あーあ、後を振り向いたって何もないよ。くっ、まったく君って人はどこまで鈍感なんだい?」
「あ、あの、セイラン様・・・?」
「さっき、後で話すって言ったよね。どうやら君には遠回しに言っても通じないらしいから、はっきり言うよ。僕は君が好きだ。君と一緒にいたい。 鈍感な君を恋人にして苦労する覚悟ならとっくに出来てるんだ。さ、僕の気持ちは伝えたよ。今度は君の番だ。君は僕のことをどう思っている?」
「・・・・・」
「言えないか・・・。君の口を塞いでいるものは何だい? 女王候補は恋もしちゃいけないなんて思っているのかな?」
「セイラン様・・・。私、嬉しいです。セイラン様が私のことそんなふうに想ってくださってるなんて。でも、言えないんです。 ・・・あと少しで新しい宇宙に惑星が満ちます。・・・試験に合格するのは私の方ですよね」
「ああ、あれだけ育成した惑星の数が違っていればね。レイチェルに勝ち目はないよ」
セイランはアンジェリークが何を言いたいのかを正確に把握していた。
告白をしたからといってすぐに彼女から承諾を得られるとは思っていなかったし、期待もしていなかった。
「好きな人に想いを告げて、そして一緒にいられたらすっごく幸せだと思います。でも、私、だめなんです。 新しい宇宙のことが気になって、好きな人と一緒にいても心を預けることが出来そうにないんです。女王になりたいなんて思いません。でも、アルフォンシアをひとりにすることは出来ません」
「育成にかける君の情熱は並大抵なものではなかったからね。わかっているよ。ところで君は何か勘違いしてないかい? 僕は君に女王になるななんて一言も言ってないんだけどね」
「えっ?!」
「新しい宇宙の初代女王、アンジェリーク陛下にはお抱えの芸術家がひとりは必要じゃないのかな?」
「あ、あの?」
「初代女王陛下の肖像画は誰が描くんだい?」
「セイラン様?」
「新しい宇宙に生命が誕生するダイナミズムを言葉にするには詩人が必要だろ?」
「それって?」
「僕も行くさ。君が女王になる新しい宇宙へね」
思いがけない言葉にアンジェリークは暗い洞穴に迷い込んでいた自分が一筋の光を見たと思った。
光の主はセイランだった。悲しいとき、辛いとき、独特な口調で励まし続けてくれた優しい人。いつの間にか好きになっていた。でも、好きになってはいけないと思っていた。
「セイラン様!」
「抱きつかれるのは一向に構わないんだけど、出来れば返事が聞きたいな」
「好きです。大好きです。一緒に来てくださるんですね!?」
「そう言ったろ? 前に君は僕に見ていてくれって頼んだじゃないか。近くにいないと見ていることも出来ないからね。 それと、もう一つ言葉を足してもいいかな? 見るだけじゃない。守りたいんだ。君を見守っていたい。ずっと側でね」
「セイラン様。ありがとうございます」
「礼を言う必要はないよ。正直言ってわくわくしているんだ。宇宙の創世記に立ち会えるなんてそうそうある事じゃないからね。 見守っていこう、君を、新しい宇宙を。アンジェリーク、愛している」

それから一週間後、新しい宇宙に惑星が満ち、初代女王はアンジェリークに決定した。
即位の後、女王と共に新しい宇宙に向かうセイランの姿があった。

fin


るーさんにキリ番300番を踏んでいただいき、リクエストしてもらったお話です。
るーさんのご厚意で「お話」の部屋で公開いたします。アップが遅くなってすみません。
そして、憧れの挿絵!るーさんに描いていただきました! ふたりを祝福するような光の帯がとっても綺麗ですね。るーさん、本当にありがとうございます。 こちらのページでは小さくさせていただきました。大きな絵は「いただきもの」の部屋にあります。
セイラン様のセリフは読む(聞く)に楽しく書くに辛く・・・。辛辣なセリフの中に暖かさが、皮肉っぽい口調の中に優しさが表現出来てたらいいのですが。
題名の「ヴィヴァーチェ」は「アンダンテ」と同じく音楽の速さを示す用語で、意味は「快活に、生き生きと、速く」です。
大好きなセイラン様が側にいてくれたら、新しい宇宙の発展は約束されたも同じですねv

2002.3.26


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