1994年7月14日〜7月21日インドに行ってきました。何のためインドに行ったのかって?もちろん精神修行です。ゆがみ、腐れきった根性をたたきなおすためです…。んなわけないだろ!観光です!インドの空気を思う存分、吸ってきました。友達といっしょに行ってきました。

-----旅行日程----
7月14日 成田→インド・デリー (デリー泊)
7月15日 デリー→ウダイプール (ウダイプール泊)
7月16日 ウダイプール→ジャイプール (ジャイプール泊)
7月17日 ジャイプール (ジャイプール泊)
7月18日 ジャイプール→アグラ (アグラ泊)
7月19日 アグラ→デリー (デリー泊)
7月20日 デリー (機内泊)
7月21日 成田着

 旅行パンフレットには予防注射しなくても良いって書いてあるけど、私は予防注射しました。破傷風(1回3500円、2回目は帰国後)、A型肝炎(1回のみ6000円)、マラリアの予防薬(8錠4000円)。下痢止め(漢方薬)2種類持参しました。

 私は成田まで夜行バスで行くことにした(バスの方がJRより安いのよ)。7月13日23時10分成田空港行きのバスは仙台を出発した。明日の今頃はインドにいるんだよな〜。…インドか〜。
 7月14日12時20分発のエア・インディアに搭乗した瞬間から、そこはもうインド!サリ−にビンディのスチュワーデスさんがにっこり「ナマステ」。機内食だってカレ−なのだ。
 日本とインドの時差は3時間30分。日本が正午なら、インドは午前8時30分。

 7月のインドは雨季。デリーはむっとしていて暑い。観光者用のインドのバスは冷房が効きすぎて涼しいと言うより寒い(インド人が普段利用するバスには、ガラス窓がない!運転席が横から丸見えのバスもあったよ)。1番弱い冷房なのだそうだが、あたしゃクール宅配便か?のような寒さ。1度冷房を切ってしまうと、再び作動させるのに時間がかかるらしい。性能がイマイチなのだ。バスとホテルは寒い。外は暑い。暑い寒い暑い寒いの繰り返しで体調をくずすようだ。暑いインドで風邪をひく?不思議に思うかもしれないが、インド人のガイドさんも風邪をひいていたぞ。

 いや〜、インドではよく食いました。美味かったな〜。帰国後、立ち食いそばを食べたら「うっ、腹の調子が…」となり、日本の水が合わない身体になってしまったようだ。短期間でインド人になったのか?
 インド2日目の15日夜から、来た来た…下痢〜!とうとう来たな〜。「きい〜!歩けない〜。くう〜!腹痛くて死ぬ〜」ほどの激しい下痢ではなかった。熱っぽかったので、風邪からくる下痢だったのだと思う(医者を呼んで点滴・注射のお世話になった重症の人もいたんだよ)。ホテルの食事は全てバイキング。おかゆがあって助かった。持参した漢方薬を飲んで、使い捨てカイロで腹を暖めたら、なんとか落ち着いた。「下痢どう?」「あ、来た。ダメだ。トイレ行ってくるわ」「食うとすぐ出〜るだわ」と、みんな食事中でも平気で下痢の話をするようになる。カレー食いながらうんこの話をできるのはインドだけだと思う。日本では考えられない話題である。

 男2人がしっかり手を握り合って歩いているのをよく見かける。彼らは、たいして深い意味はなく、単に親しい友人同士ということらしい。でも、なんか、ちょっと、う〜ん。握った手を互いに引き寄せあって、いちゃつく姿には、ちょっと、こう、なんちゅーか、違和感があったな。

 ウダイプールのピチョーラ湖には18世紀に建てられた藩王の離宮がある。現在はホテルとして使われている。「宮殿ホテルに泊まるの〜!素敵〜!」と喜んではいけない。宮殿をホテルとして改造したのだから、マハラジャの部屋に当たれば超ラッキ−だが、使用人の部屋や拷問部屋(ホントか?)になる可能性だってあるわけだ。私達の部屋はヤモリが天井にいたけど、窓はあったし、戸は閉まるし…、まあまあ普通の部屋だったと思う。利用したホテルは全て5スターデラックスだけど、窓ガラスが壊れていたり、窓があってもガラスが入っていないかもしれないのがインドなのだ。だから渦巻き蚊取り線香を持って行ったんだよん。
 トイレの電気はつかない。電話が不通。お湯が出ないのは困った。インド国内線の飛行機が遅れたから、ホテル到着も遅くなって、遅い時間にはお湯がでなくなってしまうんだね。次の日の朝はお湯が出たもんねー。絶対にぬるい湯なのに、従業員さんは手で温度を確かめて「NO PROBLEM」だもん。こんな冷たい湯の風呂には入れんぞ。もう寝る。風呂があるだけでも良いと思わなきゃならないんだけど…。一流ホテルなのに。イヤ、日本と同じような待遇を期待しちゃダメ。と、何度感じたことでしょう。

 湖のほとりでは洗濯している人もいれば、そのそばで身体を洗っている人もいる。豊かな水は人の心までも豊かにしてくれる。「このホテルでY尾忠則を見かけた」と添乗員さんが教えてくれた。Y尾忠則はインドが好きらしい。本も出しているんだよ(「インドへ」文春文庫)。読んだ事ないけど。読もうとも思わないけど。



 インドのカレーは美味い!インド料理は私好み!紅茶がおいしい!日本に帰りたくないと思うくらい美味かった。
 インドにないもの、それは「カレーライス」。私達が食べているカレーとインドのカレーは、まったく違うものなのだ。マトンカレーはマトンのぶつ切りしか入っていないし、チキンカレーもチキンしか入っていない。香辛料で煮込んだ、汁がサラッとしているものなのだ。野菜カレー、豆カレーもある。
 インド人が右手だけで食べ物を口に運ぶ姿を見て、鮮やかでちょっと感動してしまった。インド人全てが手で食べるわけじゃない。フォーク・ナイフを使って食べる人だっているのだ。手を使って食べるというのは、食器を通じて(宗教的な意味での)けがれが伝わらないようにということもあるらしい。
 右半身を浄、左半身を不浄とする考えがあるからなのか、ガイドのインド人・クラナさんは、左手でちんこをかきかきする。たまたまは汗をかく。ねばるたまたまを剥がすのか?位置を正すためか?突然ズボンの上からちんこをかく。堂々とかくので、見てはいけないと思っていても、目が股間の左手に…。クラナさんが鼻をほじるのを目撃したが、やはり左手だった。おいおい、そんなの観察するなよ。
 
クラナさん:一緒にツアーに参加した友達のコメント→「見掛けはでっぷりとしたハクション大魔王なんだけど、人なつっこくて話上手。日本の芸能界の裏話まで聞かせて頂きました。なかなかインパクトの強い人でした(スィク教なので頭にターバンを巻いていた)。「私と一緒にインドに残ったら、この指輪をあげる」と宝石だらけの高い指輪をちらつかせていた」。そうかそうか。君は誘惑されたのか。知らなかったぞ。こりゃまたすげえな。

 安いツアーだから、参加者は学生が多いかと思ったら、おじさまおばさまが多くてびっくりした。旅慣れた人が多かったな〜。私は、*おみやげ・ミネラルウォーター・絵葉書・切手・チップetcで2万円しか使って来なかったが、おじさまおばさまは宝石買う大理石買うシルク製品買うおみやげ買うチップはずむぼったくられる。おじさま達はお金持ちなのだ。

*おみやげ:インド綿のダブルベッドカバー4枚、インドシルクのネクタイ2本・ポケットチーフ2枚付&壁掛け2枚、ステンレスのランチボックス(子供用)→インド人が自転車にぶらさげているもの。バケツ1個→インド人が便所で使う500ml計量カップのような持ち手のついたバケツ。紅茶2箱、カレーパウダー2箱。
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 インド人は紙を使わない。用を済ませると このようなバケツで水を汲み(さっきまで自分のモノだった)モノを流し、左手でケツを洗い、その左手を洗うのだ。このバケツがホテルのバスルームに置いてあった。これで身体をながしたり、頭に湯をかけて使ってみたら便利だったので、バザ−ルで見つけて買ってきたのだ。帰国後も使っている。

 インドで使われている通貨は、『ルピー』と『パイサ』(パイサは見かけなかったな〜)。ルピーを円に換算すればいくらくらいになるかと言えば、USドルとルピーの交換レートは多少変動するが、(94年7月当時)1ルピー3.3〜3.4円であった。1ルピーで1食分食べられることもある。安レストランの下働きの子供の日給2〜3ルピー。庶民の平均的な日収は25ルピー。
 絵葉書1枚3〜12ルピー。ミネラルウォーター1リットル1本15〜60ルピー(空港、ホテルなど、売られている場所によって値段が激しく違う。ペットボトルには10ルピーと印刷されているんだけどね〜。う〜む。これがインドなのよ)。

 10ルピーの物を、倍の20ルピーで買ってしまったとしよう。日本円にしたら30円ちょっと高かっただけだよね。本当にそうだろうか?インドの物価を日本円に換算してみれば、確かに安い。でも、庶民の生活水準を考えると1ルピーを3〜4円のつもりで使ってはいけないと思えてくる。1ルピーを100〜200円くらいの感じで大事に使った方が良いと思う。

 観光客相手の店が提示した値段で買ってはダメ。必ず値切ること。この交渉がこれまた楽しいのである。エジプトで習得したのだが、半額位から値段の交渉に入る。ま、その辺はリンキオウヘンに。ほしそうな顔をしない。買物の前にだいたいの値段を調査する必要があるけど、お互いに譲れない値段まで交渉する。「4つ買うから、まけて」とか。納得できない値段だったら買わない方が良い。後で「高い物を買わされた」と文句を言わない事。高い買物だったが1つ勉強になったな、と、良い(?)思い出にしてしまう。エジプトで5〜7倍の値段で買わされた事がある。出入口をふさがれ、買わないと帰れないようにされた経験あり。「こんなに安くしてやったんだから、ボールペンよこせ」と怒りだすし。演技派だったよ。

 私は、ネクタイ1本10ドル(ドルが使える店もあるのだ)を「2本買うから15ドルにして」と頼んだ。店員は「19ドルにしよう」。よしよし、値が下がったな。ジャ〜ン、ここでボールペン登場!「ボールペンつけるから15ドルにして」「う〜ん、18ドルにしよう」「ふふふ、使い捨てライターもつけるから15ドルにしてよ」「うぐぐぐ、16ドルにしよう」「OK!16ドル!」。こうして4ドル値切ったのであった。達人は、もっと上手なのかもしれない。
 引き出しに眠っていたボールペン、景品のライターが大活躍なのである。 なぜか、ボールペンとライターをほしがるのだ。ホテルのロビーでツアーの人達と日本から持ってきたアメを分け合っていた時、そばにいたインド人にもアメを分けてあげたら「ライター持っていないか?」と、ライターを要求されたのは驚きだった。きちんとした身なりの人だっただけにショックだった。これもインド。

 10ルピーの縦笛を「5ルピーにしろ」と値切った時、おじさんの動揺した目。どうしようどうしよう。半値じゃ売れない。でも、売らなきゃならない。半値で売ろうかどうしようか。目が目が宙を泳いでいる(悪いことをした…と反省した私)。そうだ、5ルピーの笛もあるからそれを売ろう。「こっちの笛は5ルピーだ。こっちはどうだ?」



日本酒

その2