楽苦画飢11-伐採組みの帰所

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(夏季)
担いでいる薪は炊事用、栄養失調で痩せこけ歩む足取りにも力強さが無く腰にぶら下げた アメリカ製の空き缶(戦時中アメリカがソ連に援助物資として送られた金色の缶詰の空き缶)のガ ラガラ鳴る音が物悲しい。
(解説)
私の父は昭和20年9月にここへ入所、翌昭和21年2月16日には死亡したので、この夏季スケッチ の中には存在しない訳である。
シベリア強制抑留死亡者は、昭和20年12月  9.9%、
              翌年の1月    15.1%、
                 2月    12.1%、
                 3月     8.7%に死亡した。
昭和20年11月から翌年4月の半年間に55.8%が死亡すると言うシベリアの厳寒、食糧 不足、重労働で最初の越冬が一番厳しかった事が数字に表れている。 又シャフタマ収容所では昭和21年6月10日に死亡者が1名あり、その後10月4日まで死亡者無し であった。