慰霊巡拝の旅4-オルハ墓地

 



2004年8月21日(土)
6時モーニングコール、と云っても日本時間で4時だからさすがに眠い。
ハバロフスク発09:00−10:25イルクーツク到着、3時間のフライト。イルクーツクの気温は13度と機 内アナウンスあり。
ガイドは金沢に2ヶ月居たとの事で、加賀市山代温泉の私の知人の家にホームステーしたことがある とか、大きな国に来て、世間の狭さを感じた。
供花やお供え物を購入し、最初の慰霊地「オルハ墓地」に向った。
イルクーツクから幹線道路を北上し、1時間(帰路は35分)で、シベリア鉄道オルハ駅近くでバス を降り、線路を跨ぎ、約1キロ進み、左折して現地の墓地への坂道を200メートル、左折して50メート ルの所に慰霊碑があった。
そこで今回最初の福井から来られた方と妹さんが京都からの兄妹ご参加の個人慰霊追悼を行った。
墓碑の状態は同徳台7期生有志の立派な石碑が2001年9月に建てられて居り、里見恒雄、佐藤貢と記 されてあり、全抑協の「安らかにお眠り下さい」(20センチ角1.5メートル)木の碑も平成13年 9月吉日に建てられていた。 里見さんが同徳台の戦友で、佐藤さんに関しては不明、福井の方の父上は、ここは鉄道建設の仕事 で、ここの工事が済んだ後72キロ南に移り、そこで亡くなられた様だが、墓の場所は不明。
本年7月に東京ヤゴダ会が新潟―イルクーツクと飛んでここに来られ、その時の造花があった。
この「慰霊」という字は東京ヤゴダ会の岡田さんの字だが、「ロシア人が霊の右下のノを抜かした」と 残念がられて居る。