荒辞苑 ま行[19]2003.1.11
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まちや【町屋】現行の7行政区画名の一つ。昭和38年6月1日施行の町屋地区(旧町屋周辺)における街区方式・住居表示に伴い現行の町丁となった。旧町屋は荒川区成立時の合併旧4町の一つである三河島町の大字町屋が、荒川区成立時に三河島から分離して成立している。現行の町屋は旧町屋を主体に尾久町・三河島町の一部にて構成した。一丁目〜八丁目で構成。なお、明治22年(1889)町村制施行により、新制・三河島村が誕生するまでは、町屋は村として独立していた。 | |
まちや・えき【町屋駅】(町・荒)京成電鉄及び地下鉄千代田線の駅。都電荒川線の停留場「町屋駅前」も実質、町屋駅である。昭和6年(1931)12月に京成線青砥〜日暮里間が開通、昭和44年(1969)12月20日には千代田線北千住〜大手町間が開通、それぞれの町屋駅が開業した。これらより先に都電荒川線(開通当時は王子電気軌道・王子電車)が町屋を通過するようになっている。(大正2年・1913、4月1日) 但し、現在の「町屋駅前」は開通同時には開設されていない。開通同時の「町屋」という停留場は現在の「町屋二丁目」である。「町屋駅前」が開設されたのは、昭和2年(1927)のことで、「稲荷前」という名称だった。 | |
まちや・えきまえ・ちく・・・略【町屋駅前地区市街地再開発事業】(荒・町)町屋駅周辺の5地区に分かれる再開発。昭和62年10月完成の西地区(ウエストヒル町屋)、昭和63年9月完成の東地区(イーストヒル町屋、町屋文化センター)、平成8年完成の中央地区(センターまちや等)の他、今後、北地区・南地区の開発が計画されている。ムーブ町屋などが開設されている中央地区の「センターまちや」は22階建ての高層ビルで、町屋駅前の下町らしい情緒あふれる街並みもすっかり変貌している。また、南地区でも、28階建てが予定されている。 | |
まちや・さいじょう【町屋斎場】(町)荒川区域開設300年以上の伝統を継ぐ火葬場。明治20年廃業の千住火葬場(寛文9年1669開設の火葬場を継承)の営業人が、明治22年(1889)に町屋火葬会社を設立(営業開始は明治26年)。一方、明治20年(1887)に東京博善が開設した日暮里火葬場も移転を余儀なくされ、同22年、町屋への移転を出願、許可される。その後、両者による町屋火葬場敷地の東西折半使用が合意したが、同36年、日暮里火葬場の町屋移転を前に両者合併し、移転後の37年より町屋日暮里火葬場となる。最盛期は、東京市の死者の半数を処理する規模で、石川啄木・森鴎外もここから天に旅立っている。現在、東京博善株式会社町屋斎場として運営。 | |
まちや・ぶんか・せんたー【町屋文化センター】(荒)町屋駅近くの区立文化施設。昭和63年(1988)に完了した、町屋駅前東地区市街地再開発事業によって開設された。同再開発事業のイーストヒル町屋の東側に隣接する。日建塗装工場跡地に建設。多目的ホール・音楽練習室・日本庭園・会議室などを備えている。 | |
みかわしま・えき【三河島駅】(西日)JR常磐線の駅。常磐線が田端折り返しから日暮里まわりになった明治38年(1905)4月1日に開業。開設当時は貨物駅としての役割が大きかったという。 | |
みかわしま・じこ【三河島事故】(西日)国鉄三河島駅近くの高架上で発生した区内最大の惨事。昭和37年5月3日に発生、160人の犠牲者を出した。事故は、下り貨物列車の赤信号見落としによる脱線から始まった。その直後、並行する下り電車が接触・脱線。乗客たちが電車を降りたものの、適切な誘導、速やかな事故連絡がなされなかった。数分後、上り電車が猛スピードで進入し、上り線路を歩いていた人々が轢かれ、上下電車が正面衝突、大破した。 | |
みかわしま・まち【三河島町】荒川区成立時の合併旧4町の一つ。明治22年(1889)5月1日の市制町村制施行に際して、旧三河島村・千住南組・三ノ輪村の各一部、町屋村等を合併して成立した新制・三河島村が、大正9年(1920)2月11日、町に昇格して誕生した。三河島町の大部分は、昭和36年10月31日の町名変更・地番整理事業により「荒川」に変更した。一部、三河島町として残ったエリアも、その後、町屋・東尾久・西日暮里・東日暮里に振り分けられ、日暮里地区の「街区方式による住居表示」が昭和41年3月1日に施行されたにともない、三河島町の名前は消滅した。 | |
みながわ・これくしょん【皆川コレクション】65年に及ぶ新聞号外コレクション。南千住に在住していた故・皆川重男氏が平成3年(1991)に荒川区に寄付した、約17,000点に及ぶ新聞号外資料。幕末の上野彰義隊事件から現代までをつづっている。平成3年3月8日〜17日まで日暮里サニーホールで開催された「皆川号外コレクション展」で注目され、同年3月9日付の朝日新聞・天声人語でも紹介された。現在、一部を南千住図書館併設の荒川ふるさと文化館にて公開。 | |
みなと・けんこう・がくえん【湊健康学園】千葉県にある荒川区立の合宿制教育機関。2000年、残念ながら閉園が決定した。偏食・肥満などの児童の生活改善を目的とし、昭和27年(1952)10月、湊臨海学園内に湊養護学園として併設された。臨海学園そのものは、夏季鍛錬・集団生活を目的として、昭和24(1949)年7月に開設されていたが、後、昭和33年をもって、施設全体が養護学園となったようである。なお、昭和51年より湊健康学園と称していた。 | |
みなみせんじゅ【南千住】現行の7行政区画名の一つ。昭和42年5月1日施行の南千住地区における街区方式・住居表示に伴い誕生。荒川区成立時の合併旧4町の一つである南千住町を基盤とする南千住町1〜10丁目から現行の南千住一丁目〜六丁目になった。 | |
みなみせんじゅ・えき【南千住駅】(南)JR及び地下鉄日比谷線の駅。現在は駅舎が別であるが常磐新線の開通にあわせて3駅統合が図られている。明治29年(1896)に、民営の日本鉄道<国鉄移管は明治39年11月1日>の田端〜土浦間が開通し南千住駅が貨物専門の隅田川駅とともに開設された(12月25日)。日比谷線は昭和36年(1961)3月28日に南千住〜仲御徒町間で開業、駅を開設した。 | |
みなみせんじゅ・ちく・じゅうたく・しがいち・・・・略【南千住地区住宅市街地総合整備事業】(南)常磐線東側の南千住地域のうち、白鬚西地区再開発を除く地域の開発。平成6年(1994)に建設大臣の認可を受けた事業で、センター工区(南千住駅東側の旧国鉄用地)・リバーフロント工区(旧水門近く)からなる。センター工区は、さらにE街区(南千住北部地区住宅街区=高層住宅地区)・W街区(住宅・商業施設地区)に大別される。平成12年(2000)、E街区が完成し、リバーハープスクエアと称されており、32階建て2棟・38階建て1棟がそびえている。W街区は平成16年(2004)に仮称・フェスティブガーデン南千住などの商業・スポーツ施設が開設され、40階程度の高層賃貸マンションも計画されている。また、リバーフロント工区は、リバーハープコートというプロジェクト名で住宅建設が進められている。⇒リバーハープスクエア、リバーハーププロジェクト、 | |
みなみせんじゅ・まち【南千住町】荒川区成立時の合併旧4町の一つ。明治22年(1889)5月1日の市制町村制施行に際して、千住南組・地方橋場町・三ノ輪村の大半と、千束村・三河島村の各一部、下谷区三ノ輪町飛び地・下谷区通新町を合併して成立した。南千住町地区は、昭和42年5月1日の街区方式・住居表示に伴い、南千住町から南千住に変更した。 | |
みやじ・の・ろーたりー【宮地のロータリー】宮地交差点にあった循環式交通整理方法のための施設。昭和15年(1940)完成。交差点の中央に楕円形の緑地帯を築いて、交差点に進入する車輌は時計回りに進行していく。交通事故激減の効果があったが、戦後、交通量の激増により渋滞を招くようになり、昭和32年5月11日、撤去が完了した。40年以上も前になくなっているにもかかわらず、都内有数の規模を誇るロータリーであったためか、現在でも、「宮地のロータリー」の呼称が使われているのを目にすることがある。 | |
むーぶ・まちや【ムーブ町屋】(荒)センターまちやに開設した区立の文化・情報センターの愛称。平成8年(1996)6月1日、町屋駅前中央地区市街地再開発事業により建設されたセンターまちや3・4階に設置された。多目的ホール(296席)、ハイビジョンルーム、多目的展示室、企画展示コーナー、スタジオ等がある。また、チケットぴあを併設。 | |
むさしがわ・べや【武蔵川部屋】(東日)荒川区で最初に開設された大相撲部屋。第57横綱・三重ノ海の武蔵川晃偉親方が指導する。平成14年(2002)11月現在で、横綱・武蔵丸、大関・武双山や出島・雅山・和歌乃山・武雄山らを擁する各界屈指の部屋に成長した。 | |
もんじゃ・やき【もんじゃ焼き】お好み焼きの類。水分が多いため、焼きあがっても流動性がある。そのゆるさが、文字を書けるほどであることから、文字焼きと称され、もんじゃ焼きになまったとする説がある。駄菓子屋でも扱っていたためか、駄菓子屋の多かった荒川区内には、今でも、もんじゃ焼きを商う店が多く見られる。近年、月島がもんじゃで有名になり、発祥地説もあるが、NHKのドラマ「ひらり」で取り上げられた平成4年以降に急増したものであって(2000年現在、月島は60軒を超える)、20年前には1ケタ程度しかなかった。(ちなみに2002年現在、荒川区内には70軒を超えるもんじゃ焼きの店がある。月島とは面積が異なるが。) 荒川区内のある有名店では、ドーナツ状の土手形成はルールとして存在しないという。(駄菓子発祥のもんじゃでは、土手を形成できるほど具が入っていないのかもしれない。) |