荒辞苑 な行[13]2003.1.11

  なかむら・うこう【中村雨紅】⇒夕焼け小焼け
  なりた・しんこうそく・てつどう【成田新高速鉄道】京成本線を利用した高速鉄道路線。現在の京成上野〜高砂+北総開発鉄道+公団千葉ニュータウン線と、成田空港高速鉄道(空港直前の線路部分、成田エクスプレスやスカイライナーが使用している成田新幹線計画の置き土産)を成田高速鉄道アクセス線(新設)でつなぐ新ルートが平成22年(2010)に開通する予定。これにより、日暮里〜成田空港(スカイライナー)が従来の51分から36分となる。日暮里駅のターミナル化がさらに期待される。
  にしおぐ【西尾久】現行の7行政区画名の一つ。昭和39年7月1日施行の尾久地区における街区方式・住居表示に伴い誕生。荒川区成立時の合併旧4町の一つである尾久町の西部地域をもとに成立した。一丁目〜八丁目で構成。
  にしにっぽり【西日暮里】現行の7行政区画名の一つ。昭和41年3月1日施行の日暮里地区における街区方式・住居表示に伴い誕生。荒川区成立時の合併旧4町の一つである日暮里町の西部地域を主体として、尾久町の一部、三河島町の一部にて成立した。JRの西日暮里駅・日暮里駅ともにこの町域に存在する。一丁目〜六丁目で構成。
  にしにっぽり・えき【西日暮里駅】(西日)JR及び地下鉄千代田線の駅。荒川区内で一番新しい駅。昭和44年(1969)12月20日、千代田線の北千住〜大手町間開通にあわせて千代田線西日暮里駅が開業した。その後、昭和46年(1971)3月20日に当時の国鉄との接続駅として、国鉄(現JR)西日暮里駅が設けられた。山手線唯一の昭和生まれの駅である。平成15年度には新交通システム・日暮里舎人線が開通し接続する予定だったが、平成19年度に延期された。
  にしにっぽり・すたーとあっぷ・おふぃす【西日暮里スタートアップオフィス】(西日)荒川区によって開設された起業家応援のための格安賃貸物件。ベンチャー企業の育成と区内事業者のIT化推進の拠点づくりを目的とし て、平成13年(2001)3月で廃校となった灌山中学校校舎を利用して開設した。家賃1万円(共益費2.2万円)といった破格の家賃を適用するが、2年ないし3年の期限が設定されている。平成12年(2000)のバトルトークでパネリストにより同内容の提案があった。平成14年(2002)12月現在20社が入居。
  にっぽり・えき【日暮里駅】(西日)JR及び京成線の駅。民営の日本鉄道<国鉄移管は明治39年11月1日>によって明治16年(1883)に上野〜熊谷間が開通した時点では駅は設置されていない。(上野の次は王子) 日暮里駅が設置されたのは、常磐線が田端折り返しから、日暮里分岐に変更された明治38年(1905)の4月1日のことである。翌年、谷中側の西口を開設した。一方、京成電鉄が青砥〜日暮里間を開通し駅を開業したのは昭和6年(1931)のことである。平成19年度(2007)に新交通システム・日暮里舎人線が開通し、平成22年(2010)には、従来のスカイライナーが成田新高速鉄道経由となることによって、成田まで36分となるなど、周辺の再開発とあわせ、大規模な変貌が期待される。
  にっぽり・かし・がんぐ・とんやがい【日暮里菓子玩具問屋街】(西日)日暮里駅至近の通称:駄菓子問屋街。いわゆる問屋街に所在する正式名称「日暮里菓子玩具問屋組合」所属の問屋は、現在(1999.12.9)、わずか7件になってしまいました。日暮里駅前ロータリーの奥に入ったところにある。問屋となっているが、一般客にも箱単位で販売する。上野・錦糸町とならんで3大駄菓子問屋街として知られ、最盛期には120店舗ほどが集まっていた。この付近は、日暮里駅前の再開発(ひぐらしの里中央地区市街地再開発事業)の対象となっており、現在わずかに残る下町風情も風前の灯火である。
  にっぽり・さにー・ほーる【日暮里サニーホール】(東日)ホテルラングウッドのビルにある区立文化施設。平成元年(1989)2月9日オープン。日暮里駅至近の地である旧第五日暮里小学校跡地に建設された。ホール・コンサートサロン・会議室がある。
  にっぽり・せんい・がい【日暮里繊維街】(東日)日暮里中央通り沿いに広がる生地問屋街。日暮里繊維街は東京日暮里繊維卸協同組合の加盟店舗(約60)を中心に形成されている。市域拡大や関東大震災の影響で、ハギレ屋さんやラシャ裏地の業者が浅草などから大正期に集まってきたようだが、初めは尾竹橋通りより東側に所在し、日暮里中央通りが戦時中に拡幅開通し、昭和30年頃になってから、日暮里駅により近い、この通りに集中するようになった。有名ブランドの生地も扱い、また、一般の人でも購入することができる。
  にっぽり・とねり・せん【日暮里舎人線】荒川区内を通過する平成19年度開業予定の新交通システム。昭和59年(1984)11月29日、荒川区長などにより「尾久舎人新線」の導入要望書が運輸大臣に提出され、導入に向けてスタートした。日暮里駅を起点に、西日暮里駅・赤土小学校・熊野前の各駅(荒川区内4駅)を通過し、足立区の見沼代親水公園までの全13駅9.7kmを結ぶ。経営主体は、東京都地下鉄建設であるが、開業後は東京都交通局となる案もある。新交通システムは、「ゆりかもめ」のように、高架専用線を走行する無人コンピュータ制御運転、ゴムタイヤ使用の、低公害交通機関。当初、平成15年(2003)開業予定だったが延期となった。
  にっぽり・まち【日暮里町】荒川区成立時の合併旧4町の一つ。明治22年(1889)5月1日の市制町村制施行に際して、谷中本村・金杉村・日暮里村の大半を合併して成立した新制・日暮里村が、大正2年7月11日、町に昇格して誕生した。日暮里町地区は、昭和41年3月1日の街区方式・住居表示に伴い、東日暮里・西日暮里と、東尾久の一部に分割した。なお、旧・日暮里村は明治10年(1877)7月12日に、それまでの新堀村から名称変更している。現在の江戸川区内に同名の村があり、郵便などの行き違いが多かったからで、「ひぐらしの里」と呼ばれていたことによる「日暮」の字をあてたと思われる。
  にほん・すいぞくかん【日本水族館】(町)尾竹橋通り沿いにある日本最大級の熱帯魚専門店。昭和42年(1967)創業。民間の熱帯魚屋であるが、展示されている種類は豊富で地域の子ども達にとって学ぶことの多かった店である。この店でピラニアやアロワナなどを初めて見た人も多いことだろう。業界では、小売のみならず、卸でも知られた存在である。近年、相模原や小平にも出店した。 現在、小売店名として「トロピランド」を使用している。