荒川区制施行50周年記念・区民の歌
(昭和57年制定)
あらかわ〜そして未来へ


2001.7.10

 作詞:高野 政義  補作:夢 虹二  作曲:弦 哲也  編曲:若松 正治

 一、
  この町は 僕のふるさと
  やわらかな 光さす町
  夢を追う人が住み
  温い心が通う
  伝えよう この町の心を
  伝えよう みんなの愛を
  いま あらかわ そして未来へ
 二、
  この町は きみのふるさと
  ふれあいと うるおいの町
  あこがれをのせながら
  さわやかな風が流れる
  届けよう この町の優しさ
  届けよう みんなの笑顔
  いま あらかわ そして未来へ
 三、
 この町は みんなのふるさと
 美しい 友情の町
 流れゆく時のなか
 思い出の花びらが舞う
 ※歌おう 湧きあがる希望を
   歌おう みんなの声で
   いま あらかわ そして未来へ
 (※ くりかえし) 
▲歌詞とオルゴール音作成源の楽譜は、昭和57年度荒川区勢概要より転載・活用させていただきました。

 この歌のタイトルだけで、曲を知っていると答える人はどれくらいいるのだろうか。意外と「聞いたことがないなぁ。」という人が多いのではないだろうか。しかし、聞いてみれば、そのメロディーは、きっと聞き覚えがあるだろう。・・・・・そう、かつてのサイレンや「夕焼け小焼け」にかわって、平成11年4月1日以降、防災無線から夕刻を告げているあの曲である。(無線テストを兼ね夕方5時にチャイムを鳴らしている)
※チャイムでは、1番の歌詞でいうと、「伝えよう〜心を 伝えよう〜愛を」のフレーズは省略されている。
 
 昭和57年に荒川区制施行50周年を記念して、区民の歌に制定されたこの曲は、その後、岩手県釜石市に伝わり「この町そして未来へ」として親しまれ、平成元年(1989)より現在の荒川区同様に防災無線を通じて時を告げている。
 すっかり、釜石になじんだ「この町そして未来へ」であったが、平成9年(1997)に釜石市民から「あらかわ〜そして未来へ」とよく似ているという指摘があり、釜石市が荒川区に対して経緯説明をしたことから、荒川区・釜石市間の交流が始まった。釜石市は同年12月、「この町そして未来へ」の歌碑の横に、「友好の音(ね)」と題した石柱を設置し、元歌が荒川区民の歌であることを記している。
 「あらかわ〜そして未来へ」が釜石市に伝わったきっかけは、岩手日報によると、東京荒川少年少女合唱隊の常任指揮者として知られた故・渡辺顕麿先生であった。先生は荒川九中教員を昭和52年(1977)に退職し、故郷釜石に戻って実家・宝樹寺の住職となった後も、ほぼ週一のペースで上京し、東京荒川少年少女合唱隊を指導されていた。また、故郷でも合唱団ノイホフ・クワィアーを指導され、それを通じて、この歌が広まったという。
(先生は、このHPの管理人・nagsの九中時代の恩師であるが、その偉大さを再認識するばかりである。)
 
●歌入りバージョンは、荒川区公式ホームページ内で公開されています。⇒ココです。 ←いい曲だなぁ。


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