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 戦闘機「飛燕」技術開発の闘い
■ 太平洋戦争(第二次世界大戦の日本対、米英豪の闘い)中、戦闘機をチューニングした話が伝えられている。おそらくこれは唯一の例であろう。何故ならば軍隊における規範の厳しさは現代人の想像を超えるものがあり兵器の改造はおろか、部品一つの紛失も、隊をあげて徹夜で探さなければならない程であったからである。
 しかも、兵器に関する処罰は始末書等では済まず、降等(階級を下げられる)、進級停止、隊付(配置を外され予備人員になる)などの処分が待っていた。

 舞台はニューギニア島と東隣のニューブリテン島。機種は陸軍の三式戦キ61、のちに「飛燕」の愛称で親しまれた日本空軍唯一の液冷エンジン搭載戦闘機である。
  • ニューブリテン島には有名なラバウル基地があった。
  • 日本には空軍は存在せず、陸海軍の航空隊を総称して日本空軍と呼んだ。
  • 「飛燕」は設計主務 土井武夫(ゼロ戦設計者の堀越二郎と東大航空科同期)共に当時30代半ば。戦後初の国産旅客機YS11を堀越と共同設計。

 「飛燕」に搭載されているエンジンは、独空軍のメッサーシュミットBf109にも搭載されているベンツのDB601をライセンス生産した「ハ-40」。 SOHC 倒立V12気筒 4バルブ 機械式直接燃料噴射 ニードルローラーベアリングクランクシャフトと、現代でも最先端のメカが、約70年前に完成していたのは驚異であるが、当時の日本の量産技術の遥か及ばないメカでもあり、戦争末期にはトラブル続発で、空冷エンジンの三菱系「金星」=陸軍名「ハ-112」に交換されて、五式戦キ-100になった。

 「飛燕」のチューニングは、エンジン本体、過給器から機体の軽量化、バランスまで及び、初めから装備されていたゼロ戦用の20ミリ機銃(スイスのエリコン社のライセンス生産品)もあって、メカ好きに興味が尽きない話である。

詳しくは「秘めたる空戦」(三式戦「飛燕」の死闘)-松本良男 光人社NF文庫を読まれたし。

*参考 戦闘機「飛燕」技術開発の闘い-碇 義朗 光人社NF文庫

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