【ここで待ってる】<2005.5.18>




 抽選会の後は学校に戻ってきてから解散となる。待たなくていーから、の阿部の言葉を受けて、抽選会に行った11人――下級生含めてだ――は自転車で再び西浦まで戻った。
 荷物を取りに部室に向かい、花井が鍵を持ってくるまでその前で待つ。
「去年の桐青よりは悪くねーよな」
「楽ではないけど、まァ、なんとかなるよね」
「なんとかするんだって、ゲンミツに!」
 泉と栄口と田島がそんな会話を交わす。
 部室に入った後、顔を出した浜田を加えてそれなりの時間を談笑で過ごした。下級生たちは荷物を持って早々に「お先っす」と全員が帰っている。
 花井が、抽選会に行けなかったメンバーたちが朝練のために部室に入って一発でわかるようにと、白い紙に大きな文字で対戦校の名前を書いた。そうして貼る場所を探して辺りを見回す。
「ここ?」
「目立たなくね?」
「水谷、入り口行って」
「あいよー。んーとね、そっちの壁かな。もうちょい右。……オッケー、バッチリ!」
「よーし」
 じゃあ、と花井は、まくっていた袖を元に戻した。
「これで終わりにすっか……て、阿部が戻ってないのか」
 栄口が連絡を取ってみようと携帯を取り出すのを、たどたどしいながらも三橋が止める。
「あ、あの、つもる話、してんのかもしんない、から、そっとしといた方が、で、オ、オレ、暇あるし、阿部君が来るまで、待って、る、し」
 最後まで言葉を聞いてくれた全員が頷く。
 阿部が榛名との過去になにかがあるのは周知の事実だ。確かに話がこじれている可能性は大きい。不安な気もあるにはあるが、阿部も榛名も甲子園を目指す高校球児なので、どんなに頭に血が上ったとしても最悪――暴力沙汰とか――のことにはならないだろう。
 そして何かしらの感情を抱えて帰ってくる阿部を全員で待つのも悪くはないが、それよりは、傍から見ても盲目的に阿部を慕っている相手の方が良いのかもしれない。三橋は阿部の今のバッテリーだし。
 花井が部室とグラウンドの鍵がついたキーホルダーを三橋に手渡した。
「じゃあ鍵よろしくな」
「遅くなるようなら荷物放り投げて帰っちゃいなよ、三橋」
 そう言って笑ったのは栄口だ。
「だ、だいじょ、ぶ」
 ぎこちないながらも笑顔で答えて手を挙げる。それじゃあ、また明日。
「おう」
「おつかれー」
 口々に言いながら全員が帰ってしまうと、当然ながら静けさが訪れる。
 静かな中に身を置いていると、抽選会会場ではなんとか堪えた涙が思い出したように浮かんできた。
「う……」
 脳裏に浮かぶのは阿部と榛名の姿。
 ――阿部君は、嫌いだと思ってしまうほどに、榛名サンのことが好きだった。
 その榛名が、何の用だろう。
「榛名サンはスゴイ投手で、阿部君も、スゴイキャッチャーで、やっぱり、一緒にやりたい、のかな」
 思わず音に出てしまった疑問に胸がしめつけられる。
 だって、阿部がそう思ったっておかしくない。むしろ、当たり前だ。
 どうしようもないほどの不安に、目の縁に溜まった涙がぽたりぽたりと机の上に落ちる。
 ダメだ。泣いたりなんかしちゃ。
 三橋は手の甲と袖でぐしっと涙を拭き取った。
 ダメだ、ひとりでココにいたらどんどん不安が降り積もる。それに、押し潰されそうになる。
 三橋は手の中のキーホルダーを眺め、そして自分のカバンの中からグローブとボールを取り出した。
 グラウンドに行こう。
 自分が強く在れる場所で、阿部を待っていよう。
 そう思った。



 自転車置き場から部室棟へ向かうにはグラウンドの前を通るから見過ごすことはないかと思うが、一応、ノートの切れ端に「グラウンドにいます」と書いて、鍵を閉めたあとのドアの隙間に挟んだ。
 練習のない土曜の午後は久し振りで、誰もいないグラウンドは日の明るさに反比例して、ひどく寂しげな感じだ。
 ゆっくりマウンドに登って、見慣れた風景に少しだけ気分が落ち着く。
 投手になれないのなら野球はやめよう。
 1年前、そう思いながらも諦めきれずに覗いた野球部で三橋を引きとめたのは阿部だった。
 ――マウンドゆずりたくないのなんて、投手にとって長所だよ。
 ずっと背負っていた罪悪感に、そう言ってくれた。
 投手としてならオレは好きだよ、とも。
 スキなんて。
 そんな言葉を言われたのは本当に久しくて――記憶の底にあるスキはおそらく親が言ってくれたものだろう――胸が熱くなった。
 そしてこのマウンドに登った。
 この高さにまた上れるなんて思わなかったから、なんだか感動した。そうしたら阿部が言ったのだ。
 どんな投手が来んのかなーとか考えながら土、盛ったわけ。
 ――オレの作ったマウンドはどーよ。
 その時の阿部の笑顔を、三橋は今でも鮮明に思い出すことができる。
 その後も、阿部はいつだってマウンドを大事にしていた。
 グラウンドを整備する時は真っ先にマウンドに向かい、周辺の小石を広い、三橋の足で乱れたそこを丁寧に慣らしながら土を集める。阿部がそうするたびに、なんだか自分が大事にされているようで――実際大事にしてくれているのだけど――くすぐったくなった。
 そう、いつだって大事にしてくれて、支えてくれて、求めてくれている。
 三星学園との練習試合を乗り切れたのも阿部の力だし、阿部が自分の努力を認めてくれなかったら、あの試合の結果も今までの道もなかっただろう。
 いろいろなことに気づかせてくれたのは、どんな些細なことでも阿部だった。
 ――お前がっ。三星に未練タラタラなカオしてっから! ハッキリ差ァつけて勝ちたかったんだよ!!
 自分でさえ意識していなかった『未練』を、阿部が感じ取ってくれていた。
 言われて始めて気がついたのだ。
 円陣を組んだり、話あったりする叶や畠や三星のみんなに焦がれたことに。
 オレがいた時あつまってくれたことはほとんどなかった――最初の頃はあったけど。
 オレがいた時、ああやって気合を入れた円陣はしたことがない――オレのせいだけど。
 憧れた試合をしているみんなが、羨ましかった。
 だから。
 だからこそ。
 去年のGW最後の日からずっと今日まで、武蔵野の試合をみつめていた阿部が、心から離れなかったのだ。
 あの時の表情のない阿部からはその真意は汲み取れなかったが、阿部も、どこかであの日の自分のように、あの場所に戻れたらと願っているのではないだろうか。なにせ、相手はスゴイ榛名だし。
 阿部がどんな野球をしてきて、どんなバッテリーをあの人と組んでいたのかはわからないけれど。
「オレ、は」
 三橋はマウンドの先を見た。
 誰もいないその場所に残像が浮かぶ。
 阿部の姿。
 ――お前、一人でさみしくねーのかよ!
 幼なじみの必死な声に、一瞬だけ怯んだ。
 ひとりでさみしくねーのかよ。
 だけど、三橋は後ろを振り返った。背中を押してくれた人がいるはずで、その人を見る。同時に、視界に今のチームメイトたちが映った。
 ――ないっ、よっ。
 その言葉にはふたつの意味。
 さみしくないよ。そしてもうひとつ。オレは、ひとりじゃないよ。
 三橋は振りかぶって、残像に向かってボールを投げた。
 彼が「武器になる」と誉めてくれた――実際その通りになった――ストレートを真ん中に。
 幻の捕手も審判も通り抜けたボールは壁に当たってテンテンと跳ね返る。
「オレは、阿部君と」
 離れたくも、離したくもない。
 そして。
「一緒に、野球が、したい」
「してるだろ」
 突然、ベンチの横から声が掛けられた。
 声の主は、阿部だった。



「あ、あべ、あべ、あべくん……!」
 いきなりの本人の登場にわたわたと意味不明な動作を繰り返す三橋に阿部は近づいた。その肩をガシッと押さえつけて、物理的な方向から落ち着かせようと試みる。
「なにひとりでグルグルしてんだよ」
 もう日も暮れかけた広いグラウンドで。
「あ、あの」
「ん?」
「榛名、サンと、話、」
「……ああ」
 たいしたことじゃねェと阿部は言って、それよりお前だとため息をつく。
「なんでこんなトコにいるんだ」
「あ、と、阿部君、待って、て」
「だからなんで……って、そうか、カバンがあったんだもんな。ワリ」
「あ、ち、ちがっ。カバン、も、そうだけど、オレが阿部君を待ちたかったからっ」
「あ?」
 三橋は夢中だった。抱える不安はともかくとして、そうじゃない気持ちは伝えたかった。どうしてここにいるのか。どうしてひとりで阿部を待っていたのか。阿部に貰ったものはたくさんある。優しさや力強さや信頼や嬉しさ、それに勇気と自信。阿部は三橋にとって、野球以外で初めて執着したものだったから、正直に言えばそんなプラスの感情だけではなく、嫉妬や劣等感――対榛名だ――のようなマイナスの、狂おしいほどの感情も確かに覚えてしまったのだけれど。
 阿部がどんな話をされたのかわからない。それに対して阿部が取った行動も。
 ただ願っていた。
 西浦での、もっと素直に言ってしまえば『自分との野球』を選んでくれること。
 そして選んでも選ばなくても、阿部の心が篭もったこのマウンドで帰りを待って、そして伝えたかった言葉がある。
「オレ、阿部君とする野球がスキ、だっ」
「……っ」
 新入生にも、花井にも沖にも、そして榛名にも誰にも、阿部の投手の座を譲りたくない。
 祈りにも似た告白は少しおかしくて、少し微妙で、少し恥ずかしい。
 だけど本気なことももの凄く本当で、その本気を、阿部はちゃんと理解してくれた。
 真っ赤になった顔がそれを三橋に伝える。
 言葉で聞かなくても答えがわかる。
 三橋はつい「ウヒ」と笑って「阿部君、顔、赤い」と言ってしまった。
 夕陽のせいだと口を尖らせながらも、阿部は三橋の手を掴む。いつかのように握ってくれる。
「オレも、お前とする野球が好きだよ」
 小さく聞こえた「どこにも行かねェし」という台詞がうれしくて、三橋は握られたそれを強く握り返した。

 だいじょうぶ。
 歩いていける。進んでいける。
 これからもいろいろな気持ちを覚えて、その度にそれを確認しながら。
 きっと、阿部と、みんなと、甲子園まで。



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 ちょーっとカップリング色的には薄かったですね。
 恋愛のはずで書いてたんですけど、出来上がってみれば 友情か恋かどっちつかずな感じ。
 でもまあそんなのがミハベよね!と開き直ろうと思いますー(…)。
 ぐるぐるする習性が私にないので、こういうぐるぐる話はホント苦手です。上手く書けない(涙)。
 でも悩んだり擦れ違ったりっていうのが青春とか恋の醍醐味じゃないですか! 妙な思い込み。
 
 誕生日には関係ないけど、はぴば!!の気持ちをたっぷりこめて。三橋、はぴば〜v
 
 ちなみに阿部が榛名さんに何を言われて阿部がなんて返したかは
 皆様のご想像にお任せします。逃げるナよ。




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