【大きな木の下で 1】<2005.10.22>
 
※阿部女体化ものです。苦手な方は要注意※





 教室の後ろのロッカーまで歩いた阿部は小さく舌を打った。
 聞きとめた水谷が振り返る。
「どした?」
「やっちまった」
 置いていると思った技術の教科書がなかったのだ。
 そういえば、先々週の時間内に設計図を書き終えることができずに持ち帰り、次の日に提出した覚えがある。
「そーゆー時の九組頼りでしょ。オレも泉に用があるから付き合うよー」
「悪ィな」
「んじゃ、オレは先行って席とっとくな」
 話がまとまった二人に花井が声を掛ける。
 午後の二時間ぶっ通しの授業である技術は、早い者勝ちで適当に座っていいのである。
「おう」
「よろしくー」
 教室を出て二手に分かれる。
 九組のドアから顔を覗かせると、二人に気づいた泉が「入って来い」と手招きをした。
 泉の後ろの席では浜田がなにやら縫い物をしていて、水谷は興味深げにそれを眺める。
「なに作ってんのー」
「垂れ幕その二だと」
 答えたのは泉だ。
 浜田がそれを補足する。
「夏がスゴかったじゃん、お前ら。だから今度は前より人が集まりそーだから、じゃあもう少し派手にいこうかなって思ってさ」
「へー」
 阿部は、そこから会話を弾ませる三人から視線を外して教室内を眺める。教室にはいくつかの集団があるが、そのどれにも田島と三橋の姿はない。
「どーしたよ?」
 きょろきょろしていると泉に声を掛けられたので、阿部が姿の見えない二人の行方を訊ねると、泉と浜田は意味ありげに顔を見合わせた。そして出張していると伝える。
「出張?」
「中庭の奥の木の前まで」
「マジ!?」
 その言葉に異常反応を示したのは水谷だ。
「え、田島?」
「いんや、三橋。田島はつきそい」
 水谷の問いに首を振った泉に更に水谷が声を張り上げる。
「うっそ、くやしー、オレだってないのに!」
 八割がた本気っぽい水谷を、浜田が宥めた。
「しょーがねェよ。やっぱピッチャーって目立つもんよ」
「そーだなー。こんなアンポンタンなのにモテまくってたもんな、浜田は」
「泉……過去のエイコウを持ってくんのはやめてってば。ムナシーから」
「ムナシくなんかないじゃんかあ! 浜田の援団姿に惚れ直したコ、結構いるって聞いてるよ」
「どこ歩いてんだよ、そんなウワサー」
 オレの耳には聞こえて来ないぞと騒ぐ浜田たちの会話から、阿部はだいたいを察する。
 ――女子からの告白ってヤツか。
 立派にマウンドを守り通したピッチャーだもんな、と思って納得する。あの気弱な三橋がねェとも思うが、その気弱で挙動不審で素直で放っておけないところに陥落した自分が言えることじゃないと、即座にその考えを消した。
 うん。そうだな。
 おもちゃのようなあの動きと、まっすぐこっちを見てまっすぐに球を投げてくる強い目とのギャップ。
 あれを知ったら、確かに好意を寄せられるのもわかる。
「ふーん」
 なんとはなしに呟くと、胸のどこかがチクリと痛んだ。
 正体はわかっている。おそらくヤキモチだ。
 だって、一応、自分と三橋は男同士ながら、そーゆーカンケイに至ってしまっていたから、その相手が誰かに告白されていると聞いたら、そんな感情のひとつやふたつ、湧き起こったって不思議はない。
「そっか」
 振り払うように、もう一度呟くと、阿部は泉に技術の教科書を持っているかと聞いた。
 全教科置きっぱなしの三橋や田島と違って、それなりに持ち帰っている泉は、首を横に振って「ごめん」というと、どっちがいいかと訊ねる。三橋と田島、どっちのがいい?
「あー。どっちでもいいけど、まあ三橋?」
 バッテリーを組む相手の名前を言うと、泉は三橋の机やロッカーを探った。少しして目的のものを見つけて阿部に手渡す。
「サンキュ」
「三橋には言っとくから」
「よろしく」
 借りたという伝言だけして、阿部と水谷は九組を後にした。
 あと五分もすれば、午後の授業の始まりを告げる鐘の音が鳴り響く。



 技術室に行くには中庭に面した、長い渡り廊下を通る必要がある。
「もしかしたらいるかもね」
 水谷の予想通り、渡り廊下の外の水道の脇に田島と知らない女子が二人で立っていた。ふたりの目線の先には大きな樹があり、その太い幹の向こうに、肩まで伸びた黒い髪の女生徒と、見慣れた茶色のほわほわした髪がある。
 田島の隣にいるのは、田島同様、付き添いで来た子なのだろう。心配げに見て、田島になにか緊張を解かれ、コブシを振り上げている。
「いいなあ」
 大きなため息と共に情感たっぷりに水谷が零した。
「告白が?」
「それもだけど、伝説に挑戦できるってのが」
「伝説?」
「うっわ。阿部、もしかして知らないの? 有名だよ、このガッコのあの樹の話」
 そう言う水谷の目はキラキラに輝いていて、その反応だけで阿部はすべてを理解する。多分、絶対、この樹の下でなにかをしたカップルは永遠に結ばれるとか、そんな類のものに違いない。
「水谷、好きそうだもんな」
「なんだ。やっぱり知ってるんじゃん」
「つうか、今、知った」
 お前の反応で、という言葉はとりあえず隠す。
「三橋かぁ。わかるよーなわかんないよーな」
 そんな失礼なひとりごとを繰り返す水谷が突然阿部の腕を引っ張った。
「あ……」
 水谷が顎で示す方向を見ると、樹の裏側から姿を現した女生徒が一目散に田島の隣の彼女のところまで駆けてくるところで。彼女の腕に飛び込んで、その後、無理な笑顔を作ってみせる。
 それは、誰の目から見ても告白が実らなかったということが明白だった。
「振っちゃったんだ、三橋」
 すぐ傍で聞こえた水谷の言葉に、なんて返事をしたのか覚えていない。
 ただ、おずおずと田島の元に近寄った三橋の頭を、田島がぐりぐりと掻き回していたシーンだけが、阿部の瞼に焼きついた。



 阿部は腕を組んで思考を巡らす。
 昼に食べた弁当に何か変なものでも入っていたんだろうか。いや。そんなものはなかったと思う。いたって普通の食べ物だった。それじゃあプロテインに妙なものが。それも答えはNOだ。だって野球部全員が飲んでいるわけだから変化があるのが自分ひとりなわけがない。
 誰もいなくなった部室で腕を組んで自分の身に起こった事実と対面するため、胸に手を当てた。
 やはり、間違いない。
 手のひらにあたるやわらかい肉の感触に、阿部は全身でもって大きく息を吐く。
「どうなってんだよ、この体」

 部活前も部活中もオトコだった阿部の硬い体は、今や、オンナのやわらかなものへと変わっていたのだ。



<続>