【大きな木の下で 2】<2005.11.20>

※阿部女体化ものです。苦手な方は要注意※




 自分の体を見下ろす。胸に少しだけ、でも確かに膨らみがある。腕も見るからに筋肉なんか無さそうで、それでも一応のために力を込めてみたが、やはり、普段自分が記憶している筋も浮いてこなかったし、全体が固くなったりもしなかった。
「……」
 そうして、いちばん怖いことに思い当たる。
 ――下半身って、いったい。
 そこまでは言葉にできたが、続けることはできなかった。
 阿部はしばらくの間、指先でトントントンとロッカーのドアを叩いていたが、やがて、ゴクリと唾を飲み込む。
 事実を確認することに決めたのだ。
 おそるおそる自分の手を股間に持っていってみる。ズボンの上から触れる。
 指に、望んだものがさわることはなかった。
 ――それは、そうか。
 無いような気は気はしていたし、上があるのに下もあったら微妙だと思ったりはしたけれど、実際、本当に無いんだとわかると脱力の具合も違う。
 ごつんと額をロッカーにぶつけて、放心する。
 なんだよこれなんだよこれ、いったいこれはなんなんだ。
 ありえないことが自分の身に起きているという現実に頭がついていかない。受け止めることができない。かといって、受け止めないわけにはいかない。試してみるたびに、体に自分の手や指の感触があるとわかるということも、変え様のない事実だからだ。
 目を閉じる。できるだけ、冷静になろう。
 そんな阿部の意志を、額から伝わるロッカーの冷たさが手伝ってくれる。ゆっくりと動揺が引いていく。というより、開き直ってきた、のかもしれない。だって。
「ここに居たって事態が解決するわけじゃねェしな」
 実は起きているつもりでも睡眠中で、悪い夢でも見ていて、眠りから覚めればすっかり元通りになっているのかもしれない。
「うし」
 難しく考えても答えが出なさそうなことだ。だったら考えないことにしよう。
 ――いちいち歩いて帰らなきゃいけねェなんて、なんて変なトコで律儀な夢なんだ。
 夢だと決めつけ、そう思いながら現実から逃げを打ちつつ阿部が着がえを続行させた時、ガラッと後ろのドアが開いた。
 一緒に帰ろうと部室の外で阿部を待っていた三橋が、なかなか出てこない阿部に痺れを切らしたのだ。
 脱ぎながら、阿部はその音に反射的に振り向く。
「あべ、くん、どうかし……」
たの、と、どもりながら入ってきた三橋が見たものは。
 ガバリと勢いよくアンダーシャツを脱いでいる阿部と、その阿部の胸についた、ふたつのやわらかなふくらみ。
「う」
「あ」
 あまりに突然のことで阿部の思考も停止する。頭から外したシャツを腕に残し、胸を全開にさせたままで固まった。三橋の視線は阿部の胸に注がれている。
「あ、あの、三橋、これ、」
 なんか変になっちまって、と言おうとした阿部の言葉は三橋の叫びによって掻き消された。
「うああああああっ! ご、ごごごごごごごご、ごめ、なさ……ッ!」
 開けられたドアは凄い勢いで閉まる。
 そんなデカい声を出せるのかと、瞬間、阿部は感心したものだ。だが今は感心している場合ではない。ドアに歩み寄って、外にいる三橋に声をかける。
「オイ、みは――」
「ごめん、ねっ」
「は?」
「ごめん、阿部君! オレ、オレ、阿部君がオンナのコだって、ぜんぜん、きがつかなくて……っ」
 オイ。
 オイオイオイオイオイオイオイ? 
「っと待て、三橋!」
 阿部はドアノブを掴んで思い切り引いた。
 目の前に現れた阿部――上半身裸の、がつく――に、三橋はその真っ赤に染まった顔を背ける。
「あ、あべくん、前っ」
「うるせえ! つうか、なんでお前がンなこと言うんだよ! 見てっし、触ってもいるだろーが!」
「うえ」
「オ・ト・コ・だ・ろ・オ・レ・は」
 三橋の襟元をつかんで引っ張りながら、スタッカートをつけて言葉を放つ。
「そ、そう、だった、ケ、ド」
「今でもそーなんだよ! 女じゃねェ」
 わかったか、と下から睨みつける。わかった、と涙目で見下ろされて、その違和感に気づいた。くそ、身長も変わってんのか。
 いつも以上に怯え、挙動不審になっている三橋を部室に引っ張り込んだ阿部は、ドアの内側にぴったり張り付いて離れない三橋をゆっくり振り返った。もう自棄だ。隠すことはしない。堂々と胸を晒しながら、片方の手を腰に当て、もう片方で首の後ろをぼりぼりと掻く。
「なんでか知らねーけど、さっき、こうなったんだよ」
「さ、さっき」
「練習中はフツーに男の体だった。それは間違いない。そういや便所にも一緒に行ったじゃんか、休憩ん時。隣でしてただろ」
「そうだ、ね。して、た」
「な?」
 コクコクと頷く三橋に安心する。そしてそれは同時に、自分への確認にもなった。
 そうだ。8時の休憩時間の時は完璧に男だった。それじゃあ。
「……なんで見ねェの、こっち」
 顎を上に向け、部室の天井をあちこち移動する三橋の視線に気づいて阿部は問い掛けた。もちろん、その理由はわかっている。男の体じゃなくなった阿部を見ることができないのだ。わかるのに突然、悪戯心が湧き起こる。やばい。かわいい。もっと、おろおろさせてみたい。
 悪戯心、というより、多分、欲情、に近かった。
「視線、合わせてくんねェと、ちゃんとハナシが伝わってっか、不安になるだろ」
 声に少し寂しさを含ませてみる。
 その演技には自分で鳥肌も立ったが、もう止まらない。
「なあ、三橋」
「う……」
「誰かのイタズラかとも思ってんだけどさ。……三橋がいて良かった」
「え」
「繋ぎ目とか、ねェ?」
「へ」
「接着した跡とか。上は見えるけど、下まではわかんねーんだよ。見てくんねェかな?」
 阿部は自分の胸の下を指差す。
 阿部の指につられたように目線を下げ、そしてまともに丸いソレを見た三橋は、ますますユデダコのようになった。
 だけどもう、視線を外せなくなっているようだ。
「う、あ、あ……っ」
「ダメ?」
「ダ、ダメっ」
「……そっか。困ったな。このままじゃ帰れねェし」
 阿部は三橋をちらりと見上げ、繰り返す。
「頼むよ、三橋」
「っ」
 三橋の左手を掴んで、自分の胸に導く。触らせる。囁くことも忘れない。
「その代わり、好きに触っていいし」
 三橋に体を押し付けながら、その後ろのドアの鍵を横に倒した。
「あ、あべく、」
 ふたりしかいない部屋の中で鍵が掛かった音がする。密室になる。
 三橋の喉がゴクリと鳴って、唾を飲み込む。
 阿部は三橋に最後の誘いの言葉をかけた。
「なぁ、三橋?」
 三橋の膝ががくりと折れる。
 阿部の前に跪く。
 それから三橋は、遠慮がちながらもしっかりと、阿部の両方の胸を自分の手のひらで包み込んだ。



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