残像


 深い夜の帳。
 男がひとり傍らで、僕を見下ろしている。
 顔は夜にとけこんでみえないが、その男が誰なのか僕は知っている。
 僕は闇のなかに、男の顔を思い浮かべる。
 …僕に伸びてくる長い指。
 男の長い指の先が、僕の首筋をゆっくり下へと撫で伝う。ほんとうに、ゆっくりと、愛おしむように。


     *  壱  *


 一九九九年。夏。
 菅原圭が死んだ。
 葬儀は盛大だった。
 菅原の家は資産家だ。政界とのつながりもあるらしい。だから、まるでワイドショーやニュースでみる芸能人や著名人のそれのような葬儀だった。
 夏の台風が吹き荒れる外とは対照的な、会場内のいかにも式めいた整然とした空気。
 中央にしつらえられた白菊の花壇に埋もれて、菅原圭が笑んでいた。
 その笑みは、一昨年の修学旅行の時、僕が撮ったなかの一枚だ。清水寺の欄干で、目をつむり空をあおいでいた菅原圭。菅原君とうしろから声かけた僕に、身体ごとふりむいて笑んだ。すっきりとした目元。少しだけ下唇の方が多きけど形のいい唇。癖のない髪。さらさらで色素の少し薄い髪だ。秋のやんわりした陽のなかで菅原圭は僕に、その陽ざしよりやわらかな笑顔をむけた。
 菅原圭は、老若男女問わず人から好かれるひとだった。特に目立ってなにかするわけじゃあない、ただそこにいるだけなのに、菅原圭のまわりにはいつも人が集まった。たとえるなら居心地のいい木の下、とでもいうのか、おだやかな空気が菅原圭にはあるのだ。どだい優等生でなんでもそつなくこなして、だけど嫌味がなくて、面倒見が良くて、でもおしつけがましくまくて、誰からも信頼されてて、こんなにできたひとが世のなかにいる事に初め僕は驚かされた。よく外面と内面がちがうっていう場合もありがちだが、寮でクラスで二十四時間一緒の僕には、それが菅原圭の常であることを知っている。
 そんな彼だから、菅原圭の死は僕ら学園すべての者にとって衝撃だった。皆葬儀にでたがったけど、それは校則でかなわなかった。学園長、担任ら数人の先生と、クラスの代表者が出席することになっていた。…でも、その姿はなかった。折からの台風の影響で足止めをくっているんだと思う。
 僕と菅原圭の関係。それは、運命の巡りあいとしかいいようがない。
 僕らの学び舎桜林台学園は、中高一貫教育の私立の全寮制の学園で、全国から生徒が集まる進学校だ。僕と菅原圭は、ここで出会った。そして入学からこの三年近くのあいだずっと、同じクラスで過ごし、ルームメイトとして、三度目の同室にもなっていた。それから…。
 僕は、皆の知らない菅原圭を知っている。
 …初めて菅原圭とルームメイトした中学一年の日々を思い出す。菅原圭の印象は、このひととならなんとかやっていけるかも、だった。僕は口下手で人下手で、ひとあたりの良い菅原圭とは対照的な性格だ。クラスにかならずひとりはいる印象の薄い奴。だから正直ほっとした。反面心配もあった。面倒見のよさでつきあわれたらかなわない、うっとうしいと思った。だけどそれは杞憂に終わった。菅原圭はいつでも親しいけど、よけいなツッコミは絶対ない。だからすぐにルームメイトがこのひとでよかった、それから次がいいひとだけど…きっとそれだけで終わる関係なんだろうとなと感じた。
 菅原圭は人当たりがいい。だれとでもわけへだてなくつきあう、いいひと、だ。だけどそのうち僕は気が付いた、その真意に。
 菅原圭には、特別好きな奴とか嫌いな奴、深くうちとけてる友人、そういったひとがひとりもいないのだ。菅原圭は、わけへだてなくつきあう、そうやって他人と自分とに境界線をつくっている。特別を求めない、かわりに自分に踏み込ませない、それが菅原圭という人間だったのだ。
 だからといって僕は菅原圭を、軽蔑しないし嫌いになるわけでもなかった。
 直感があった。
 僕と菅原圭は、たぶん、類友だ。
 そんな僕らが、後に親友になった。
 思いもよらないことだ。
 僕らはずっとおたがい人と交わる事を恐れて生きてきた。傷付くのをとても恐れてた。そのくせさみしくてひと恋しくて、誰かにそっとくるんでもらいたいと心のどこかで思ってた。僕が初めて本音を云えたのが菅原圭で、菅原圭が初めて本音をさらけだしたのが僕だった。何故そんな事ができたんだろう。それに絡みあったあとで、これまでのようにあたりさわりなく振舞うことだってできたはずなのだ。だけど僕らはそうはならなかった。僕らは心と心で手をとりあい握りしめあった。生まれて初めて人と結びついたのだ。
 だけど菅原圭はいない。もういない。
 初めての、そしてたぶん一生にたったひとりの親友を、僕は失ってしまった。
 哀しい葬式だった。
 菅原の家の家格にふさわしい盛大な式と大勢の列席者たち。だけどここには、菅原圭の死を悼む者はいないのだ。
 菅原圭の両親が、神妙な面持ちで弔問客に会釈していた。
 母親が菅原圭の実の親でないことは、客の誰もが知っていた。去年の夏、菅原圭の母親がなくなった後すぐに、愛人から本妻に昇格した女だ。全部、周知の事実だ。だけど学園ではちがう。僕だけが、事のすべてを知っていた。
 僕が菅原圭という人間の内面に触れたのは、中学一年の、夏休み目前のことだった。
 どういうながれでだったかは覚えていないけれど、放課後、家族の話題になったときがあった。
 僕らはもう別に休みだからといって、家族とイベントするような子供じゃあない。だけどこの日は皆して、貶し合いに名を借りたちょっとした家族自慢大会的になった。初めての寮生活、初めての夏休み、ひさしぶりに帰る家、だから皆少し浮かれていたせいだ。僕は笑ってはいたけれど、内心、嫌な話題になったと思っていた。家族の話題は好きじゃない。少しわけありだから。そのせいでイジメにあっていたときもあった。だから僕は、調子にあわせた顔をつくりながら、必死に祈っていた。僕に振ってきませんように。
「そんで、オマエんトコはどうなんだよ」
 ドキン。
 振られたのは、菅原圭だった。
 菅原圭が、僕同様に聞き役一方で自分のことは何ひとつ話していないことに、僕はそのとき初めて気が付いた。
 傾きかけた陽が教室に、くっきりとした陰影をつくりだしていた。いつもとおなじ菅原圭のやわらかな笑みが、濃い影のなかにあった。
 ガラッ。突然ドアがあけられた。担任の松岡先生が、なんだおまえら、まだいたのか。それで菅原圭の返事は聞けずじまいにおわった。だけど皆が松岡先生に気をとられていたその一瞬、僕は視線の隅で菅原圭をとらえていた。濃い影のなか、そこには、僕の知らない菅原圭がいた。表情がなかった。死んでいた。強いて云うなら、うつろ。僕はドキリとした。みてはいけないもの、触れてはいけないものに触れてしまった。直感した。これが菅原圭の素なんだと。
 他人の視線がないからといって生地をさらすようなマネを、菅原圭がするはずがなかった(もっとも皆は、菅原圭が普段仮面をつけているなんておもってもいないけど。僕もその瞬間まで思ってもいなかった)。僕は思った。家族。それは、それだけ菅原圭にとって、触れられたくない話題だったにちがいないのだ。僕と等しく。…僕以上に。
 僕の脳裏に、闇のなかの一瞬の菅原圭が焼きついた。
 ──菅原圭に、あんな死人の表情をつくらせた家族。
 だから他の誰も知らなくても、僕にはわかっていた。息子を失った固い暗い仮面の裏で、悲しみより、あんな形ではあったけれど、圭にケリがついたことにホッとしていることを。
 だからここには、菅原圭の死を悼む者はほんとうに、僕ひとりしかいない。
 …だけどほんとうは、ここに集った人々のなかで、僕が一番汚い人間なのかもしれない。僕が一番、圭を傷つけた。
 去年の冬休み。そこから僕は、菅原圭を、避けるようになったんだ。べつにケンカをしたわけじゃない。ただ、たったひとつ、その冬休み僕と菅原圭に降りかかった出来事が、僕と菅原圭のあいだに、埋めようのない溝をつくった。そうして僕は菅原圭を、…ずっと、ずっとずっと避け続けたのだ。
 僕は、菅原圭と仲直り(そんな言葉僕らに起こった出来事には全然合わないけど、それしか浮かばないから使うけど)…出来ずに、こんな形で失ってしまった。
 菅原圭は、いつだって僕との溝を埋めたがっていた。元通りにはならない、けれど、少し別な形で、今考えるとあるいはこれまでよりもっと強く深く僕らはつながりあえたかもしれないのだ。チャンスは幾度かあった。そのどれもが菅原圭からのものだった。 だけど僕は、気持ちは菅原圭と一緒だったけど素直になれなくて、そのどれをも、あっさり無視し、つぶしたのだ。
 ごめん、圭。
 痛かっただろう。僕も痛いよ。
 なのに、写真のなかの君は、穏やかに笑ってる。
 弔問客のひとりが、僕の肩にポンと触れてきた。僕は思わず、はっと顔をあげる。ネギしょった子供にむける大人の、ありがちなつくり笑みが浮かんでいた。みえみえだ。
「圭君の事は残念だったが…しっかり勉強に励むんだよ。君はこの菅原の後継者難だからね」
 ぞっと鳥肌が立った。僕の傍ら、両親の、かすかな含み笑いの気配を感じた気がした。
 僕、菅原一(すがはらはじめ)。十五歳。中三。
 旧姓、天野。
 僕は愛人の息子から、菅原のたったひとりの後継者になってしまった。

     *  *


 桜林台学園。この中高一貫教育の全寮制男子校は、その名の示す通り、H市郊外の少し高台にあって、桜並木のゆるやかな坂を上りきったところにあった。
 蔦をデザインした鉄門の奥に、幾何学模様の大きなステンドグラスのやわらかな光が床に落ちている。正面は、赤煉瓦を敷き詰めたちょっとした大正ロマンカフェ風な学食だ。
 通称『西洋館』。
 昭和初期に建てられたこの校舎に、これ以上のぴったり合った呼び方はないと思う。僕ら生徒はたとえば寮から校舎に向かうとき、ちょっと西洋館に行ってくる、というような感じに云う。
 寮はグラウンドをはさんだ校舎とは反対の位置にあって、校舎から、赤煉瓦を敷き詰めた遊歩道『緑のトンネル』がのびている。中等部と高等部の二棟があり、あたりには雑木林が広がっていた。
 僕はこの学園のレトロな建物がけっこう好きだったりする。だから寮の建て替えが決まっていて、僕の中学卒業と同時に中等部の棟が閉鎖解体されるのは、なんだかせつない。ことに、僕にとってここでの『時』は特別なものだから。圭と出会って、圭と過ごした日々。あそこにも、ここにも、見る場所すべてに圭がいる。僕の目は、圭のまぼろしを映してる。
 忌引を終え、僕は寮に戻った。戻ったといっても、学園は夏休みにはいったところだったから、圭の私物の整理を終えたら僕はまた、菅原のあの家に帰省しなければならない。
 ひぐらしの声。輪郭のにじんだオレンジ色の陽が雑木林の上に半分とけこんでいた。
 この時間帯を選んだのは正解だった。寮生の大半は夏休み初日に帰省するから、寮内は食堂の方で少し声のする他は人気がなく静まりかえっていた。誰にも会いたくなかったし、ましてやお悔やみの言葉なんてききたくもない。
 舎監の吉水先生には、さすがに会わないわけにはいかないけれど。
「大変だったな、菅原。体の方は大丈夫なのか」
「はい。いろいろご迷惑をおかけしてすみませんでした」
 菅原、と吉水先生は真摯なまなざしでそう云いかけ、云いかけた何かをつぐんで、表情も声もやわらげた。
「で、今夜、どうする。二〇二、行くか。神崎には話をつけてあるぞ」
 まだ寮に残っているんだ。二〇二号室は、クラスメイトの神崎と渡辺が同室だ。神崎の趣味物が、渡辺の領域まで半ば占拠しているような室内。
「寝場所がなかったら、遠慮なく適当に荷物放りだして確保しろよ」
 吉水先生はそう云って、いたずらっぽい笑みを浮かべてみせた。そんな風は笑いかたをすると吉水先生は、二十八歳という年齢より少し幼くみえて、先生から大学生になる。
 僕は一礼をして、舎監室を出た。
 階段脇に、神崎の姿があった。
「よお」
 両手をポケットにつっこんだまま、壁にもたれ、僕より頭ひとつぶん以上上から神崎は、のっそりと声をかけてきた。
 ポケットから何かを拳ごと差しだす。無意識にだした僕の手のひらに置かれたのは、ひとくちチョコが三個。
「食えよ。遭難した山男みてェな面してるぜ」
 なんて”らしい”お悔やみ。とたんに僕は張りつめていた何かが少しだけ緩むのを感じた。なんだか泣きたくなった。泣くかわりに僕はほんの少しほほ笑んでいた。
「なんだよ、海で溺れている奴じゃあなかったっけ、僕は」
 にやりと唇の片端で神崎は笑い、そのままゆったりとすれちがっていった。僕が今夜神崎の部屋に行かないことを知っているような背中だった。

 二〇一号室。菅原圭。菅原一。
 僕はネームプレートの上の圭の文字をそっと撫でた。
 南窓。大きなふたつのダブルハングウインドウ。カーテンロール。外には空と雑木林。照明のやわらかな光。パドルファン。
 ここは圭のにおいがする。
 圭の使っていたベッド。圭の使っていた机。洋服ダンスには圭の制服。
 桜林台の校章が左袖に刺繍されている白シャツ。紫の縁取り、隠しボタンの詰襟。
 僕らが出会ったときは、卸したてで、お互い少しぶかぶかだった。
 初めての寮生活。初めてのルームメイト。
 菅原圭です、よろしく。どこか大人びた印象のやわらかな笑みをみせ、圭はそう云った。それが初めてきいた圭の言葉だった。
 僕はぎこちなく笑顔をつくり、応えた。天野一です。
 僕たちはそこから始まったんだ。


戻る